生と死の狭間
闇の中で苦悶の息遣いが響く。白壁の家の周囲には複数の男女が横たわっていた。いずれも絶命している中で、命の灯火を繋ごうと足掻く者が一人。
「く……、シェラ……、アリーシャ……」
アルフォードは呻く。一度は塞がったかに見えた彼の胸の傷口は、無理して立ち上がった時に再び開いていた。鮮血が溢れ彼の意識も共に流してしまいそうになる。
「……このままでは、誰も助からない。決して、そうはさせない」
彼の瞳が爛々たる光りを帯びた。剣を握る右手に力を込める。
「龍玉石よ、我が求めに応じ、我が命を繋ぐ姿を取れ」
剣は光を放つと、その姿を変貌させた。長に代々伝わるこの秘宝は、使用者の求めに応じて形を変化させる。光芒となった石はアルフォードの背中に張り付くと、彼の身体へと吸い込まれた。
「何が……?」
彼でさえも予期せぬ事態に困惑するが、徐々に意識がハッキリして来る。龍玉石は彼の傷口を塞ぐと、傷付いて機能が低下していた心臓に代わって血液の循環を行っていた。
「これなら、何とか、なりそうだ」
ヨロヨロと立ち上がり、玄関先に寝かせていた最愛の妻の元に歩み寄る。透き通るように白い肌が夜目にも鮮やかだが、その白さが今は際立っていた。
「シェラ……」
彼女は眠っているようにも見えたが、全く動いていない。恐る恐る彼が確認すると彼女の呼吸も、脈も止まっていた。彼の目尻から熱い滴が溢れ出す。
「シェラ、お前まで私を置いて逝ってしまうのか……」
彼の胸中には、かつて長く苦楽を共にした者の思い出が去来した。あの時の悲しみを癒し、虚無感を満たし心の穴を埋め合わせたのがシェラザードという存在だ。その彼女をこのまま失ってしまうのは、とてもではないが耐えられそうにない。彼は返事をしない彼女の身体を抱え上げ、ギュッと抱きしめた。彼女の身体からは急速に夜の闇へと温もりが逃げて行くようだ。その温もりを逃さないように、彼は強く抱きしめた。
「お前を失いたくない。私は天地の理を曲げてでも、お前を失いたくはないのだ」
悲痛な叫びは彼自身を鼓舞する。涙を拭い彼は妻の身体を抱えたまま立ち上がった。ゆっくりとした動作で、彼は家の中に入る。奥からは赤子の泣き声が響いていた。
「アリーシャは無事か」
寝室の隅にある揺り籠の中で、アリーシャは元気に泣いている。それだけが唯一の救いとも言えた。妻の身体を抱えたまま、朱に染まった寝具に向けて魔法を使う。寝具は瞬時に美しい真っ白なシーツに変わった。そのシーツの上に妻を寝かせる。
「少し、待っていて下さい」
妻の唇に自らの唇を押し付けて、弱々しく微笑んだ。揺り籠の中で泣いている娘を抱え上げると、彼女はピタリと泣き止む。揺り籠を持ち、そのまま彼は愛娘を居間へと移した。
「お前も、少し待っていなさい」
アルフォードは眠りの魔法を使って娘を寝かしつける。悲壮感を漂わせながら彼は家の奥に足を運んだ。家の奥、離れの書斎には蔵書の他に、貴重な魔法の道具が収納されている。その中から彼は必要な材料を手にした。
「よし、必要な種類と数は揃っている。手順さえ間違えなければ、大丈夫だ」
書斎から寝室に戻り、寝台に横たえた妻の周囲へ宝玉を並べる。色とりどりの宝玉は、その全てがたった一つで皇都に大きな屋敷を構えられるだけの価値があった。それを惜しみなく天宮の数に合わせて並べる。そうして準備作業に没頭している内に、彼は平静の落ち着きを取り戻していた。
「シェラ、私には貴女が必要だ。もう一度、貴女の笑顔が見たい」
決然として彼は彼女に呼び掛けると、その魂を呼び戻すべく儀式の準備を再確認する。
「道具も揃っている。体調は万全とは言えないが、それでも完遂可能だ」
彼は最後に、彼女の胸の上に金剛石を置いた。彼は寝台の横に立つと、杖を手に呪文を唱え始める。杖の先が輝き、膨大な量の魔力が集まり始めた。そこからシェラザードの周囲に並べた宝玉に魔力が流れ込み、結界を形成する。彼女は輝きながら宙に浮かび上がった。彼の声が一際高く響くと同時に、周囲に集まっていた魔力が胸の上の金剛石を通じて彼女の身体に注ぎ込まれる。目もくらむような輝きを発して、金剛石と宝玉は砕け散り儀式は終了した。
