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風月佳人・前編  作者: 斎木伯彦
叙勲式
21/40

闇に潜む者

「アリーシャ、手筈は整っているかしら?」

「はい、お任せ下さい」

 カインの騎士叙勲式の前夜、アリーシャは共に潜入している金髪の女性によって、湖の畔へ呼び出されていた。

「そちらは任せるわ。私は邪魔になりそうな人物を足止めしておくから、抜かりなく遂げなさい」

「はい」

 頭を下げたアリーシャに対して向けられる、金髪の女性の視線は冷ややかだった。彼女の主からは必ずアリーシャが遂行するよう厳命されており、彼女自身は監視役も兼ねた補助要員である。カイザーの容貌と性格では使用人として不安要素がある為、こうして妹である彼女が代理として遣わされているのだ。

「ソフィア様はあなたに期待しています。冷たいと思うかもしれませんが、私はあなたが単独で任務を達成できるよう、必要最小限の手助けに留めています」

「心得ております。必ずやソフィア様のお心を煩わせる者を亡き者にしてご覧に入れます。ですので……」

「ええ、ソフィア様は寛大な御方です。必ずあなたの望みを聞き入れて下さいますよ」

 最後に微笑み掛ける彼女に、アリーシャはそれでも警戒心を解かなかった。

 翌朝、アリーシャは目標の部屋へ続く道を再確認していた。庭の植木を利用すれば二階の部屋にも到達できることを確かめ、彼女は物音を立てないように注意しながら、炊事場の裏口に戻って来る。

 その扉が不意に開くと、中から銀髪の持ち主が出て来た。全くの無警戒で、今も横にいる彼女に気付いてもいない。

「セリナお嬢様、どちらに?」

 アリーシャが声を掛けると、セリナは飛び上がらんばかりに驚いた様子だった。ゆっくりと彼女の方へ振り返る。

「アリーシャ、驚かさないでよ」

「申し訳ありません」

 律儀に頭を下げた彼女に対して、セリナはホッと胸を撫で下ろしていた。しかし、早朝の庭にはセリナが用件などあるはずがない。アリーシャは左の袖口に隠し持っている小型ナイフを右手に握り込んだ。計画が露見しているのならば、この場で実行するしかないと緊張感が漂う。

「今日の任命式で粗相があるといけないから、私が見回りしているのよ。後でお祖父様が最終確認に来るから、しっかりとお掃除しておいてね」

「畏まりました」

「じゃあ、私は次の場所に見回りに行くけど、抜き打ちだから誰にも言わないようにね」

 セリナの言葉にアリーシャは無言で頷いた。急ぎ足で去り行くセリナの背中が建物の角に消えたところで、アリーシャは袖口の小型ナイフから手を離す。

「アリーシャ、ここにいたのですね」

 メイド長のカレンがセリナの去ったのとは反対側から姿を見せた。

「本日は忙しくなります。覚悟しておきなさい」

 コクンと小さく頷いてアリーシャは炊事場へ戻った。

 それからは目の回るような忙しさに追われる。朝食を終えると、すぐに来賓を迎える準備が始まった。掃除は前日までに終えていたので、当日は花飾りや装飾品などの小物を整える。

 昼近くになると経験の長い使用人たちは、続々と訪れる来賓を応接室や食堂へ案内し、茶菓子や飲み物を提供する業務に忙殺され、アリーシャたち経験の浅い新人たちは式典の会場となる大広間へ炊事場から料理を運び込むなどの雑用に追われた。

 ホッと一息ついたのは叙勲式の間だけである。式典が終われば用意された料理を来賓に振る舞うのに立ち回り、気付いた時にはセリナを見失っていた。

「いつの間に……」

 見慣れない女性二人と、屋敷に宿泊している青い髪の新米騎士が共にいる場面までは行動を把握していたのだが、来賓の応対をしている間にその姿は消えていた。

「アリーシャ」

 不意に彼女に声を掛けて来る者がいる。少し驚いて振り返ると、そこには本日の主役がいた。

「ちょっと頼みたいんだが、リナの様子を見て来てくれ」

「はい、畏まりました」

 彼女は少し困惑したが、言われた通りにセリナの部屋に向かう。階段を登り、目当ての部屋に到着すると、扉を叩いた。

「お嬢様、セリナお嬢様」

 形式通りに呼び掛けるが返事はない。不在なのかと思い扉を開けると、部屋の奥、寝台の上で部屋の主は眠っているようだった。全く警戒心もなく、幸せそうな寝顔で眠っている彼女を見ると、アリーシャは得体の知れない感情が湧き上がって来るのを感じた。今なら苦もなく命を奪うことができるだろう。千載一遇の好機だが、それでも無防備に眠っている相手に刃を振るうのは彼女の矜恃が許さなかった。それに今では騒ぎが大きくなり過ぎてしまう。

