兄と妹
「おはようございます、セリナお嬢様」
祖父の横にいたメイド長が挨拶して来る。
「おはようございます、お祖父様、カレン」
「おはよう、セリナ」
挨拶を返したセリナではあったが、急いでいた上、考え事をしていたので半ば上の空だった。その彼女の様子を祖父は案じる。
「どうかしたのか、どこか具合が悪いのか?」
しかしセリナには、祖父の優しい労りに満ちた声も届かなかった。彼女は気付かず返事もしないまま、大広間まで行くと開けられた扉を抜けて、祖父と並んで入る。大広間の中央には大きなテーブルが据えられ、椅子が一脚と二脚ずつ相向かいに並べられていた。その大きな椅子には紅のベルベットがあしらわれている。彼女は二脚並べられた側の右手の椅子に腰掛けた。頭上からの照明の光でハッと気が付く。
「お祖父様、ごめんなさい」
セリナはそう答え返してはみたものの、気分が優れずにいた所為か、表情には暗い影が残った。祖父の視線は優しい光を帯びている。彼女は心配させてはいけないと、霧がかかったようにもなっていた思考を働かせようとしていた。そこへ床板を歩く大きな音が近付いて来る。続け様に扉を開け放つ音が大広間に響き渡った。
「あぁ~、眠ぃな~。本っ当、かったり~わ」
カイン・アシャルナート、十八歳。
トレードマークでもある赤い長髪を後ろで括り、いつも身に着けている金の刺繍で縁取りされた白い長衣と、真紅のズボンをはいていた。腰には訓練用の長剣を差し込んでいる。どう見てもいつもと同じ格好だ。彼はボリボリと胸の辺りを掻いて、眠そうな表情のままセリナの左側の席に乱暴に腰掛けた。
彼らの周囲では、家族の食事の支度をメイドたちが整えてゆく。卓上には、色とりどりの花が活けられていた。赤いガーベラを中心にして夏の花々が飾られている。
真っ白なテーブルクロスの上に、温かなスープ、色鮮やかなサラダにフルーツ、ハムやゆで卵、そしてパンが盛られた皿が次々と運ばれて来る。それらをメイドたちが銀の食器に盛り付けて、各自の前に差し出した。
「さて、食事の前に感謝の祈りを捧げよう」
オースティンの言葉に、セリナもカインも両手を組んで祈りを捧げる。食欲がなかったセリナも、目の前から漂う美味しそうな匂いに鼻をくすぐられ、匙を手にした。今朝のスープは幾種類もの野菜をジックリと煮込んだものだ。一口掬って飲んだ彼女は憂鬱な気分が消える心地になる。
その横ではカインが、旺盛な食欲を余すことなく発揮している。チラリと横目で兄を見たセリナは、意を決して声を掛けた。
「あ、あのね、兄様。礼装用の騎士服は、どうしたの?」
「あぁ、あれか? 着ねぇわ」
カインは食事の手を休めて、妹の質問に答える。彼は妹の気も知らずに、優しく微笑みながら振り返った。
「ところでリナ、元気ないな? どうかしたか?」
彼女が答えに迷っていると、兄は矢継ぎ早に言葉を続ける。
「ひょっとして、進級のクラス替え、嫌なんじゃないのか? だけど安心しろ、もしお前をからかうような奴がいたら、俺がぶっ飛ばして……」
彼が言い掛けたその時、兄妹の対面で静かに食事をしていたオースティンが、コップを手にしたままテーブルを叩く。
「いい加減にせぬか! いつまでも子供のような真似をしおって!」
滅多に怒らない彼の怒声に、セリナは首をすくめた。しかし兄は気にも留めない。
「だってよ~、じっちゃん。あいつらは……」
カインが反論しようとすると、オースティンは大きく溜め息を吐きながら、彼に向かって更に言い募る。
「良いか、カイン。お前はこのワシの孫で、仮にもアシャルナート家の跡取りなのじゃ。ゆくゆくはこの家を継いで、皇王を支えていかなくてはならぬのだぞ。己の分を弁えぬか」
「……」
「それにその格好、何たる体たらくじゃ。今日は進級式なのじゃぞ。騎士になろうという者が、何故に礼装服を着用せぬ?」
彼が強い口調で問責すると、カインは祖父に言い返した。
「たかだか、高等部から士官学校に移るだけだろ? 大したことじゃないさ。それに俺が着飾ったって何もなんないね。馬鹿にされるのはゴメンだぜ」
カインのその言葉を聞いた祖父は、困ったような表情になった。
「情けないのぅ。今の言葉をアルフォード殿が聞いたら、どう思われるか……」
それを聞いた途端に、カインの表情が強張る。