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風月佳人・前編  作者: 斎木伯彦
トレリット村の惨劇
35/40

遅れて来たドルマー

 その日、セリナは玄関先から聞こえる大声で目を覚ました。

「……誰?」

 布団の中、隣には愛しい兄が眠っている。大声は屋敷の方向から聞こえて来た。

「オースティン・アシャルナート男爵殿、居られるか? 我々は皇都よりの使者である!」

 セリナは寝ぼけ眼を擦りながら、大欠伸を一つする。窓の外には昇ったばかりのお日様が見えるから、早朝と言って良い時間帯だ。使者の口上に自然と耳を澄ませる。

「開門せよ」

 祖父の声が響いた。アシャルナート邸の正門が開かれる音がセリナの耳にも届く。続けて馬蹄と車輪が転がる音が響き、馬車が入って来たのだと彼女にも理解できた。コツコツコツと足音が響いて、玄関前で使者を出迎えているであろう祖父たちの様子が目の前に浮かぶようだ。

「巡察使のジェラルド・ドルマーです。久しいですな、団長」

「これはようこそおいで下さいました、巡察使殿。当伯爵家の執事を勤める、オースティン・アシャルナートです」

 セリナは、祖父の職業を初めて知った。皇都で騎士を勤め、引退して先祖伝来の土地を守っているのだとばかり思っていたのだが、伯爵家の執事を勤めているとは思いもしてなかったのだ。

「出迎え、ご苦労です。それではトレリット伯、アルフォード・ルフィーニア様に引見願えますかな?」

「ええ、伯爵様に使いを出します故、まずはこちらへ」

 セリナは再び驚愕する。姿を見たことがなかった伯爵が、まさか毎日のように顔を合わせていたアルフォードとは予想の遥か彼方だったからだ。彼女は慌てて寝台から飛び出すと、眠っている兄を尻目に身支度を整える。来訪客がいる場合、兄の性格からして良からぬ事柄が起こると予想して、寝かせたままにしようと決めた。そっと部屋から出ると、急ぎ足で屋敷へ戻る。早朝の屋敷では使用人たちが日常の雑務に追われていて、使者一行の応対に手が足りないはずだからだ。

「そうよ、アリーシャもいないのだし、みな忙しさで手が離せないはずだわ」

 屋敷の裏手から厨房に入り、朝食の準備に追われている使用人たちを見て、彼女は自身の判断が正しかったと確信する。メイド長のカレンを見つけて彼女は歩み寄った。

「カレン、私に手伝えることはあるかしら?」

「お嬢様、お休みでは?」

 カレンは驚いている。それもそうだ。普段の彼女ならば、寝台で夢の中にいる時間帯だ。

「皇都から使者様がお越しでしょう? 私が出た方が、お祖父様も心強いのではと思ったのよ」

「そのお心遣い、きっとオースティン様もお喜びになるでしょう。それではお召し替えをなさって下さいませ」

 カレンは表情を柔和にしてセリナを控え室に連れて行った。普段着から淡青色のワンピースに着替える。銀の髪を一つにまとめると、頭上で編むように巻き上げた。

「それではわたくしと共にお越し下さい」

 手押し車には揃いの茶器と、アルフォードから贈られたフルーツケーキが載せられている。その手押し車をカレンが押し、後ろからセリナがついて行った。応接間の扉の前に着くと、カレンが彼女を制する。

「室内でのやりとりを邪魔してはなりません。まずは様子を窺うのが肝要です」

「え?」

 セリナが驚いて立ち竦んでいると、カレンは扉越しに聞き耳を立てて中の様子を探った。セリナもやや遅れて聞き耳を立てる。

「……で、このような早朝から押しかけて来るとは、どのような急ぎの用件ですかな?」

 穏やかな声の主はオースティンだ。対する使者はやや慌てた感じで巻くし立てる。

「ですから、先程より述べております通り、貴殿の後見されているカイン殿が騎士叙勲を受ける立会人として、参上したまでです」

「それだけではありますまい。巡察使と兼任ならば陛下より言伝なり、書状なりがあるのではないか?」

 セリナは騎士叙勲について詳しくは知らないが、やり取りの不自然さには気付いた。

「流石は団長、確かに陛下より勅旨を賜っております」

「聞こう」

 扉越しに聞き耳を立てるセリナも、皇王からの言葉があると聞いて緊張してしまう。兄が特別扱いされていると感じ、誇らしいと同時に理由が思い当たらず疑問も湧いた。

「この度、カイン殿の騎士叙勲に当たり、後見人をあの方に為されたこと、並びに皇都に来られない、そのことにつきまして陛下は心を痛めております。その上で、我々を派遣された事態の重さを、貴殿ならば充分に理解して頂けるものと心得ます」

