闇からの逆襲
「エリス様、ご報告があります」
闇の中、金髪の女性が自らの主に頭を下げる。
「モリー、月の娘は始末できましたか?」
「それにつきましては兄より説明があります」
モリーの隣の男性は深々と頭を下げた。
「エリス様に申し上げます。アリーシャは任務に失敗し、行方知れずとなりました」
「ほう?」
エリスの眉がピクリと動く。
「後始末を私が執り行おうとしましたが、長に妨害されてしまいました」
「なんと!」
長らく行方不明だった長の居場所が判明したと伝えられ、エリスは驚きの余り椅子から立ち上がった。
「どこじゃ? どこに長はおられるのじゃ?」
「落ち着いて下さいませ、エリス様」
モリーの言葉で我に返ったエリスは、再び腰を下ろす。
「長は巧妙に気配を偽装し、また隠蔽しており、容易にその居場所は特定できませんでした」
「それで、おめおめと帰って来たと申すのか?」
途端に不機嫌になるエリス。
「いえ、そこで月の娘を利用し、アリーシャに渡していた首飾りと同じものを持たせてあります」
「それで、どうなる?」
「はい、月の娘が持っているならば月の娘の居場所を、長が月の娘を庇護していれば長の居場所へと我々を導いてくれるでしょう」
モリーの報告に、エリスは傍らの老従者を見上げた。
「ウィルオード、どう思う?」
「はい、我が子らの計略は実に巧みで、必ずやエリス様のお心に適う結果をもたらすでしょう」
「あい分かった。それではモリー、カイザー、案内せよ」
「はい」
エリスが立ち上がり、その彼女を先導するように兄妹が進む。彼女たちの後ろには幾人も連れ立って行った。
暗闇の中を音もなく進む者がいる。カイザーは、首飾りの反応を頼りに湖の東側へエリスらを案内した。目の前には白い壁の一軒家がある。
「こちらです」
「ここに長が?」
エリスは興奮しているようであった。
「エリス様、長は私を返り討ちにしたと思い込んでいるはずです。私はしばらく闇に潜み、機会を捉えて加勢致します」
「そなたの奇襲であれば長も防ぐのは難しかろう。許す」
「それでは」
カイザーは闇に飲まれるようにして姿と気配を消す。
「決して逃がしてはならぬ。もし中に抵抗する者があれば、容赦なく切り捨てよ」
エリスの視線には憎しみの炎が宿っているかのようだった。モリーが合図を送ると、カイザーが育てた手練れの者たち十人余りが一軒家を囲むように展開する。
「やれ」
モリーの冷徹な命令を受けて、影たちは一斉に家の中に飛び込んで行く。
「さて、長はここにいらっしゃるのでしょうか?」
エリスの傍らで従者は興味深げに成り行きを見守っていた。エリスは手にした杖を強く握り締めている。やや緊張しているようだ。ややあって、けたたましい赤子の泣き声が家の中から響き渡る。続けて、大きな女性の悲鳴が上がった。
「どうやら、月の娘を仕留めたようですね」
「それは、どうかの。妹の声ではなかった」
エリスが見詰める先で、家の中から黒い物体が飛び出して来る。モリーが槍を構えて彼女を庇うように前に出た。しかし飛び出した物体は庭先に転がる。
「何でしょう?」
モリーが黒い物体の正体を慎重に確認すると、それは家の中へ押し入った彼女たちの同胞だった。既に絶命していて、何が起きたのかまでは確認できない。
「エリス様、少し下がりましょう」
二人がその場から動くよりも早く、次々と同胞たちが家の中から投げ出されて来た。最後に何かを抱えた男性が飛び出して来る。
「お前は、エリスか?」
「長よ、このようなところにおいででしたか」
心底嬉しそうな笑顔を浮かべてエリスは答えた。しかしアルフォードの視線には憎しみが溢れんばかりだ。
「シェラ、逝くな。ほんの少し待っていてくれ。お前まで、私を置いて逝くんじゃない」
彼の腕に抱かれているのは、胸から大量の出血をしている妻のシェラザードだった。先程の大きな悲鳴は彼女のものである。
「長よ、泥棒猫はもう助からないでしょう。さあ、妾と共に城へ帰りましょう」
「エリス、私はお前を許せない。ルーを狙い、今またシェラの命を奪わんとするお前だけは」
治癒魔法でどうにか妻の出血を止めたアルフォードは、ユラリと幽鬼のように立ち上がった。
「ホホホ、何を仰いますやら。あなたの妻は妾一人、そう正妻である妾以外、側室も含めて誰もおりませぬ。さあ、帰りましょう」
アルフォードから立ち上る殺気にも怯まず、彼女は微笑み掛ける。傍らのモリーは流石に後退った。
