アリーシャの行方
「アルフォード殿が?」
セリナは屋敷に戻るとすぐに祖父の部屋に向かった。すぐに訪れるとのアルフォードの言葉を伝えるとオースティンは目を細める。
「そうか、そうか。お前は良い子だのう」
オースティンに頭を撫でられて、セリナは満面に笑みを浮かべた。しかし内心では罪悪感に苛まれている。相談もせず勝手にアルフォードを訪ねたこと、そこでアリーシャのことを話したこと、更に嘘をついてしまったことなどが彼女の心を押し潰そうとしていた。それも祖父に褒められれば褒められるほど、労りの言葉を受ければ受けるほどに重圧は強くなる。できればすぐにでもこの場から逃げ出してしまいたい気分だった。
「アルフォード様がお越しです」
「うむ、お通ししてくれ」
メイドがアルフォードの来訪を告げに来る。オースティンが即座に指示を出したのでメイドも即座に退出した。セリナはこれを好機と捉えて退出しようと試みる。
「セリナや、お前はここに残りなさい」
彼女の気持ちを知ってか知らずか、オースティンはメイドに続いて退出しようとした彼女を呼び止めた。彼女は渋々残る。そこへアルフォードがやって来た。
「相談事があると伺いました」
「お待ちしておりましたぞ」
オースティンは相好を崩して出迎える。
「実は、当家のメイド一人が朝から行方知れずになっておりまして、それでご相談をと」
「そうでしたか、分かりました」
概略を伝えられたアルフォードは、ジッとセリナを見詰めた。当惑した彼女にオースティンが声を掛ける。
「おお、そうじゃセリナ。茶と菓子を用意してくれ」
「はい、お祖父様」
彼女はこれ幸いとばかりにいそいそと部屋から退出した。厨房でオースティンからの指示を伝えると、セリナは手近にあった椅子に座り込む。
「大丈夫かな?」
ぼんやりと考えた。少しだけ嘘を混ぜてしまったので、二人の会話が円滑に進むのか、もしかすると彼女自身の嘘が明かされてしまうのではないかと不安が募る。目の前では伝えられた指示をテキパキとこなすメイドたちが、与えられた仕事を完了させていた。
「お嬢様、用意ができました」
「ありがとう、それでは私が持って行きます」
用意された茶器は二客、それに先程、アルフォードの家で渡されたフルーツケーキを切り分けてお皿に盛り付けされている。それらを手押し車に載せて、セリナは祖父の執務室へと戻った。しかし、その足取りはやや重い。心の重圧に比例して、彼女の行動にも圧迫を加えていた。
「お祖父様、セリナです」
扉を軽く叩いて呼び掛ける。緊張で震える手を何とか動かして、彼女を扉を開いた。
「おおセリナ、待っておったぞ」
喜びに満ちたオースティンの声が彼女を迎える。二人は執務室の入り口付近にあった応談用のテーブルを挟んで腰掛けていた。何が起きたのか理解できないまま彼女は、用意して来たお茶とお菓子を二人の前に差し出す。
「それでは失礼します」
一礼して退出しようとした彼女を、オースティンが呼び止めた。
「セリナ、お前も聞いて行きなさい。何が起きたのか知らないままでは寝覚めも悪かろう」
「はい、お祖父様」
「では、もう一度、説明願います」
オースティンに促されて、アルフォードは咳払いを一つすると説明を始める。
「実は先程、セリナ君に話を伺った時から、何と説明して良いのか、ずっと考えていたのですよ」
アルフォードの口から流れる言葉に、彼女は小首を傾げた。
「オースティン殿との話と照合して、確証が持てましたので説明しましたが、アリーシャという名のメイドには昨夜、私が出会っております」
「え?」
思わず声を漏らしたセリナに、二人の視線が向く。赤面して彼女は俯いた。
「思い悩んだ様子で湖の畔に立ち竦んでいた彼女に声を掛けたところ、相談を受けましてね」
穏やかなアルフォードの声が執務室に響く。
「話を聞いたところ、彼女を狙う怪しい者共に居場所を知られたため、こちらに迷惑を及ぼさないよう、身を隠したいということでした」
