進級式
「悪りぃ、本当に悪りぃな。じっちゃん、怒ってたか?」
「いいえ、安心して。好きにしなさいって。それよりも早くしないと本当に遅れるわよ」
セリナは急かすように呼び掛ける。すると、遅刻しそうな事態にようやく気が付いたのか、部屋から大慌てでカインが飛び出して来た。
「悪りぃ。絶対、間に合うようにするからよ」
彼は妹に微笑み掛けながら、彼女を引き寄せた。
「大好きだぜ、リナ。俺に任せとけ」
面食らっている彼女を抱え上げると、反論すら聞かずに裏庭へ走り出す。裏庭には、オースティンやお抱えの勅使たちの馬を養っている厩舎と呼ばれる建物があった。無論、カインの馬もいるので、そこへ行くのだ。厩舎が見えた途端、カインは専属の厩務員に向かって大声で命令する。
「出してくれ、アンバーを!」
アンバーとはカインが大切にしている紅の馬で、この森で野生の群れからはぐれていたのを三年前に拾い、カインが育てた馬だ。本来ならば馬は臆病な性格だが、アンバーはすこぶる気性が荒く彼以外には懐いていない。今も厩務員は恐る恐る手綱を引いていた。その悍馬にカインは妹を抱えたまま飛び乗った。
「よし、じゃ、行くぜ。走れ、アンバー!」
手綱を握ったのが早いか、命令したのが早いか、アンバーは軽く嘶いて地面を蹴った。
「じっちゃんには、内緒だぞ」
カインは厩務員に声を掛けると、アンバーはふわりと翔び上がるように走り出す。全てが一連の動作だった為、セリナが気付いた時には全てが手遅れだった。
「ちょっと、兄様待っ……」
「リナ、いいから、俺に任せろ」
彼のその言葉を聞いて、彼女は呆気に取られてしまう。昔からの兄の口癖だ。すぐに得意満面の笑顔で、任せろと言うのだ。どのような時でもそうだから、彼女の胸の内には懐かしさと可笑しさが込み上げて来る。彼は全く変わっていない。だからホッとすると同時に、少し腹立たしくなって来た。
馬での通学は学園の規則で禁止されている。前にも馬で登校して、こっぴどく怒られた記憶がセリナにはあった。それに祖父にも酷く怒られた。
「な、これなら間に合うだろ? 任せとけって」
「そうね、許してあげるわ、カインお兄様」
カインは相変わらず得意満面だ。セリナはしかし、この笑顔に弱かった。その事実に今更ながらに気付いた彼女は、僅かな怒りを親しみに込めて、膨れっ面で言い返す。
「だから、怒られる時には、一緒にいてあげるわ」
精一杯の反撃をして、セリナは頬を膨らませ続けるのであった。
セントラルガーデン、トレリット校舎。
通称、学園と呼ばれるここは、皇国内の優秀な人材を集めて教育する施設の分校である。騎士候補生、魔術師、神官など、様々な特異能力を修得させることを目的としている。その学園に兄妹は通っていた。
「……、え~、であるからして、諸君の栄えある未来の栄光を願いますと同時に、このような優秀な生徒諸君に恵まれましたことに感謝の念を抱かずにはいられません。諸君のより一層の活躍を期待すると同時に、これを祝辞に代えさせて頂きます。進級生の皆さん、おめでとう」
大講堂の壇上では、学園長が祝辞を述べている。大講堂内には兄妹の姿もあった。カインは騎士の礼装服を纏い、威儀を正している。学園には予備の礼装服があったので、それを借りて着用したのだ。もっとも、その時もカインは頑強に抵抗した。しかし、常にない剣幕でセリナが強引に承服させたので、今に至っている。
それと言うのも、ここまで来るのに彼女は文字通り死ぬような目に遭っていたからだ。カインの馬はかなりの速度で駆ける為、彼女は何度も落ちそうになり、その都度カインが支えなければならなかった。セリナにとっては、そのような目に遭うぐらいならば、遅刻する方がマシだった。更には学園に馬の乗り入れは禁止されている。特に今日のような大切な時には、間違っても乗って来てはならなかった。それをカインは馬の勢いに任せて、校門で制止した職員を振り切って校舎まで直付けしたのだ。
当然ながら学園長には、たっぷりと油を絞られたし、祖父にも心配を掛けてしまった。思い出す程に腹立たしくなって来る。
「お兄様が、いけなかったのよ」
口の中で呟く。そもそもの原因は騎士の礼装をしないというカインの我が儘で遅刻しそうになったことだ。それが何故か馬で乗り付けてしまったのだ。更に兄は、学園長に怒られても礼装の着用を渋った。ついには彼女の堪忍袋の緒が切れて、無理矢理に着用させたのだ。今は騎士服を着て畏まっている彼の姿を横目で見て、彼女は溜飲を下げていた。壇上には祖父の姿もある。万事が丸く収まって、彼女は大いに満足していた。
「進級生、退場!」
セリナが含み笑いをしている間に式典は終わり、大講堂から生徒たちが退場して行く。セリナとカインは擦れ違い様、目と目が合った。
「リナ、幸運を」
「兄様もね」
二人は微笑みを交わして擦れ違って行く。セリナは高等部へ、カインは士官学校へと進路が違うからだ。進路は違えど、この時の二人の心は同じ方向に向いていた。