「エリス様、長はお怒りのようです」
「ああ、私はこれほど、誰かを憎いと思ったことはなかった。エリス、お前は越えてはならない一線を越えたのだ」
アルフォードは玄関先に寝かせた最愛の妻に視線を向ける。
「シェラ、すぐに助ける」
彼の手元には長大な剣が握られていた。それは長に継承される剣で、あらゆる存在を滅ぼすとされている代物だ。モリーの表情が引きつる。並大抵の攻撃ならば防ぎようもあるが、長の本気の攻撃には対処できる自信がない。それに怒髪天を衝く様子の彼には話し合いという選択肢もなさそうだった。
「長よ、冗談が過ぎます。そのような者なぞ、捨て置けば良いのです」
「エリス様、お止め下さい」
アルフォードの怒りの炎に油を差す行為は、モリーの恐怖心をも煽る。
「言いたいことはそれだけか?」
「ええ、長よ、妾と共に城に帰りましょう。お辛いことも妾が忘れさせてみせます故に」
エリスの態度は全く変わらなかった。それが彼に重大な決断を下させる。
「エリスよ、お前は、私の正妻ではない。私の正妻は、ここにいるシェラ一人だけだ」
「何を? 妾は一族の掟に従って継承式で認められた正妻です。誰が何と言おうとも、この地位だけは譲れませぬ。長よ、たとえあなたであろうとも!」
アルフォードは首を横に振った。
「何と愚かな……、哀れなエリス」
彼は剣の切っ先を左肩から横へ突き出す。モリーの頬が引きつった。彼の構えは迫り来る隕石さえも切り裂くと言われる、一族に伝わる最大級の剣技の初期動作だ。長が本気で彼女たちの命を奪うと感じて、モリーの背中に冷たい汗が流れた。
「エリス様は私が命に換えても守ります」
「無駄だ」
あらゆる存在を両断する剣技の前では防御など無意味だ。アルフォードは剣を振り抜こうと右手に力を込めた。刹那、彼は胸に熱さを感じる。視線を落とすと彼の胸板から黒い物体が飛び出していた。
「な、に……?」
「長よ、油断したな」
背後からの声はカイザーだ。
「生きて……、いた、のか……?」
「我は不死身」
背後からアルフォードの胸を貫いているのはカイザーの短剣だった。彼は無造作にその漆黒の刃を引き抜く。アルフォードの胸からは真紅の鮮血が勢いよく噴き出し、彼の体力を奪う。地面に膝から崩れる彼の姿を見て、エリスは高らかに笑った。
「正義は必ず勝つのじゃ。長よ、妾をないがしろにした報いです。そのまま命を終わらせるがよろしかろう。城のことは、妾とアベルにお任せあれ」
エリスの両脇にはモリーとカイザーが並ぶ。三人は地面に倒れ伏したアルフォードを見下ろしていた。
「あの泥棒猫も放っておけば終わるじゃろうて。存分に苦しみ抜いて死ねば良いのじゃ」
「エリス様、長を助ければ恩を売れるのではありませんか?」
モリーの提案をエリスは拒否する。
「ならぬ。長は地上で絶命、アベルが新たなる長として一族を治める。それで良い」
彼女たちが悠長に話している間、アルフォードは自らに治癒魔法を施していた。応急的に出血を止め、体力の流出を防ぐ。
「月の娘も、長が死んだと知れば、悲嘆の余り自ら命を絶つやもしれぬ。これは愉快愉快」
「エリス様、禍根を残してはなりませぬ。私が直ちに始末して参りましょう」
カイザーの言葉を受けてエリスは承諾しようとした。
「……させぬ」
アルフォードが力を振り絞って立ち上がる。カイザーは短剣を構えると、彼に斬りかかった。
「死に損ないめ」
青白い顔をしたアルフォードには俊敏な動きは出来ないと判断して、カイザーは一直線に切り込む。
「甘い」
アルフォードは長剣を杖代わりにして立っていた。そのような体力だからこそ、剣技には頼らない。
「氷槍」
短く呪文を唱えて、複数の氷の槍を形成して射出した。カイザーは両腕を顔の前で交差させて防御姿勢を取ったが、数本がエリスに向かう。彼女は反応が遅れて直撃するかに見えた。
「エリス様!」
咄嗟にモリーが身を挺して庇う。氷の槍は彼女の身を貫いた。
「モリー?」
鮮血が飛び散り、エリスの頬を濡らす。力なくモリーが崩れ落ちた。次いで、アルフォードもその場に崩れるように倒れる。
「カイザー、戻るのじゃ!」
「はっ」
主の命令に彼は身を翻した。
「モリーを連れて、すぐに帰還じゃ。長は捨て置け」
急所を外しているとは言え、氷の槍がモリーの腹部を貫いている。カイザーは妹に応急手当を施して止血すると、彼女を背負った。そのまま三人は闇に溶け込むようにして姿を消す。後に残るのは静寂のみ。




