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風月佳人・前編  作者: 斎木伯彦
平和な村
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始まり

 セント・リフテリア皇国、東トレリット村。

 皇国の南西に位置するこの村は温暖な気候に恵まれ、人々の生活も他の地域に比べて豊かだった。それというのも、村の領主であるトレリット伯爵が緩やかな税しか掛けていなかったからだ。

 村の象徴とも言えるトレリット湖。緑の木々生い茂る森林に囲まれた湖水は透き通るほどに美しく、野生動物の憩いの場でもあった。空の青さを映して輝く湖面と、遜色なく目立つのが青金石色(ラピスラズリブルー)の壁面が美しい三階建ての邸宅だ。

 その邸宅、伯爵の邸宅に住むのは管理を任された隠退騎士と、その家族の他は使用人ばかりである。伯爵は管理を任せた隠退騎士に全幅の信頼を置いているらしく、村にはその姿を見た者は誰もいない。唯一、伯爵と連絡を取れるのが隠退騎士のみであった。

 盛夏、ギラつく太陽の光が照らす邸宅の二階の窓は大きく開かれていた。その部屋から溜息が聞こえる。声の主は隠退騎士の孫娘だ。

 セリナ・アシャルナート、十三歳。

 腰まである銀髪、白く透き通るような肌は彼女の魅力に華を添えていた。黄色い寝間着(ナイトガウン)から伸びる四肢はしなやかで、成長期の女性特有の溌剌とした明るさが窺える。伏し目がちの瞳は瑠璃色で、今はボンヤリと天井に描かれた薔薇の花を見詰めていた。

 窓から入って来る湖の湿気を帯びた風は、真夏の暑さを忘れさせる心地良い冷たさを含んでいるが、彼女の憂鬱な気分は晴れない。

 それと言うのも、これから予定されている進級式の後が憂鬱の種だからだ。

 彼女たちの住む皇国では宮廷魔術師の献策によって学校制度が確立していた。初等、中等、高等と進級試験に合格すれば、身分を問わずより高度な学問を受けられる制度は、国内の人材育成に役立ち、皇国の繁栄を支えている。彼女は中等教育を終え、高等教育に進む。それ自体は喜ばしいことだが、それと同じように兄が士官学校へ進学して、村から出て行ってしまうのだ。

 兄がもうすぐ、この家から、村から出て遠くへ行ってしまう。セリナの心中は乱れていた。また帰って来ると分かっていても、彼女は寂しくて仕方ないのだ。行って欲しくない思いもあったが、せめて見送りぐらいは笑顔でできるようにと、彼が旅立つ暦の日付に丸印を付けて、後何日、側に居られるのか数えていた。

 空覇の月の二十六日、それが兄の旅立ちの日だ。残り二十六日間、一ヶ月しかないと思うと、彼女は寂しさを抑え切れなくなると同時に、悲しくもなる。もう少女ではないのだから、しっかりしなくてはと自らに言い聞かせた。

 階下からは使用人たちが忙しく動き回っている気配が伝わって来る。進級式には正装で出席する必要があり、いつまでもウジウジとはしていられない。

 彼女は意を決して起き上がると、寝間着(ナイトガウン)を脱いで着替えに取り掛かった。衣装棚から白の長衣(ローブ)を取り出して着用する。その上から青の外衣(ガウン)を纏い、金糸で装飾された幅広の腰帯(サッシュベルト)で引き締めた。幅広の腰帯(サッシュベルト)を金環で留める者もいるが、彼女は蝶結びで留めるのを常としている。左側前方に結び目が来るように結んだ。

 腰まである銀髪は一つに纏めて、青い(リボン)で結上げる。この(リボン)は兄から贈られたもので、彼女のお気に入りの一つでもあった。せめて身近に兄の存在を感じていたいという乙女心の表れだ。今日のような特別な日だからこそ。

 手際良く身支度したつもりの彼女だったが、優れない気分を反映したのか、普段よりもやや時間が掛かった。心配したメイド長が様子を見に来る前に、彼女は大急ぎで部屋を出る。

 二階の廊下から階段を降りると、そこへ祖父がやって来た。

 祖父、オースティン・アシャルナート。

 彼は若かりし頃、皇王に仕える騎士だった。隠退した今では、伯爵の代理人としてこの邸宅と領地の管理を任されている。オースティンに騎士時代の面影はなく、髪や髭はすっかり白く染まっていた。それでも毅然とした雰囲気を保っているのは、彼の一族が由緒ある家柄だからだろう。アシャルナート家は七騎士と呼ばれる英雄たちの末裔だ。

 七騎士とは、ティルフォートに平和をもたらした古の戦い、聖大戦で創生の神より選ばれた英雄たちである。かつて天と地は混沌としており、神や精霊、様々な生き物たちが覇権を争っていた時代があった。その時代に創生の神がこの地へ降り立ち、今の世界の基礎になる神々を束ねて、世界を一つに纏め上げていく為に戦った。その聖大戦と呼ばれる戦いの後、神々は地上の統治を人類に委任した。七騎士はそれぞれに土地を分割して国を建て、リフティア皇国は七騎士筆頭の子孫だ。この建国神話は初等教育で習うので、皇国の住民で三十歳以下の人々は誰でも諳んじることができる。

 アシャルナート家は建国の揺籃期にそれぞれの国に力添えした後、幾世代かを経て子孫を各地に分派させていた。

 だから今のオースティンに、その七騎士の面影を見出そうとしても微塵も窺えないぐらいに時が経過している。

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