セリナの戸惑い
セリナは懸命に言葉を探した。
「お祖父様からの、相談事を……」
「ふむ、先程はそのような素振りは見られなかったが?」
アルフォードが顎に手を掛ける。
「そ、それは、カイン……兄様の用事と公私混同しないようにと、考えて」
「なるほど。それでは、こちらから伺うと伝えて下さい」
「は、はい」
咄嗟に口から出任せの勢いで場を乗り切ったセリナは、ホッと一息ついて心を落ち着けた。そうなると不思議なもので、まとめられないでいた考えが急に形を整え始める。
「その内容なのですが、実はメイドの一人が今朝から行方が分からず、先生に相談しようとなったのです」
「そうでしたか、それはお困りだったでしょう」
アルフォードは顔色一つ変えずに相槌を打った。
「オースティン殿は何事も自力で解決しようとする悪い癖があります。少しは我々を頼ってくれて構わないのですがね」
「あなた、それは酷というものでしてよ」
シェラザードが更に続けた言葉にセリナは唖然とするしかなかった。
「あの人は昔から、ああなのです。いつもいつも独りで背負い込んでは苦しんで、誰にも相談せずに苦労ばかりを重ねて」
「シェラ、ほどほどになさい」
苦笑するアルフォード。
「あら、いやだ、わたくしとしたことが」
シェラザードは愚痴っぽくなってしまったことに恥じらいを感じているようだ。それにしても、とセリナは思う。目の前の夫婦は不思議な存在だ。年齢的にはオースティンよりも遙かに若いはずなのに、まるで彼と同じ年代のような口ぶりだし、シェラザードに至っては彼を気遣う心に風格のようなものさえ漂わせている。ふと、任命式の時に見掛けた、真紅のドレスの女性を思い起こした。後ろ姿を見ただけで誰なのかは判然としなかったが、共に退出したアルフォードならば何か知っているのではないかとも考える。
「ところで先生」
セリナは思い切って尋ねることにした。
「任命式の時に不思議な人を見掛けたのですが、どなたか知っていますか?」
「不思議な人物、ですか?」
アルフォードは心当たりがないといった風情だ。
「先生と一緒に退出したはずですけど、その……、真紅のドレスを着た、女の人でした」
「女の人?」
シェラザードの視線が夫に突き刺さる。
「さては、その方がアリーシャの母親ですわね?」
「ま、待て。私には心当たりがない」
焦ったように弁解するアルフォードに、シェラザードは更に詰め寄る。
「いいえ、時期的にも不自然ではありませんわ。その場でアリーシャを預かる約束を取り付けたのでしょう?」
「話が飛躍し過ぎです」
焼け木杭に火が点いたかのような疑いの視線を向ける妻に、アルフォードはタジタジだった。
「シェラ様、私の勘違いでなければ、あの人はカイン、……お兄様の母親のような感じでした」
「え?」
セリナの言葉に、夫妻は言葉を失う。チラリとアルフォードが目配せすると、シェラザードが気を取り直して口を開く。
「セリナ、それは、どういうことかしら?」
「見掛けたのがお兄様の任命式の終わり頃でした。まるで任命式を見届けるような感じで退出していましたので」
セリナの見立ては正しかった。あの場で仕切り板の後ろからカインの晴れ舞台を見守っていたのは、まさしくシェラザード本人だったのだ。彼女には幼くして亡くなったとされている息子が一人いた。皇王、彼女の兄に皇子が生まれた為、継承者争いを避けるべくして闇へと葬られたのがカインである。表向きは亡くなったことにされているのだが、実際にはオースティンに託されてトレリット村へ匿われているのだ。養育を彼女たち夫妻に任せたのはオースティンの独断ではあったが、皇王も承知の上で万が一の事態に備えている。名乗り出られない以上、彼女が表立ってカインに何かをするのは禁止されていた。
「先生は知っているのでしょう?」
「さて、本当に心当たりがありませんね」
「嘘!」
スットボケようとした彼に、セリナは語気も鋭く言い放つ。
「だって先生は伯爵様の代理人なのでしょう? でしたら伯爵様がどこのどなたで、お兄様の本当のご両親も知っていますよね?」