 使者がそう告げると、室内には沈黙が訪れる。セリナはこの瞬間にも室内へ入って雰囲気を変えようとも思ったが、カレンは動かなかった。

「失礼を承知で申し上げるが、勅使殿、いやドルマー。お主は全てを聞いて、ここへ参ったのだな?」

「ええ、トレリット伯のことも、カイン殿のことも全て陛下より拝聴致しました。率直に言って、今でも信じられません」

「そうか、お主の口の堅さは当代では並ぶ者もおらぬとは言え、陛下は秘密を漏らしてしまわれたか」

 やれやれと言った風情で首を横に振るオースティンの姿が、扉越しでもセリナは想像できた。

「カイン殿は、降嫁されたとは言え、皇女殿下の子息にして、トレリット伯の子息でもあります。陛下はその事実を鑑みて皇都の然るべき場所で、然るべき叙勲式をと……」

「それでは約束と違いますな」

 使者の述べる口上を遮って、オースティンは不機嫌な声を出す。

「カインは皇都にて死亡したことになっているはず。その事実を隠蔽する為に、孤児としてワシが引き取り、ここで養育して来た。それもこれも全ては陛下の御為、皇国の安定の御為と思って不名誉も厭うものではなかった」

「団長が引退した経緯も伺いましたが、陛下はそのことについても……」

「ならば、あの子については、自由にさせてやって下され」

 有無を言わせぬ迫力でオースティンは使者の言葉を再び遮った。

「それは重々承知しております。されど皇女殿下より陛下へ申し立てが行われ、それについての勅答も承っております」

「殿下が、ですか」

 オースティンはその事実を知っていたが、敢えて知らない振りをする。外で聞き耳を立てているセリナは展開が急過ぎて、理解が追いつかなかった。

「皇女殿下より陛下へ、カイン殿の後見人はアルフォード・ルフィーニア殿に、騎士叙勲式の会場はトレリット村にてとの力添えを頂きたいとの由でした」

「ほう、それで陛下の仰せは?」

「陛下は、勅許を下されました。継承権を放棄し、皇国への貢献も著しいトレリット伯からの願いは無視できないと仰せです。されど、後見人はオースティン殿、貴殿が務めるようにとも仰せでした」

 ドルマーの言葉を聞いて、再び沈黙が訪れる。今度こそ入室するのかとセリナがカレンを見ると、彼女は首を横に振った。

「ワシはかつて、殿下にお仕えしていた身だ。殿下のご意向に背くことはできませぬ。されども陛下に長年仕えていたのもまた事実」

 長い沈黙を破ってオースティンが口を開く。

「陛下の宸襟を煩わせることもないと、重ねて申し上げましょう」

「それは何よりです。それで叙勲式はいつ執り行いますかな?」

 安堵したような声でドルマーが尋ねた。

「そうですな、叙勲式なら、一昨日に恙無く終わりましたぞ」

「左様で……」

 平然と答えたオースティンの言葉に、ドルマーは返答しようとして呆気に取られる。

「は? 叙勲式を一昨日に」

「何か不都合でも?」

 怒気を含んだドルマーの声とは対照的に、オースティンは平静の口調で尋ね返した。

「不都合も何も、叙勲式は延期するよう、陛下より伝達があったはずですぞ」

「ああ、確かに、何やらそのような戯言を述べに来た者がおりましたな」

「オースティン殿、これは明確な叛意ですぞ、事の重大性を貴殿ならば理解されているはずでは!」

 熱くなりつつある使者に対して、オースティンは冷ややかに返す。

「ドルマーよ、何故、お主が陛下の勅使が遣わされたことを知っておるのかな?」

「そ、それは私が叙勲式の立会人を承ったからで……」

「ほう、それで何故、勅使の伝達内容までお主が知っておいでなのか、聞かせてもらおうではないか」

 オースティンの鋭い眼光は全てを見通しているかのようにドルマーは感じた。否、近衛騎士団長として務めていた彼が儀式典礼に通暁している事実を忘れていたドルマーの完全な過ちである。

「それは、その……、あ~……」

「嘘はいかんぞ、ドルマー」

「ひ、平に……、平にご容赦を」

 床に這いつくばってドルマーは許しを請うた。下手に嘘を塗り固めるよりも、素直に謝った方が許される可能性が高いことを、騎士団に所属していた頃に学んでいる。オースティンは小さく溜息をついた。

「お主、相変わらずだな。まあ、今回の件は不問に付すが、条件がある」

「はい、何なりと仰せ付け下さい」

 ドルマーは今回の不祥事が明らかになった場合、皇王の名誉に傷をつけたとして厳罰に処される可能性が高い。彼は何が何でも事態の揉み消しを図りたかった。そしてオースティンの側にもこの後に控える重大な事実の隠蔽も含めてドルマーを抱き込む必要性に迫られていた為、二人の思惑は期せずして一致する。

「簡単なことだ、叙勲式の後見人は殿下のご意向に沿って、アルフォード殿が務めたと報告されるだけで良い。貴殿は叙勲式に出席し、ワシと殿下の剣幕に押されて致し方なく承諾したと陛下に上奏すれば咎めはあるまいよ。それについては、ワシからも陛下に口添えしよう」

「は、はい。寛大なる措置に感謝致します」

 立ち上がって一礼する彼に、オースティンは内心でホッとする。これでどうにかカインの騎士叙勲は正式に認められるとの目算が立ったからだ。

「では、お茶でも如何ですかな、ドルマー殿」

 その言葉に、扉の外にいた二人がハッとする。カレンが手押し車に手を掛け、セリナに目で合図する。コクリと小さく頷いて、セリナは扉を叩いた。

「お祖父様、セリナです。お茶の準備をして参りました」

「入りなさい」

 入室の許可を受けて扉を開く。カレンと共に歩みを進めるセリナの表情は固かった。

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