セリナはハッとした。その話はまさに今朝、モリーから聞いた話と一致するからだ。
「事は急を要すると判断した私が、彼女を安全な場所に避難させたのですが、まさかオースティン殿がその内容を知らされていなかったとは思わず、二人には心配させてしまいましたね」
「いえ、使用人の事情をしっかりと把握していなかった我々の落ち度です。お手数をかけました」
オースティンは恐縮して頭を下げていた。セリナは嘘が明らかにならなかったと胸を撫で下ろす。それに事情は既に聞いていた内容と一致しているし、余計な口出しをしてボロを出さないようにしていようと心に決めた。
「危機が去り、安全が確認できましたら、私が責任を持って連れて参りますよ」
アルフォードの言葉にオースティンも深く頷く。
「アリーシャはとても素直で良い子でした。セリナとも年齢が近く、実は長期雇用も考えておりました」
「それは本人にも伝えておきましょう。長期雇用ともなれば、喜んで戻って来るはずです」
アリーシャの評価が高いのはセリナも嬉しかった。無口だけれどしっかりと話を聞いて、仕事もテキパキとこなす彼女を傍らに置いていれば、この先も万事が順調に運ぶと思っていたのだから、問題解決が早ければそれだけ戻って来るのも早くなるだろうと期待が高まる。
「それでは失礼しますよ」
アルフォードが立ち上がったので、セリナは慌てて扉へ駆け寄った。彼女が扉を開くと、アルフォードの手がソッと彼女の頭を撫でる。
「セリナは良い子に育ちましたね」
微笑む彼に、セリナは罪悪感を感じて視線を逸らした。傍目には照れて俯いたようにしか見えなかったが。
「ありがとう、ございます」
「じっちゃ~ん」
セリナの返事に重ねるように、大きな声が廊下に響き渡る。ドタドタと大きな足音を伴って、赤髪の青年が駆け込んで来た。
「じっちゃ……、げっ、師匠!」
「カイン君、その『げっ』と言うのは何ですか?」
「ひひょほ、いひゃい、いひゃい……」
駆け込んで来るなりアルフォードの姿を認めたカインは、思わず絶句する。その彼の頬を挟むようにアルフォードの右手が捕らえた。そして万力のような力で締め上げる。その腕をカインは軽く叩いて降参の意思を示しているが、アルフォードは力を緩めない。
「全く、一人前の騎士になったのですから、言葉遣いにも振る舞いにも気を遣いなさい」
アルフォードはそう言い置くと、カインを解放して執務室から出て行った。後に残されるのは両頬の痛みを和らげようとするカインと、突然の事態に対応できず呆然としているセリナ、それとそのような二人を見て溜息をつくオースティンだ。
「それで、どうしたのじゃ、カイン?」
「それがよう、じっちゃん……」
言い掛けてカインは言葉を飲み込み、傍らに立っていた妹をジッと見詰めた。兄の視線に気付いたセリナは我に返る。
「わ、私、片付けるね」
テーブルの上にあった茶碗と皿を回収して、彼女はそそくさと執務室を後にしようとした。出掛けにカインが彼女の耳元で囁く。
「すまねぇ、リナ」
「後で、埋め合わせしてね」
彼女がとびきりの笑顔で返すと、兄は真顔で頷いた。セリナは手押し車を廊下に出して、扉を閉める。そこでホッと大きく息を吐き出した。
「アリーシャは、本当に狙われていたみたいね」
アルフォードの説明と、今朝方に聞かされた話に齟齬はない。アリーシャは身の危険を感じ慌てて屋敷から雲隠れしたのだ。その彼女をアルフォードが助けているのだから、これほど心強いこともなかった。
「でも、それなら、その怪しい者が屋敷に来ないとも限らないわね」
セリナはその可能性に気付いて不安になる。兄の顔が脳裡を過ぎった。
「暫く、お兄様の部屋にいようかしら」
自らの提案に満足して、彼女は頬を赤らめたまま手押し車を厨房まで押して行く。この後に待ち受ける運命も知らぬままに。