「セリナくん、話が飛躍していますよ」
アルフォードは表面的には落ち着いて見せるが、内心では焦っていた。カインの本当の両親とは他ならぬ彼ら夫妻なのだ。しかし彼らの子は死んだことにされているので、名乗り出ようものならばカインの命が危なくなる。どうにかして話題を逸らそうと彼は考えを巡らせた。
「大人の事情で全ては話せませんが、伯爵はとても優しい方です」
アルフォードは伯爵の話で煙に巻く手段を選ぶ。
「常に我々トレリット村の住民を思い、より良い生活が送れるよう心を砕いてくれています」
彼の言葉を横で聞いていたシェラザードはウンウンと相槌を打っていた。
「ここだけの話、伯爵は眉目秀麗、その美しさに咲いた花さえも羞じてしおれてしまうほどです。更に仁慈の心に溢れ、その情愛は領民を我が子同様に愛するほどです」
アルフォードが褒め言葉を口にすると、シェラザードの頬が上気し、頬を両手で覆う。
「あなた、それは褒め過ぎです」
「シェラ?」
「聞いているわたくしが恥ずかしくなってしまいますわ」
急に夫の肩を押して話を遮るシェラザード。何かいけないものを見てしまったような気がして、セリナは居たたまれなくなる。
「あ、あの、それでは私はこれで失礼します」
セリナは慌てて席を立つと、クルリと玄関に向けて身を翻した。一歩踏み出そうとした彼女をシェラザードが呼び止める。
「お待ちなさい、セリナ」
「はい?」
振り返ったセリナの笑顔はぎこちなかった。何か対応を間違ったのかと背筋を冷たい汗が伝う。
「アリーシャを連れて帰るおつもりですか?」
「え? あ……」
彼女は赤子を抱えたまま帰ろうとしていた。むしろ、連れて帰るのが当然とも思っていた自分自身に、セリナ本人が驚きを禁じ得ない。
「すみません」
シェラザードに受け渡そうとすると、突然アリーシャがグズリ始める。
「あらあらあら、どうなさいましたのかしら?」
「わわわ……」
慌ててセリナが抱え直すとアリーシャは途端に静かになった。
「まあ、随分と懐かれましたわね」
「笑い事じゃありませんよ」
シェラザードは笑っているが、セリナには笑い事ではない。赤子を連れて帰られない以上、アリーシャが寝付くまでは帰宅できないのだ。
「揺り籠に移してはどうかな?」
アルフォードの提案に従って、セリナは赤子をそっと揺り籠へ戻した。その時、彼女が首から提げていた銀の首飾りが飛び出る。
「だあ!」
「あ、ちょっと……」
グイッと引っ張られてセリナは体勢を崩した。赤子の思わぬ力強い引っ張りに、彼女は揺り籠に覆い被さる形で身動きが出来なくなる。
「た、助けて」
「まあまあ」
シェラザードが彼女の首から首飾りを外すと、アリーシャはそのままそれを掴んで振り回し始める。
「どうしよう。それは預かり物なのに」
「後で届けますから、今は置いて行きなさい」
アルフォードが微笑んで提案した。セリナはモリーから預かっていた首飾りを掴んだまま離さない赤子を見て、溜息を禁じ得ない。
「それでは先生に託します」
「それと、アリーシャに会いたい時は、いつでもいらっしゃい」
シェラザードが優しく微笑みかける。セリナは赤子を置いて行くのに一抹の不安と寂しさを感じていたが、その言葉に心が軽くなった。
「ありがとうございます」
アリーシャは首飾りを掴んでご満悦の様子だ。これならば、泣き出すこともないだろう。セリナは安心感を得て立ち上がった。
「それでは失礼します」
「気を付けて帰るのですよ」
玄関先までアルフォードが見送りに来る。セリナはつば広の帽子を手にすると、深々と頭を下げた。
「それでは先生、お祖父様にお返事を伝えておきます」
「ええ、すぐに訪ねると伝えて下さい」
優しい微笑みに見送られて、セリナはアルフォードの家から退出する。玄関から門まで来て、彼女は振り返った。
「どうしてかな? 私、知っているように思うのは……」
両腕に残る赤子の感触に、彼女は再び懐かしさと愛おしさ、それに今は寂しさが込み上げて来る。ギュッとその小さな手を握りしめると、彼女は屋敷へと歩みを進めた。