「成功した、か?」
輝きに眩惑された目が徐々に周囲の明るさに慣れて来る。寝台の上には二人の女性が横になっていた。
「バカな、何が起きた?」
起こり得るはずもない事態に、彼は混乱寸前だった。招魂の儀式は亡くなった当人の魂だけを呼び寄せる儀式で、他の魂が入り込む余地はない。だが現実は二人の女性が目の前にいた。健やかな寝息を立てているのが救いではあったが。
「分離、した?」
二人の女性の顔立ちはシェラザードを彷彿とさせたが、髪の毛は赤い髪と青い髪になっている。年齢的には彼と出会った頃に近いだろうか。どうしてこのような現象が起きてしまったのか、彼は考え込む。
「いや、考えても答えは出ないだろう。それよりも急いで今後の事を考えなければ」
家は荒らされ、更に庭には一族の者たちの遺体がある。一族の存在が地上の民に知られるのは回避しなければならないので、密かに埋葬する必要があった。そうなると家の状況からして、アルフォード夫妻は夜盗に寝込みを襲われて奮戦空しく命を落としたか、或いは夜盗を追い掛けて行ったように偽装する必要もある。
「オースティンに説明と、事後処理を任せなければならないな」
朝を迎える前に全てを終わらせようと、彼は行動を開始した。二人の女性を魔法で宙に浮かせると、寝室から運び出す。次いで居間に寝かせておいたアリーシャを拾い上げた。彼はそのままアシャルナート邸に向かう。
「しかし、何と説明したものか……」
道中、彼は状況の説明を何から始めるか悩んだ。それと共に、シェラザードが亡き者になったと皇王の耳に入るのは絶対に避けなければならない命題だ。トレリット村は元々、皇王の直轄領だった。それをトレリット伯爵の領地として分割し、その運営をオースティンが代執行しているのは伯爵の意向と皇王の温情に因る。そのトレリット伯爵こそ、シェラザードその人なのだ。彼女が亡くなったとなれば、その領地は皇王の直轄地に戻される公算が高い。
「かと言って、私が伯爵代行というのも手続きや、カインの身の安全を考えると避けたい話です」
またトレリット村が産出するラピスラズリブルーの染料も皇国内の貴族が虎視眈々と独占を狙っている貴重な資源だ。下手な動きをすれば内戦に繋がり兼ねない代物で、カインやセリナの安全を保つには穏便に事態を収束させる必要にも迫られていた。
「領地の保全にはあの男の力を借りるとして、問題は分離してしまったシェラの生活ですね」
チラリと空中を浮かせて連れて来ている二人の女性を振り返る。眠っている彼女たちがどのような記憶と人格を持ち合わせているのか、それすらも不明だった。
「それはいけない」
このまま二人をオースティンに引き合わせる失態に彼はそこで気が付く。小径の上に敷物を広げると、そこへ二人を寝かしつけた。
「二人とも目を覚ましなさい」
彼の呼び掛けに、女性たちが薄らと瞼を開く。間髪を入れず、彼は二人の意識を魔法の力で半覚醒状態に固定した。
「私の質問に答えなさい」
コクリと二人が同時に頷く。彼は赤い髪の女性の額に手を当てて質問を始める。
「まずはお名前を教えて下さい」
「エルフィーヌと申します」
妻と似た声だが、微妙に違う印象だ。
「エルフィーヌさんは、どこから来ましたか?」
「わたくしたち姉妹は、何も存じません」
「ふむ、では貴女の姉妹のお名前は?」
「妹はシルフィーナと申します」
名前以外は何も、生い立ちなども含めて一切の記憶を持ち合わせていないと判断して、彼は偽りの記憶を植え付けることを思い付いた。
「貴女方姉妹は、トレリット伯爵の遠縁に当たる姉妹で、両親を亡くした為に遠方より旅して来ました」
彼はざっとした生い立ちと村へ来た理由などを彼女たちに語り、それを生来の記憶として魔法の力で定着させる。
「では、もうお休みなさい。良い夢を」
一通りの事柄を植え付けると、彼は再び彼女たちを眠らせ、アシャルナート邸に向けて歩みを再開した。