「感謝なさい。今少しだけ、その命を預けておきます」

 窓から吹き込む風は湖の湿気を含み、やや冷たい。アリーシャは掛け布団を手にすると、優しくセリナの身体に掛けた。

「何か、懐かしい気持ち……」

 こうして二人でいるのが、何故か懐かしいと感じてしまう。セリナの幸せそうな寝顔、どこかで見たような気がする。

「母様……」

 ドクンと鼓動が大きく鳴った。続けて激しい頭痛が彼女を襲う。

「くっ……、これは、何……?」

 耐え切れなくなってアリーシャは部屋の外に退散する。廊下に出ると頭痛は治まったので、彼女は今の出来事が腑に落ちないながらも、カインへ報告しようと階下へと向かった。その途中、青髪の新米騎士が金髪の女性を伴って宿泊している部屋へ引き上げて行くのを目撃して、アリーシャは邪魔者が一人消えたと確信する。

 それから体調が優れない旨を申告して、誰よりも早く休息を摂った。勝負は真夜中だ。そう自らに言い聞かせて、アリーシャはセリナの部屋で感じた違和感を拭おうとしていた。

 夜半過ぎ、使用人のほとんどが眠りに就き、屋敷の中は静まり返っている。アリーシャはそっと居室を出ると廊下を目的地に向けて歩き始めた。階段の手前で降りて来る人物に気付き、彼女は咄嗟に身を隠す。

「お兄様、怒ってるかな……」

 階段を降りて来た銀髪の人物はアリーシャの存在に気付かないまま炊事場へ向かった。アリーシャは素早く階段を登り、セリナの部屋に向かう。部屋の主が不在の間に忍び込むと、真っ先に窓辺へ走り寄った。開いてあった窓は閉じられている。

 彼女は髪の毛を一本抜くと、その先端にメイド服のボタンを外して結び付けた。それから窓の留め金にもう一方を結び付けて室外にボタンを垂らす。このようにして窓を閉めれば、外からでも窓を開けることができるだろう。

 アリーシャは一連の小細工を短時間で終えると、物音を立てないよう注意しながら部屋を出た。階段を見ると二人の人物が登って来る。彼女は階段とは反対方向の廊下に並べてある大きな花瓶の後ろに身を隠し、息を殺してその場に潜んだ。セリナは兄と共に戻って来る。その手に食料品を携えている様子から、二人は共に食事を摂るのだろうと推測できた。

 息を殺して見守るアリーシャには気付かず、兄妹は部屋へと入る。ややあってから扉が閉まる音を聞いて、アリーシャは緊張を解いた。

「寝入るまで待つしかないわね」

 室内の状況は兄妹一組だが、カインは騎士叙勲を受けたばかりとは言え、侮って良い相手ではない。仕留め損なって逃げられるよりも確実性を求めてアリーシャは当初の予定通り、まずは居室に戻った。着用していたメイド服を脱ぐと、キチンと衣紋掛けに掛けて収納する。動き易い地下族の服に着替えて庭へ向かった。漆黒の服装は夜の闇に溶け込み、腰の短剣も目立たない。

 アリーシャは誰にも見つからずにセリナの部屋の下へ到着した。外から室内の様子を窺うと、乱れた息遣いが聞こえて来る。若い男女であれば、その行いは一つだ。

「今だけは愉しむといいわ、月の娘。あなたに次の朝日を見る機会は訪れないのだから」

 乱れた息遣いが治まり、男女の会話がボソボソと聞こえていたが、やがてそれも途絶え、規則正しい息遣いのみが静寂の闇夜に響く。頃合いと見て、アリーシャは植木を伝い二階の窓辺に登る。窓の外で揺れていたボタンを掴むと慎重に上へ持ち上げた。カタンと音がして窓が開く。部屋の中を窺うと、どちらかが目を覚ましたようで衣擦れの音が聞こえて来る。アリーシャは窓の上の外壁にへばりつき、どちらが目を覚ましたのか注意深く聞き耳を立てた。

「窓を閉めなくては……」

 女性の声がする。間違いなくセリナだ。アリーシャは夕刻と同じく、激しい頭痛に襲われる。しかしやり遂げなくては母と再会できない。彼女は気力を奮い起こして腰の短剣を抜くと、その漆黒の刃をセリナの胸に突き立てるべく、身を翻して室内に飛び込んだ。

「死ね、ルーディリート、月の娘!」

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