荒らされた家で
「お祖父様、遅れて申し訳ありません」
セリナはとびきりの笑顔を向ける。扉越しで聞いていた会話から、祖父の勝利を感じ取っていたからだ。
「使者殿、紹介しましょう。我が孫娘のセリナです」
「セリナと申します」
優雅な仕草で一礼した彼女に、ドルマーは熱い視線を送っていた。
「これは美しいお嬢さんだ。社交界ではお見受けしませなんだが?」
「セリナは、まだ社交界へ出る年齢ではありませんのでな」
出すつもりも微塵もないがな、とオースティンは心の中で付け加える。セリナは微笑んだまま、祖父の傍らに佇んだ。その間にカレンがテキパキと仕事を済ませて退出して行く。その間もドルマーの視線はセリナに向けられていた。
「さて、それでは伯爵への引見をせねばなりませぬな」
飲み頃のお茶で喉を潤したオースティンは、ぶっきらぼうに告げる。ドルマーは慌てたように茶碗を手にした。
「団長、このような朝早くに訪れては失礼に当たりましょう。少し昔話をしたいと思いますが」
「お気になさらず、伯爵様は気さくで良い方ですよ」
オースティンは柔和な微笑みを浮かべているが、胸中ではドルマーに対して悪態をついている。その彼の様子はセリナにも伝わっていたので、彼女の微笑みはやや引きつっていた。
「先程のメイド、カレン殿ですな?」
「ドルマー、その話はするな」
ギロリと睨んだオースティンの目は、いつになく鋭い。その視線を受けて、ドルマーは震え出してしまった。
「ああ、そ、そうですな、早く伯爵様に引見して頂きましょう」
カタカタと小刻みに震えながら、ドルマーは茶碗を卓上に戻す。オースティンは無言で立ち上がったが、セリナはドルマーが切り出そうとしていた話の続きが気になっていた。しかし、二人の男性は話を続ける様子ではない。
「セリナや、先に朝食を食べていなさい。カインにもそう伝えなさい」
「はい、お祖父様」
一転して柔和な表情でそう告げたオースティンは、後は無言のまま部屋から出て行ってしまった。その後ろに未だ青ざめたドルマーがついて行く。
「カレンとお祖父様、何かあったのかしら?」
もしかして恋愛話なのかもしれないとセリナは含み笑いを浮かべていた。
一方、無言で屋敷の玄関から出たオースティンに、ドルマーは取り繕うように声を掛けた。
「申し訳ありません、団長。彼女の姿を見掛けて、昔を思い出してしまったのです」
「もう良い。じゃから、その話はするな」
不機嫌なのも変わらず、オースティンは昔話を遮る。森の小径を歩きながら、ドルマーが懸命に挽回しようとあれこれ話掛けるが、オースティンは全て聞き流していた。彼の脳裡には昨夜のやり取りが蘇る。ドルマーが来る前に惨状を確認しておきたかったのだが、図らずも彼が早くに到着したので、何も知らないままに状況を即座に収拾しなければならなくなっていた。
「そろそろ伯爵様の自宅に到着致しますぞ、準備はよろしいですかな、使者殿?」
「はい、陛下よりお預かりした書状も携えております」
ようやく声を掛けられて、ドルマーはホッとした表情を浮かべる。白い壁の家が見えて来た。湖を渡る風が心地よく、伯爵がここに居を構えている理由も何となく窺える。しかし二人は近付くにつれ、異様な雰囲気に気が付かされた。
「だ、団長、これは一体……?」
玄関の扉が外れて、階段の上に横倒しになっている。更に玄関の右横にある窓が破れていた。
「何事か、あったようですな」
事前に聞かされていたので何とか落ち着いて話せているオースティンではあったが、それでも心臓は激しく脈打っている。
「は、伯爵様は無事なのでしょうか?」
「貴様、それでも元近衛騎士か、しっかりせい!」
怖じ気づいた様子のドルマーに、オースティンが発破を掛けた。そうでもしないと、オースティン自身も狂乱に陥りそうな惨状なのだ。この状況で、殿下の身は無事なのかと気が気では無い。
「賊が潜んでいるやもしれん。慎重に行動するぞ」
「は、はい……」
オースティンは玄関から左側に回り込み、テラスを覗き込んだ。テラスからも誰かが乱暴に入ったような形跡が残っており、二人は息を飲む。
「酷いな」
オースティンはボソリと呟いて、それからテラスによじ登る。
「ドルマー、ワシは室内を見て来る。貴様は玄関先に戻り、不審な輩が逃げ出さないか見張っておれ」
「はい、分かりました」
丸っきり近衛騎士団にいた頃のように指示して、オースティンは室内に踏み込んだ。室内は荒らされており、物盗りが入ったかのような状況になっている。廊下に一人、夜盗の風体をした男性が絶命していた。
