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風月佳人・前編  作者: 斎木伯彦
闇に蠢く者
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闇に蠢く者

「御帰りなさいませ、若様」

 重々しく扉が開く。一人の老従者が恭しく白髪(はくはつ)の頭を下げながら若い男性を迎え入れた。ほとんど少年と言っても過言ではない男性は、その老従者に紫の外套(コート)を乱暴に手渡して椅子に腰掛ける。美しい金髪を掻き上げた彼の表情には疲れが窺えた。

「ウィルオード、長の姿は、地上では見当たらぬ」

 苦い物を吐き出すように彼は老従者に告げる。

「何故なのだ……」

「若様、焦りは禁物ですぞ」

 若様と呼ばれた男性は全身を黒一色で統一した服装で包み、更に近寄り難い雰囲気を纏っていた。その外見は尖った顎に、薄い唇、眼差しは目に映る対象を憎んでいるかのように鋭い。それが彼を冷たく印象付けている最大の要因だ。鼻の高さは自尊心(プライド)の高さと比例しているかのようで、思い通りにならない今も神経質に椅子の肘掛けをコツコツと指先で叩いている。

「アベル、長の行き先は判ったのかえ?」

 数人の侍女を従えて一人の女性が部屋に入って来た。少年と同じ美しい金髪を結い上げている。その顔立ちは整っているが、見る者に冷たい印象を彼女も与えていた。その女性は黒を基調にした衣裳を纏い、左手に扇を携える。アベルと呼ばれたのは、黒服の少年だ。

「母上……、いや、ソフィア様、長は見つかってはおりません」

 アベルは悔しそうに唇を歪めた。彼はソフィアの息子だ。

「忌々しや、何たる事ぞ。我ら一族の長が見つけられぬなぞ」

 ソフィアは腹立たしげにアベルを怒鳴りつける。その声には、優しさや労り、母親としての慈愛の欠片など微塵も感じさせなかった。

「すぐに見つけ出すのじゃ、今すぐに。良いな?」

 切れ長の目で息子を睨み付ける彼女には、親子の情は垣間見られない。その為に、アベル自身も冷酷な性格になっていた。その冷たさは城内にも蔓延している。

「……許しはせぬぞ、憎き月の者よ。一時(いっとき)も手は緩めたりせぬ。衰え死ぬるまで責め、苦しめ抜いてくれようぞ」

 歯ぎしりしながらソフィアは手元の扇を両手で握り締めた。

「アベル、一刻も早く長、そなたの父たるランティウスを見つけ出すのじゃ。決して、長とあの月の者を巡り合わせてはならぬ。あの娘、忌々しき呪われた者に、長を奪われてはならぬのじゃ!」

 興奮のあまり、彼女は握り締めていた扇を真っ二つにへし折った。興奮醒めやらぬままに、殺気の漲った視線を老従者に向ける。

「ウィルオード、アベル一人では何かと心許ない。誰かを地上に伴わせよ。これは一族の長の正妻たる妾と、次期長なるアベルの命なるぞ」

「フン、何が父だ。女に(うつ)つを抜かし、その上に責務を放棄した腰抜けに過ぎぬ。誰も要らぬ、一人で充分だ」

 アベルは苛立たしく椅子を蹴るように立つ。老従者の手から外套(コート)を奪い取るようにして、彼は足音も高く部屋から出て行った。

「良い、捨て置け」

 アベルを引き留めようとしたウィルオードを、ソフィアは制止する。婉然と微笑んでいた彼女は思い付いたように、老従者に提案した。

「そうじゃ、ウィルオード、あの者を使おうぞ。良き策であろう?」

「仰せのままに」

 老従者はただ低く頭を下げるだけだ。

「許しはせぬ。妾から長を奪った者、憎き月の者ルーディリートよ。決して長は渡さぬ、長の正妻に相応しいのは、この妾しかおらぬのじゃ」

「無論でございます、ソフィア様」

 側に控える老従者は、心得ているかのように彼女に対して畏まる。

「後の手筈は拙が整えます。どうぞ、お休み下さいませ」

「任せたぞえ」

 ソフィアは満足そうに微笑み、侍女を従えて退室して行った。一人残った彼は口元に笑みを浮かべる。

「出て参れ」

 闇に呼び掛けると、音も立てずに一人の少女が彼の目の前に現れた。

「分かっておるな?」

 老従者が声を掛けると、黒髪の少女は黙って頷く。彼女もまた、黒一色でその身を包んでいた。

「お前を生かしておいたのは、この日の為だ。月の娘を探し、その生に終止符を打つのだ。良いな、アリーシャ?」

「心得ました、ウィルオード様」

「これを持て。月の娘の所在へと、(ぬし)を導くであろう」

 ウィルオードはアリーシャに首飾りを渡す。彼女は表情を変えずにそれを受け取った。幼さを残した美しい顔立ちは、ソフィアが憎む相手を彷彿とさせる為、ソフィアとアリーシャの対面は極力避けられている。

「行け」

 老従者の命令に従って、彼女は立ち去った。彼女が行ってから、ウィルオードは再び闇に向かって語り掛ける。

「全ては、あの娘次第。失敗は考慮の内。その時は、お前が始末するのだぞ、カイザー」

 呼び掛けられ、闇から滲み出るように、一人の男性が姿を現した。カイザーは黒一色の身体に密着した服装で、腰には短刀を差している。彼の左頬には大きな切り傷が有るが、その身のこなしには一分の隙もない。目付きは鋭く、冷たい光が発せられるだけだ。

「アリーシャはお前が仕込んだのだったな。失敗はお前にも責任がある。分かっておろう?」

「……、失敗はない。それに長は兄の仇」

「では行くが良い」

 老従者の言葉に、カイザーは軽く鼻先で笑ったが、すぐに闇へと溶け込んだ。行く先は地上。アリーシャの監視と、失敗した際の保険だ。

 運命の時は刻一刻と迫る。誰にも見えぬままに、破滅へと向けて。

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