メイドのお仕事
「それでは、掃除が終わりましたら呼びに参ります」
一礼して出て行くメイドに、セリナは罪悪感を覚えた。半ば八つ当たりみたいな行為をした自責の念が今頃になって芽生えたのだ。去り行くメイドに声を掛ける間もなく、セリナは独りになった。落ち着こうとして椅子に腰掛け、気を取り直して持参した本を開く。
「もう、何?」
本を開くと同時に何かが手に纏わり付いて来た。彼女は本を机に置いて、自らの手を見詰める。細い糸のようなものが絡みついていた。糸のようなそれは髪の毛、黒い髪の毛だ。黒い髪の毛と言えば、この屋敷には一人しかいない。
「アリーシャの?」
驚くと同時に彼女は後悔した。アリーシャの髪の毛が彼女の部屋にあったのだとすれば、何かしらの手掛かりもあったはずだ。それを掃除してしまったのでは、手掛かりを得る機会が失われてしまったのだから。
「どうしよう……」
戸惑いと共に、兄への罪悪感も募る。アリーシャがいなくなった件と兄は無関係だった。それを勘違いして怒鳴りつけてしまったのだ。してしまった行為はやり直せないが、謝ればどうにか関係は修復できるだろう。
「セリナお嬢様」
金髪のメイドが彼女を呼びに来た。
「もう、掃除が終わった? 随分と早いようだけど……」
自室を出てから、それほどの時は流れていない。はてなと首を傾げる。
「折り入って話がございます」
ペコリと頭を下げるメイドをセリナは室内に招き入れた。やや緊張した雰囲気のメイドに、セリナは屈託のない笑顔を向ける。
「どうしたのかしら? ええと……」
「モリーです」
名前が思い出せなかったセリナに、モリーは自ら名乗った。
「実は、アリーシャからこちらを預かっておりました」
そう言ってモリーが差し出したのは一本の首飾りだ。
「これは……?」
「アリーシャからお嬢様にお渡しするように預かっておりました。私は本日限りですので、納めて下さい」
セリナは目の前のモリーが臨時雇いであるのを、その言葉で思い出した。
「あなたさえ良ければ、ずっとうちで働いてもいいのよ?」
「お言葉は嬉しく存じますが、次の働き口がありますので、申し訳ありません」
セリナは継続雇用の水を向けたが、やんわりと断られる。この国では、このように各地を回って仕えるべき主を探す者もいた。特に優秀なメイドの場合、雇い主側から破格の待遇で慰留されることもある。
「それなら仕方ないわね」
モリーから差し出された首飾りを手に取り、セリナはしげしげと眺めた。銀でできた首飾りは随分と高価だったはずだ。アリーシャへの給金との釣り合いを考えると、不相応な品とセリナは思った。
「どうしてあなたが預かっていたのかしら?」
「アリーシャは誰かに追われているようでした。なるべく目立たないように過ごしていたようですが、先日来、怪しい人影がお屋敷の周辺にいたようです」
「そういうことね。けれど、こんな高価な品……」
困惑するセリナに、モリーは言葉を接ぐ。
「怪しい人物に奪われないようにとの考えと存じます。お嬢様に預けたとは誰も思わないはずですし、現に預かっていた私は無事です」
「なるほどね」
アリーシャが面倒なことに巻き込まれたと判断して、セリナはフウッと溜め息を漏らした。
「でも言ってくれれば、お祖父様が対応してくれたのに」
「お嬢様方に迷惑を掛けたくなかったのでしょう。どうか察してやって下さい」
「そうね」
モリーの言い分に納得して、セリナは頷く。それでも、高価な首飾りをセリナに渡す意図が腑に落ちなかったが。
「恐らくアリーシャは、こちらに戻ると思います。その首飾りはお嬢様が肌身離さずお持ち下さい」
「分かったわ。報せてくれてありがとう」
ニコリと微笑むセリナ。アリーシャには直接返すのが良いと考え直して、彼女は首飾りを懐に納める。
「お嬢様、お部屋の掃除が終了致しました」
