生還
「オースティン」
屋敷の外から彼は魔法で呼び掛けられた。熟睡していたはずだったが、彼は意識を覚醒させる。老体に鞭打ち彼は窓辺に顔を出した。
「このような夜更けに何用ですか、アルフォード殿?」
窓を開けた彼は、外の光景を見て唖然とする。胸の辺りに穴が開き、血で染まった服装のアルフォードが揺り籠を手にしていたのも驚いたが、彼の後ろには二人の女性が眠ったまま宙に浮いていたのだから驚くなというのが無理である。
「如何されました?」
「長く説明をしている余裕はないが、それでも聞いて欲しい」
アルフォードは先程の襲撃を掻い摘まんで説明する。アリーシャが狙われ、自身と妻であるシェラザードが負傷したことを。
「そ、そのようなことが」
「ああ、寝込みを不意打ちされては、流石に防ぎようもなかった。シェラは深手を負い、治療に専念しなければならないほどだ」
「殿下が?」
オースティンは完全に眠気が飛んで行ってしまった。
「シェラの安否については、私からも皇王に説明する。彼女が健在でなければ、このトレリット伯爵領は皇王の元に返還されてしまうからな」
「殿下が健在であれば統治そのものは、これまでと変わりありませんな」
トレリット村の運営はオースティンと、西村の代表が執り行っているので支障は全くない。むしろ領主が交代する方が不便になる可能性が高かった。
「それから、娘のことだ」
アルフォードは揺り籠に寝かせている赤子を見せる。
「この娘は、アリーシャ。本来であればカインの姉になるが、理由があって赤子の姿をしている。夕刻、説明したメイドのアリーシャでもある」
「何ですと!」
さしものオースティンも信じられないと言った風情だ。しかしアルフォードは委細構わず説明を続ける。
「この娘には、この後の人生がある。奴らに狙われるだろうから、どうか保護してやって欲しい。時機を見て、皇都の女学院に入れてやってくれ」
「さしもの私でも、この娘が女学院の入学適齢までは寿命がある自信はないですぞ」
「そこは案ずるな。年齢はどうとでもなる」
アルフォードの言葉が意味する内容が理解できず、オースティンは首を傾げた。
「それから、この娘たちは、私の縁者として世話をして欲しい」
「こちらの二人は?」
「何も聞くな。聞けばお前の身に災いを呼び込む。私が理由も告げずに押し付けて行ったことにしてくれ」
「分かりました、引き受けましょう」
真剣な表情のアルフォードに、何を聞いても無駄と判断してオースティンは承諾した。
「それと、この二人の住居は湖の向こうに建ててやってくれ。こちら側では不都合もあろう」
「仰せのままに」
一通りの事柄を決めて、アルフォードの表情には幾分か余裕が戻って来る。
「さて、女学院の入学適齢は幾つだったかな?」
「下限年齢は十二歳ぐらいだったはずです」
「そのぐらいだったか、細かいところは他の者に任せたから、あまりよく憶えていない。では、もう一細工する前に、彼女たちを寝かせる部屋に案内してくれ」
「寝具の用意をメイドに申し付けると、機密が漏れるやもしれません」
「部屋さえ案内してくれれば、後はこちらでできる」
「分かりました」
オースティンは二階の来賓用に用意した部屋へ彼らを案内した。寝台も二つあり都合が良い。
「良い部屋だな、それでは二人は夜更けに屋敷に到着し、長旅に疲れてこの部屋で休んでしまったとしよう。」
「はい」
アルフォードが語る内容をオースティンは記憶に留めようと努力した。その間に、彼は魔法で寝台を整え、二人の女性を寝かせる。
「アルフォード殿、お二人の移動手段は?」
「歩きだと不自然だな、とは言え、馬車での移動も夜中は無理がある」
オースティンに指摘されて、彼は考えた。
「では、これを出しておこう」
アルフォードが何事か唱えると、その場に一枚の紙が出現する。その紙は竜の形をしていた。
「これを使ったことにしよう」
「それは何でしょう?」
オースティンは困惑を隠せない。
「魔法の力で、空飛ぶ竜になる紙だと説明すれば良い。現在は魔力を使い果たし、ただの紙切れになったとすれば怪しむ者も少ないだろう」
「分かりました」
彼の意図を察してオースティンは頷いた。
「後で、二人の身の回りの品々を詰めた鞄を持って来る」
