遅刻の言い訳
皇都からの早馬で騎士任命式の延期を伝えられたオースティンは、戻り行く使者を黙って見送った。しかし彼は困惑を隠せない。既に来賓の多くはトレリット村に参集しており、今更の延期は無理な状態だ。また皇王は一度決定した物事を覆す性格ではなかった。そして、目の回るような忙しさの中でこの勅命は理不尽とも感じる。
「一体、どうしたものか」
任命式まで三日、オースティンは頭を抱えそうになった。今までにない皇王の勅命でもあり、任命式の延期は不吉な事柄でもある。あらゆる可能性を模索する中で、ふとオースティンの頭に閃く事柄があった。
「よもや、偽の勅命か?」
ドルマーの性格からは不正と縁遠いという先入観があったが、仮にドルマーが何らかの理由で遅れて来るのだとすれば、延期を申し入れて来るのは有り得る話だった。
「ドルマーめ、小賢しい真似をしおって」
オースティンは拳を強く握る。
「誰か!」
「はい」
彼が呼び掛けるとメイドの一人が姿を見せた。彼女も最近、アリーシャとは別に臨時で雇った新人だ。
「人を遣り確かめたいことがある、乗馬の名手を連れて来てくれ」
「畏まりました」
頭を下げて退出した彼女を見送り、オースティンは執務の続きに没頭した。
昼過ぎ、オースティンの前にはシオンが立っていた。
「オースティン殿、乗馬の名手と言えば、カインを除けば、騎士叙勲を受けた私めがこの村で一番となりましょう」
「ふむ、確かに。そなたがいてくれて助かった」
オースティンの脳裡には彼らよりも更に巧みな乗馬の名手が思い浮かんでいたが、彼女には頼めない。
「それでは騎士シオン・ジェルクン殿に依頼しよう。不肖の孫、カインの騎士任命者に推薦されている巡察使のジェラルド・ドルマー殿が、どこまで来ているのか確認して欲しい」
「ドルマー?」
シオンの眉根が僅かに寄る。しかし彼はすぐさま深々と頭を下げた。
「しかと承知しました」
「それと、もしもドルマー殿に問い質されることがあれば、延期の為に正確な日時を知りたいと伝えてくれ給え。ゆっくりでも良いともな。これは領主のトレリット伯爵からの依頼でもある」
オースティンの言葉をシオンは記憶に刻む。
「それでは厩舎に案内してやってくれ」
「畏まりました」
シオンを連れて来た新人のメイド、モリーが彼を先導する。揺れる金髪にシオンは見とれていた。
「シオン様、こちらです」
「ああ、ありがとう。個人的には、もう少し君と話がしたいのだがね」
「お上手ですわね」
モリーは微笑んで彼から差し伸べられた手を両手でそっと包み込む。
「無事にお役目を果たされましたら、その時に」
彼女の承諾を得たシオンの目の前に、馬が連れられて来た。美しい白い毛並みに彼は目を奪われる。
「これは見事な馬だ。流石は名門のアシャルナート家」
颯爽と白馬に跨がり、彼はモリーに微笑みかけた。
「それでは、また後日」
巧みな手綱さばきで彼は馬を駆けさせる。隣の宿場までは徒歩で半日ほどの距離なので、馬であればさほどの時はかからない。林道を抜けて、シオンは宿場に到着した。
「さて、ドルマーの奴は来てなさそうだな」
前の士官学校の校長とは言え、シオンもドルマーに対しては良い印象を持っていない。カインと共に過ごすことが多かった彼にも、ドルマーは厳しい指導を何度もして来たのだから印象が悪化しても改善することはなかった。
「もう一つ先か」
宿場は徒歩の旅行者を考慮して整備されているので、宿場の間はそれほど遠くない。乗って来た馬を少し休ませると、彼は再び林道を駆ける。夕刻、二つ目の宿場に到着した彼は、巡察を終えて村長の屋敷に向かうドルマーを発見した。
「ドルマー校長!」
呼び掛けると、彼を取り巻いていた従者たちが一斉にシオンの方へ向いた。
「ご壮健そうで何よりです」
「おお、サルードゥン伯爵のご子息ではないか」
ドルマーの方では嫌われているとは全く思っていない。下馬して目の前に跪いた彼に対して、ドルマーは微塵も警戒心を抱いていなかった。
「このような所へ、何用かな?」
「はい、この度、我が友のカイン・アシャルナートが騎士叙勲を受けるにあたり、閣下直々のお越しと聞き及びました」
シオンは淀むことなく用件を伝える。
「ご領主のトレリット伯爵は閣下のお越しを待ち望んでおります。それで到着の正確な日時を確かめるようにと、私めが拝命して参りました」
「そうであったか、それは大儀であった」
ドルマーはチラリと従者に視線を送った。
「詳しい日時は、この者に確認してくれ。私は巡察の結果を村長に伝えねばならん」
「はい、貴重なお時間を割いて頂き、ありがとうございました」
シオンは形ばかりの礼を返したが、ドルマーは上機嫌で村長の屋敷へ入って行った。その後ろ姿を見送ってから、シオンは立ち上がる。
「何か、あったのですか?」
「ええ、実は……」
従者から、馬車の状態と今後の見通しを聞かされる。
「それでは任命式は延期するしかありませんね」
「左様でございます。心苦しいのではありますが……」
「いえ、トレリット伯爵からは正確な日時を聞き出すよう仰せつかっております。遅れても、慌てずゆっくりとも」
「トレリット伯爵の寛大な心遣いに感謝致します」
従者は大仰に頭を下げた。シオンはその様子に冷たい視線を送る。伝えるべきことは伝えた。後はトレリット村に戻ってオースティンに報告するだけだ。
「私は明朝に報告に戻ります。急ぎではありませんので、ドルマー閣下にも、そう伝えておいて下さい」
「はい、確かに」
シオンは彼らに遅れても問題ないと印象付けようと、自身もゆっくりしているよう振る舞った。
翌朝、シオンは馬を駆けさせてトレリット村に戻る。
「シオン様がお戻りです」
モリーがシオンを伴ってオースティンの執務室にやって来た。
「シオン殿、ドルマーの状況は?」
「公用の馬車が破損したらしく、代わりの馬車を待っている様子でした。あの様子では早くとも当日の日没前、ゆっくりと伝えましたので翌日の到着でしょう」
シオンはありのままを伝えた。オースティンの表情が柔らかくなり、大きく頷く。
「感謝しますぞ。これでカインの任命式を滞りなく行えます。これは少ないですが、路銀の足しにして下され」
オースティンが合図すると、横に控えていたモリーが革袋を差し出した。ズシリとした重みから、かなりの金額と類推できる。
「それではゆるりとして下され。要望にはできる限り応じるように手配しましょう」
「心遣い痛み入ります」
シオンは辞儀を行い、メイドのモリーと共に退室した。扉が閉まり、二人の姿が見えなくなると、オースティンは嬉しそうに笑う。
「これで誰憚ることなくアルフォード殿に、カインの父君に後見人、任命者を依頼することができるぞ!」
小躍りしたくなる衝動を抑えて、オースティンは大急ぎでアルフォードの家に向かうのであった。