任命式の後に
「折角のご馳走ですもの、全て味わうのが礼儀ですわ」
アンジェの言い分にセアラは苦笑した。
「そのように食い意地を張っていると、素敵な殿方から敬遠されるわよ」
「何を……?」
「こちらにおいででしたか、美しいお嬢様方」
言い返そうとしたアンジェを遮るようにシオンが声を掛けて来る。
「カインに祝いの言葉を掛けようと思ったのですが、ご覧の有様で」
彼の振り返った方向に三人が目を遣ると、多くの人々に取り囲まれて祝福を受けるオースティンとカインの姿があった。
「あれでは近づくこともできませんね」
「ええ、それで先に食事を済ませようと思いまして」
シオンは快活に笑う。アンジェとセアラはそのような彼にウットリとした視線を向けていた。それはセリナが知る二人の様子ではない。普段の彼女たちは美しさの中にも凜とした矜恃を示し、色恋沙汰とは疎遠なのだ。
「こちらをどうぞ、シオン様」
「いいえ、こちらからどうぞ」
二人が先を争うように料理を載せた皿を差し出す。アンジェが差し出したのは焙った子羊の骨付き肉で、セアラが差し出したのは野菜の煮込み料理だった。シオンは笑顔を崩さないまま、二人の皿を受け取る。どうするのかと見ている三人の目の前で、彼は子羊の肉を煮込み料理の中へ入れた。空いた皿を卓上に戻すと彼は骨の部分を持って煮込み料理に浸けて食べ始める。
「僕の故郷では、羊肉は煮込み料理にするんですよ」
「そ、そうですか」
アンジェとセアラは互いに目配せすると、やや気落ちしたかのように彼と同じく野菜の煮込み料理へ子羊の骨付き肉を入れた。
「あら、美味しい?」
「ええ、これは美味しいです」
二人の反応を見て、シオンは微笑む。セリナは半信半疑で同じようにして骨付き肉に囓り付いた。
「美味しい」
塩のみの味付けの子羊の肉が、ジックリと煮込まれた野菜の味と絡み、より一層の旨味を引き立てる。
「シオンさんの故郷は、どちらですの?」
アンジェが尋ねると彼は食事の手を休めて答えた。
「北の果て、蛮族の縄張りと接しています。祖父がかつては蛮族を遠くへ追いやったのですが、近頃は再び辺境の集落を脅かすようになりました」
「それは心配ですわね」
セアラが横から口を挟む。
「本来なら、カインと共に蛮族の討伐をと考えていたのですが……」
チラリと視線を移すと、カインは未だに多くの来賓に囲まれたままだ。セリナは先日、彼が兄に対して落胆したかのような言動をしていた理由が理解できた。
「シオンさん、兄の助力が必要ですか?」
「急にどうされましたか?」
セリナの質問にシオンは穏やかに尋ね返す。
「私が言えば、兄はシオンさんの手伝いをすると思います」
「それでよろしいのですか?」
シオンが口を開く前にアンジェがセリナに咎めるような視線を送った。アンジェとセアラの二人は、セリナが兄の帰りを待ち望んでいたことを知っている。それだけに、カインが再び村から出て行ってしまうような提案を彼女がするとは到底信じられなかったのだ。
「私は、お兄様にいて欲しい。けどそれ以上に、誰かの役に立っても欲しい。それが親友と言えるシオンさんなら、私の我が儘でお兄様を引き留めるなんてできないわ」
「セリナ、あなた……」
アンジェは絶句する。彼女はセリナたちが村でどのように扱われて来たのかを知っていた。彼女たちはそのような酷い仕打ちをよしとせず、努めて対等に分け隔てのないようにと接して来たが、カインが不在だったこの二年間を思い返す時、果たしてこの先も平穏にいられるのかは疑問符を打たざるを得なかった。
「アンジェとセアラがいてくれれば、私は平気よ」
気丈に微笑むセリナを見て、セアラは首を横に振っている。アンジェも困り顔で閉ざしていた口を開いた。