「仰せのままに」
オースティンは詮索をしない。近衛騎士として長年に亘って勤めた経験と、トレリット伯爵の領地経営を代行して来た経験から、アルフォードの過去や考えを詮索しても無駄だと身に染みているのだ。
「それでは次はアリーシャだな」
アルフォードに促されてオースティンも部屋を出た。
「部屋で待っていてくれ」
「はい」
二人を寝かせた部屋を後にする際、アルフォードは一度だけ振り返る。オースティンは階下の部屋に戻った。アルフォードは揺り籠のアリーシャを連れて行ってしまう。
「やれやれ、毎度のことながら、厄介事を持ち込まれる方だ」
部屋に戻ったオースティンは椅子に腰掛けながら溜息を漏らした。
「それに殿下が深手を負われるとは……」
アルフォードの実力は身を以て知っている。騎士団長として数々の戦功を挙げた彼でさえも決して敵わない相手だ。そのような人物に奇襲を成功させ、更には怪我をさせた者の存在も気掛かりだった。
「あの傷は、致命傷のはず」
オースティンは、アルフォードの胸の辺りにあった衣服の穴と、背中にあった穴に気付いている。その位置は心臓を貫通した傷と彼の実務経験から判断していた。
「そのアルフォード殿が深手と言っているのだ」
シェラザードが姿を見せない理由を、彼は最悪の事態と想定してしまう。
「今は殿下の回復を祈ろう」
彼が落ち着かない心境で待っていると、再びアルフォードが窓辺に現れた。今度はその腕に一人の黒髪の少女を抱えている。
「待たせたな」
「アルフォード殿、その娘は?」
オースティンの声は震えていた。アルフォードの腕の中にいる少女は紛れもなくアリーシャだったからだ。
「私の娘のアリーシャだ。しかし、名を変えなければ不審に思われるだろう」
「左様ですな」
ゴクリと生唾を飲み込む音が響く。オースティンは理解が追いつかない出来事が立て続けに起きていて、混乱寸前だった。
「オースティンを信頼しているからこそ、こうして全てを明らかにしているのだ」
「ええ、分かっております、アルフォード殿。貴殿と殿下の信頼に応えられるよう、このオースティン、粉骨砕身で働かせて頂きます」
律儀に頭を下げるオースティンを、アルフォードは優しい目で見る。
「それでは、どのような扱いにしましょう?」
「行儀見習いとして働かせてやってくれ。それから皇都の女学院に入学できるよう手続きして欲しい。」
「畏まりました」
「私は皇都に向かい、皇王に報告すると共に、シェラの治療に専念する」
「安否については、どうされますか?」
オースティンに尋ねられて、アルフォードは顎に手を掛けて少し考えた。
「安否不明で構わない。カインは動揺するだろうが、あの子には精神的に強くなって欲しい」
「分かりました。貴殿の教育方針は厳しめでしたな」
ニヤリとオースティンが笑うと、アルフォードも笑顔で受け答える。
「物盗りの仕業に見えるよう、家の中を荒らしておくから、その方向で対処してくれ」
「はい、生存を期待させる程度で願います」
アルフォードがお膳立てしているので、オースティンにも事態を楽しむ余裕が生まれていた。二人は部屋を出ると、先程の客室の隣へ入室する。
「アリーシャは私の娘だが、それは伏せなければならない」
「ええ、それでは私の縁者にしましょう。他国にあるアシャルナートの分家から、皇都への留学希望で訪れたことにすれば不自然ではないはずです」
「そうだな」
アルフォードは寝台の上に娘を寝かせた。
「そうすると、同名でも問題はないか」
「そうですな、偶然というのは起こり得るものです」
娘の頭を撫でるアルフォードの表情は穏やかだが、その胸中までは分からない。オースティンが軽口めかしているのも、少しでも心の負担を和らげたいとの心遣いからだ。
「それでは、後を頼む」
「はい、お任せ下さい」
力強く頷いたオースティンに、アルフォードも頷き返す。光が彼の身体を包み込むと、次の瞬間には消え去っていた。オースティンはふうっと溜息を漏らしてから自らの部屋に戻る。
「夜が明ければドルマーも来る。大変な一日になりそうじゃわい」
オースティンはそれまでに少しでも休んでおこうと、早々に寝台へ横になった。




