カイン
アルフォード・ルフィーニア。
カインとセリナの家庭教師のような存在で、二人は彼から多くの事柄を習っていた。
先にも説明した通り、この国では幼少期から学校へ通うようになっている。初等教育を終えるとそれぞれの適性に合わせてコース分けされた養成が行われるのだ。その将来は、騎士、神官、魔術師を始め多岐に亘っている。ちなみに、セリナは神官コースだ。
カインが師事するアルフォードは半ば世捨て人のような生活を湖にある一軒家で送っている。カインが初等教育を受ける年齢になるまでは彼が英才教育を施したこともあって、飛び抜けて優秀になっていた。
ところがそれを良く思わない者たちが彼の生い立ちを理由に侮蔑し、更にはセリナを標的にした陰湿な嫌がらせを始めたことが彼の闘争心に火を点けた。
なまじ英才教育を受けていただけあって、その強さは学園の教員ですら敵わないほどの実力で、彼が暴れ出すとアルフォードが対処するのが日常風景だった。そうすると暫くは通学できず、兄妹二人はアルフォードの家で勉学に励むことになる。むしろアルフォードに学ぶ方が効率が良いのが実情で、試験の成績は二人とも上々だった。
もちろん、実技の試験もカインは常に一位なのだが、そのような彼が勝てないでいるのが、祖父オースティンと師のアルフォードの二人なのである。
その彼の名前を出されたので、カインは焦っていた。
「な、何で、師匠が関係あるんだよ」
カインがアルフォードを師匠と呼ぶのは、全く頭が上がらないからだ。恨めしそうに祖父を見返す彼を見て、セリナはおかしくてたまらなかった。そのような妹には気付かず、カインは膨れっ面になると、聞こえるかどうかの声で吐き捨てるように呟く。
「それでも、着ねぇからな」
半ば拗ねたような態度で食事を終えた彼は、席を立って荒々しく大広間から出て行く。その背中に何事か浴びせようとしたオースティンも、首を横に振ってセリナへ向き直った。
「全く、呆れた奴じゃ。これでは、どうなることやら……」
沈痛な表情の彼も最後の望みとばかりにセリナを見詰める。
「セリナ、カインにはもう良いと伝えてくれぬか? ワシはもう出掛けねばならぬ。式典の打ち合わせもあるし、あのお方にも……」
祖父はそこで言い淀んだ。孫娘に聞かせてはならない内容だったのか、口を閉じて彼女からも視線を逸らした。セリナも質問を返さなかったので、後は会話のない沈黙のまま過ぎる。オースティンは食事を終えて、何も言わずに大広間を出て行った。一人残されたセリナはメイドたちに片付けを命じて、大広間を後にする。祖父の言い付けを守ろうと兄の部屋に向かう為。
「あのお方って誰なの、お祖父様?」
セリナは先程の祖父の言葉が気になっていた。一人呟いてみたものの、解るはずもない。彼女の頭の中で、ふと或る考えが過った。もしかしたら、二人のどちらかの両親に会いに行くのかもしれない、と。しかしその考えもすぐに打ち消されてしまう。カインが心配だったのだ。兄を心配する気持ちを抱えたまま、彼女は玄関へと向かった。カインの部屋は、彼女がいる本館ではなく、別館になっていたから。
セリナたちが住む家は本来、トレリット伯爵の邸宅だ。それを維持管理する役割がオースティンに与えられているに過ぎない。伯爵の領地は湖とその周辺にあり、壁に囲われた邸宅の敷地は小さな村が一つ収まるほど広い。庭先には森や湖があった。屋敷は三階建てで、ラピスラズリブルーと呼ばれている外壁で覆われている。彼女が向かった玄関には、半円形のポーチが備えられていた。
玄関を出て目の前に広がる森、この森の中にカインの部屋はある。彼女は急ぎ足で木々の間を抜けて行った。しかし神官の礼装は歩き難い。神殿内の移動しか想定していない履き物は靴底が薄く、紐で足に編み上げる物なので、長い間歩いていると足の裏が痛くなる。履き慣れていないのも手伝って、彼女は何度も引き返したくなる衝動に捕らわれそうになった。それでも彼女は進む。カインが心配だから。彼はヘソを曲げると、意固地になって学園に行かないと言い出し兼ねない。しかし、そのような兄も彼女に我が儘を言った例しはなかった。彼が妹に弱いのは、オースティンも承知している。だからカインが意固地になりそうな時には、彼女の出番なのだ。セリナ自身は困っていたが、反面では頼りにされている喜びもあった。
やがて、森を抜けると見慣れた建物がセリナの視界に入って来る。カインの部屋だ。部屋とは言っても一軒家ではあるが。
カインは高等部進級を期に、この一軒家を建てさせた。寝起きをこの建物で行い、食事以外では本館に近寄りもしない。また人も寄せ付けなかった。たまにはセリナを入れてはいたが、それも滅多にない。だから今もここにいるに違いない、とセリナは確信していた。彼女は玄関先に立ち、室内に向けて扉越しに呼び掛けた。
「ここにいるの、カイン兄様? いい加減にしないと遅れるわよ!」
呼び掛けてみたが、返事はない。部屋にいると思ってここまで来たが、いないのだろうか。本当に早くしないと間に合わなくなってしまう。そのような事柄を考えていると、不意に扉越しにカインの声が聞こえて来た。