「いいわ、あなたがそう言うのなら、これ以上は何も言わない。でもね、それならキチンとお祖父様にも話を通しておきなさい」
「ありがとう」
感謝の言葉を述べるセリナに、シオンも態度を改める。
「セリナさん、ありがとうございます」
「御礼は兄が行くと決めてからでいいです」
セリナの答えにもシオンは既にカインが共に皇都へ向かうと信じていた。
「分かりました。それではカインに会いに行くとします。美しいお嬢様方、また後程」
「はい、また後程」
一礼して颯爽と去るシオンの後ろ姿に、アンジェとセアラは見とれていた。人垣の中へ彼の姿が消えると、溜息交じりにアンジェが口を開く。
「全く……、あなたはどうしていつもそうですの?」
「な、何が……?」
「ご自分の幸せは後回しにして、いつも他人の幸せばかり優先して」
「そういう性格だから」
二人から言われてセリナは肩をすくめる。生来の性格は変え難い、こればかりは彼女にも如何ともできなかった。
「それでも、いつもそのようでは相手に誤解されてしまいますよ」
「そうよ、正直な気持ちを伝えるのも大切なことですわ、人は言われないと分からない生き物ですから」
口々に言われる内容にセリナは身につまされるものがあった。言われないと分からないのは自身もそうだったから。
「そうね、二人の言う通りね」
セリナはそこで一旦言葉を切った。
「お兄様を説得する言葉を考えたいから、部屋に戻るわね」
「後悔のないようになさい」
アンジェとセアラは微笑んで見送ってくれる。セリナはチラリと視線を兄がいるであろう方向へ送った。彼は未だに多くの人々に囲まれて、騎士叙勲を祝福されている。
「お兄様、きっと……」
瞳に決意の光を湛えて、彼女は自らの部屋へと向かった。
その頃、シオンはやっとの思いでカインの横に辿り着く。
「よお、カイン!」
「よお、シオン!」
二人はまず頭上で互いの手を打ち合わせた。それから嬉しそうに笑うシオンが、カインの頭を抱え込む。
「いい男になりやがって」
「おい、やめろよ。やめろって」
騎士ということも忘れて二人は喜びを表現していた。その二人の背後に忍び寄る影が一つ。
「カインのよき友人として、いつまでもいてやって下さい」
柔らかな微笑みを浮かべているのはアルフォードだ。
「しかし、あまり変な事柄をカインに吹き込むのは感心しませんよ」
「師匠、それって何のことだ?」
未だにシオンの腕の中に頭を抱えられながらも、カインは質問した。その彼を無視してアルフォードはシオンに耳打ちする。
「メイドに手を出すのは、騎士として如何ですかね?」
「な、何がですか?」
シオンは驚いて腕を解くと、咄嗟に後ろへ飛びすさった。背中を冷や汗が伝う思いでいる彼の目の前では、涼しい表情で微笑むアルフォードが佇むばかり。何も事態が飲み込めていないカインは不思議そうに二人を見比べる。
「なあ、シオン、変なことって何だ?」
「それは知る必要がありません。そうですね、シオン君?」
「は、はい。仰る通りです」
彼は背筋が寒くなるのを感じていた。先日、カインに付き添って会っただけでそれほど深い交流をしたはずでもないアルフォードに、トレリット村に滞在中の行動を知られていたとは予想外だったのだ。
「なあシオン、後で教えろよな」
「カイン、よくもぬけぬけと私の前でそのようなことが言えますね?」
「ひ、ひひょ~、いひゃい、いひゃい!」
アルフォードは微笑みながらカインの頬を片手で挟むようにして持ち上げる。万力で締め上げるような彼の仕打ちに、カインはジタバタと手足を動かすだけで抵抗らしい抵抗はできていなかった。
「全く、騎士叙勲を終えたのですから、少しは大人として言動を慎みなさい」
手を放して不肖の弟子を諭すアルフォード。そうこうしている間にシオンは姿を消していた。