「これは……」
オースティンはその死体を踏まないように気を付けながら更に奥へと進む。寝室にも一人、夜盗の風体をした男性が倒れていた。血溜まりが出来ているが、それ以外は床に血痕はない。ふと外に目を遣ると家の裏の書斎の扉が開け放たれているのが見えた。オースティンはそちらにも足を運ぶ。
書斎の中は大きく荒らされ、アルフォードが所持していたはずの貴重な品々が消え失せていた。
「なるほど……」
オースティンはこれらの様子から筋書きを考える。物盗りの仕業。貴重な品々を書斎から奪おうとした夜盗に気付いたアルフォードが書斎に向かっている間に、寝室にも賊が踏み込み、シェラザードとアリーシャを誘拐しようとした。抵抗したシェラザードではあったが、アリーシャを連れ去られ、貴重な品々も運び出されてしまったので、二人は賊を追い掛けて家を飛び出して行った。
「そのぐらいが妥当じゃろうて」
オースティンが考えをまとめ上げて外に戻ろうとすると、玄関先から大きな声が聞こえて来る。
「うああああ、し、師匠!」
「この声、カインか?」
思いの外、カインが早くに来たのでオースティンは慌てて玄関先に向かった。玄関に通じる廊下には折り重なるように夜盗たちが倒れている。その様子を見て、カインは取り乱しているようだ。
「師匠、どこに隠れているんだよ? 出て来て姿を見せてくれよ」
「よさぬか、カイン」
「うるせー! 離せ!」
ドルマーが後ろからカインを引き留めようとしていたが、彼は身を捩ってその手を振り払った。
「師匠、師匠! またいつものように揶揄っているだけなんだろ?」
「勝手に何でも触ってはならん」
ドルマーの制止も彼は聞いていない。カインは玄関先に転がっていた扉を掴んで横に投げ飛ばした。階段を登ろうとしたところで、家の中から人影が向かって来るのを見て、彼は声を掛ける。
「師匠!」
「ワシじゃ、カイン」
瞬時、喜びの色を見せたカインの表情は、オースティンの姿を認めると明らかに落胆した色に変わった。
「じっちゃん、師匠は?」
問い掛けた彼に、オースティンは首を横に振る。その仕草を見て、カインは膝から崩れ落ちた。
「嘘だろ? 嘘だって言ってくれよ、じっちゃん!」
「姿はなかった。もしかすると、賊を追い掛けて行ったのやもしれん」
カインの肩に手を置いて、オースティンは諭すように話掛ける。
「屋敷から人を呼んで来てくれ。まずはこの惨状を片付け、状況を整理しないことにはアルフォード殿の安否も分からぬままじゃ」
「……分かった」
カインは頷くと、立ち上がり屋敷に向けて駆け出した。その後ろ姿を見送って、オースティンの胸に痛みが走る。本当は無事だと伝えたい。しかしアルフォードとの約束の手前、その事実は伏せなければならない。彼は二律背反に陥っていた。
「団長、中はどのような様子でしたか?」
「アルフォード殿の姿も、殿下の姿もなかった。しかし書斎にあったはずの貴重な品々が荒らされていた形跡からして、賊は犠牲者を出しながらも盗みには成功したようじゃ」
「それでは、かなりの人数で押し込んだと?」
「そうじゃな、問題はそのような盗賊団が潜むような場所がこの近辺にあるのかということじゃ」
二人は首を捻る。トレリット村周辺は治安も良く、盗賊団が潜むような場所はない。仮にそのような盗賊団がいたとしても、近隣地域で被害が出ていないので、突発的に盗賊団が現れたことになる。
「考えるほど、分からなくなります」
「そうじゃな」
ドルマーが眉間に皺を寄せている様子を見て、オースティンは冷静になっていた。事の顛末を知っている身からすれば、この惨状は作られたものだから矛盾点が明らかなのだが、現状のみから推理を働かせても矛盾点の解消が出来ないので手詰まりになってしまう。
「そういう狙いか?」
「団長、何か分かったのですか?」
オースティンが思わず呟いた言葉を、ドルマーは聞き逃さなかった。
「ふむ、もしかすると、伯爵が管理していた魔道具を狙っていたとすれば、大量の人員を他の場所から転移させて来たのやもしれんと思ってな」
「そのような大掛かりな……」
「ああ、荒唐無稽ではあるが、可能性としては否定できん」
オースティンは咄嗟に口から出任せを並べ立てたが、ドルマーは真剣な表情で悩んでいる。
「何にせよ、今は屋敷からの応援を待つ他あるまい」
「左様ですな」
オースティンとドルマーは玄関先の階段に腰掛けて、カインが連れて来るであろう応援を待つことにした。