「私はこれにて失礼致します」
セリナはまだ聞きたい事柄があったのだが、モリーはそそくさと退出して行った。セリナは部屋の掃除の出来映えを確認しなければならないので、呼び止める余裕がない。呼びに来たメイドに連れられて、セリナは部屋に戻った。
「この通りでございます」
扉が開かれ、美しく整えられた室内の様子がセリナの目の中に飛び込んで来る。その出来映えにセリナは感嘆した。
「ええ、よくやってくれたわ、ありがとう」
「それでは失礼致します」
メイドたちが退出し、セリナは手にしていた本を机の上に置く。
「お祖父様にも早く報せなければならないわね」
アリーシャが戻って来るかもしれない可能性を伝え、できれば継続雇用して欲しい要望も伝えたいとセリナは胸に秘めていた。
階段を下りて祖父の執務室に向かう。祖父の執務室の前にはメイドが控えていた。
「お祖父様は?」
「カイン様とお取り込み中です。どなたも通さないよう仰せつかっております」
セリナの問い掛けにメイドは頭を下げる。
「出直して来るわ」
そう告げて、セリナはその場を離れた。
「お祖父様とお兄様、何を話しているのかしら?」
長話を好まない二人が、朝食を終えてから長々と話し合っているのは珍しいと彼女は感じる。北方へ赴くにしても可否を祖父が決めれば良いだけで、それが長引くはずもない。
「人助けに行くのに、お祖父様が反対するはずもないわ」
近衛騎士だった祖父だからこそ、カインが率先して人助けに向かうと言い出せば、諸手を挙げて賛成すると彼女は考えていた。
「先生に相談に行こうかしら?」
終わる目処の見当も付かない祖父と兄を待つよりも、能動的に相談へ向かうのが良いと結論付ける。そうと決まれば彼女の行動は早かった。部屋に戻って身支度を整える。若草色の膝丈ワンピースを着て、つばの広い帽子を手に持った。
「それでは、先生のところに行くわ」
「畏まりました。お気を付けて」
玄関先でメイドの見送りを受け、セリナは屋敷を出た。村に出る時は同伴者が必要だったが、湖畔にあるアルフォードの家に行く時は、単独行動を許されている。それは彼の家がアシャルナート邸の敷地に隣接しており、庭師などの使用人たちが遠巻きに見守っていられる状況だからだ。小径を外れて森に分け入っても、使用人の誰かの目が届く範囲であれば自由に出歩ける。彼女の安全確保の為に光る視線の網はしかし、昨夜の顛末を全く把握していなかった。そもそもがセリナの安全を最優先しているので、彼女が屋敷の中で過ごしている間は手薄になっているのが一因だ。
木立の間に伸びる小径には真夏の陽射しが照り付け、広いつばでも防ぎ切れなかった光はセリナの身体を容赦なく焼こうとする。額に浮かぶ汗に手拭いを当てながら、彼女は天を仰いだ。
「今日も暑いわね」
枝葉の隙間から降り注ぐ陽光に、彼女は目を細める。行方不明のアリーシャの安否を気遣いながらも、セリナは頭の中に残る靄のような感覚に違和感を覚えていた。
「先生に相談すれば、きっと解決してくれるわ」
自らに言い聞かせると、彼女は湖畔の家まで歩みを進める。白い壁の平屋建ての一軒家が見えて来た。湖を渡る風は涼やかで心地よい。セリナは微笑みながら、玄関先の階段を軽やかに登った。扉の横にある呼び鈴のボタンを押す。
「はーい、どちら様かしら?」
ややあって扉の向こうから声がした。
「セリナです」
「あらあら、少しお待ちになって」
シェラザードの明るい声が響いて、扉が開かれる。
「こんにちは、シェラさ、ま……?」
迎えに出たシェラザードを見て、セリナは絶句した。その腕に抱かれた赤子に目が釘付けだ。その彼女の耳に大きなクシャミの音が飛び込んで来た。
「さあ、入って」
微笑む彼女に当惑しながらも、セリナは玄関の帽子掛けにつば広の帽子を預ける。後は室内へ案内されるままに進むしかなかった。




