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風月佳人・前編  作者: 斎木伯彦
叙勲式
15/40

任命者

 カインの騎士任命式まで六日と迫った頃、皇都では彼の騎士任命者として指名された男性が出発の準備に追われていた。

 ジェラルド・ドルマー、前の士官学校の校長で、元は騎士団の団員でもあった。騎士団に所属していた頃の勤務態度は良好で、その謹厳実直さを買われて騎士団を退団してから士官学校の校長に任命されたほどである。

 しかし現在は度重なる不始末の責任を取らされて校長を辞任し、引き継ぎ業務にも追われていた。

「全く、あの問題児の騎士任命者に推薦されるとは。陛下の勅命でなければ即座に断っていたものを」

 独り小さく罵りながら、彼は準備を整える。

「しかし、あのアシャルナート団長の孫でもあるならば仕方あるまい。団長には世話になったし、考えようによっては恩返しの一つにもなる」

 彼はその事実に気がついて自己満足に浸っていた。

「そうだとも、陛下の勅命でもあるし、これ以上の栄誉はない。してみるとあの問題児も最後はわしに華を持たせてくれると言ったところか」

 彼がカインを問題児と呼ぶのは、士官学校の校長を勤めていたこの二年間に苦渋を何度も味わったからだ。天真爛漫を絵に描いたようなカインの破天荒ぶりと、謹厳実直で融通の利かない頑固親父を地で行く彼は、まさに水と油の関係であった。

 校長である彼が規律を求めれば、カインはそれを故意に破り、対立も幾度となくあった。通常ならば騎士の資格なしとして放校処分にしても良かったのだが、成績抜群の彼を放校処分とするだけの根拠としては弱く、更にカインの後見人が功労著しいオースティンであったが為に、厳しく指導することもままならなかった経緯がある。故に校長である彼にとってカインは目障りな存在であったし、自らの経歴に傷を付けた憎しみの対象でもあった。

「されど、私情を挟まないのが騎士たる者の務め」

 痩せ我慢と言って差し支えない生真面目な対応が、彼の心を蝕んでもいる。

「旦那様、旅の支度が調いました」

「うむ」

 使用人が呼びに来たので彼は屋敷を出た。玄関先に横付けされた馬車を御者が点検している。今回の馬車は地方巡回を行う者に皇国から貸し与えられる公用車だ。やや使い古された感はあるが、地方巡回には皇国の紋章が入った馬車を用いるのが慣習だった。ドルマーの性格を知悉している使用人たちは、こうして彼の目の届く範囲で点検して見せることでその信頼を得ているのだ。

「では出発だ」

 馬車に乗り込むと彼は命令した。護衛は子飼いの騎士が三人。カインの住むトレリット村までは馬車で五日ほどの旅程だ。旅は順調な滑り出しを見せていた。

「旦那様、この先は森林地帯ですので、慎重に進みます」

 二度の宿泊と巡察を済ませて、護衛の騎士が進言して来た。宿の前で御者が馬車の点検を行っている様子を見ながら、彼は苛立ちを隠せない。馬車の揺れが常よりも大きかったのが気になって仕方ないのだ。

「おい、本当に大丈夫なのか?」

「はい、何も異常はありません」

 馬車の下に潜っていた御者は不具合がなかったと報告する。眉根を寄せていた彼も、旅程の遅れを危惧して出発を命じた。

「何事もなければ良いが」

 皇国の治安は騎士団と治安士の活躍で保たれており、森林地帯と言っても盗賊の類いに襲われる心配はほとんどない。たまに動物や虫に襲われる者がいる程度で、それすらも滅多に起きないぐらいだ。

 馬車は軽快に走行し、一行は何事もなく森林の中にある村落に到着していた。

「旦那様、揺れは如何でございましたか?」

「うむ、昨日よりは遥かに良い」

 今朝の点検で異常がなかったことを裏付けるように、ドルマーは快適に過ごせた。馬の休憩も兼ねて彼らは軽く食事を摂る。

「旦那様、少し急ぎませんと、次の宿場での巡察に支障をきたします」

「それでは急ぎ出発だな」

 ドルマーが馬車に乗り込むと、馬車は即座に動き出した。護衛の騎士三人も馬車に続く。軽快に走行する馬車の中で、ドルマーは睡魔に襲われた。その刹那、馬の嘶きが響くが早いか、ドルマーは馬車の床に叩きつけられる。

「く……、何事だ?」

 打ちつけた額を押さえて状況把握をしようと扉に目を遣る。

「旦那様、ご無事ですか?」

 護衛の騎士が扉を開けて安否確認して来た。

「頭をぶつけたが、これしきのことでは何ともない」

 騎士団で鍛えた自負が、彼を支えている。

「何があった?」

「それが……」

 騎士の説明では馬車が突然傾いて、動かなくなったらしい。ドルマーは不機嫌な表情で馬車から出ると、失神して介抱されている御者を忌々しげに睨みつけた。

「ええい、異常なしと申しておったのに、何たる体たらくだ!」

 怒鳴り声が森に響く。その怒鳴り声に反応して、失神していた御者が意識を取り戻した。

「だ、旦那様!」

 御者は意識を取り戻すと、真っ先にドルマーの安否を確認しようと周囲を見回し、不機嫌な表情の彼を見つけてホッと安堵の溜息をつく。

「入念に点検して、この醜態は何事だ?」

「申し訳ありません、すぐに原因を調べます」

 頓挫している馬車の方へ御者は弾かれたように飛んで行った。大きく横へ傾いた馬車の周囲を回った御者の眉間には深い溝が刻まれる。

「車軸が折れています」

 車軸懸架と言われる構造の馬車では、車軸は頑丈な部品である。それが折れると言うのは到底考えられない事態と言えた。

「どうだ、直りそうか?」

「車軸が折れていますので修理は無理です」

「何だと?」

 御者の言葉にドルマーはますます不機嫌になる。

「陛下より預かった馬車をこのような有様にするとは」

「新しい馬車を手配するしかありません」

 御者の進言にドルマーは苦渋の決断を迫られた。幸い旅程には余裕を持たせてあるので、明後日までに馬車を調達できれば任命式には間に合う。

「仕方あるまい、お前はこの先の宿場に向かい、馬車と宿の手配だ」

「畏まりました」

 護衛の一人は馬を駆けさせて目的地に向かった。残った四人で馬車の荷物をまとめると、護衛たちは下馬してドルマーを騎乗させる。荷物は馬車から放した馬に載せ、御者が手綱を引いた。彼らもまた、次の宿場へと歩みを進める。宿場に到着する頃には日が暮れようとしていた。

「何だと?」

 彼らは村長の屋敷に案内された。執務の都合上、村の宿ではなく村長の屋敷に宿泊するしかなかったからだ。だがドルマーが驚いたのはそのことではなく、馬車の調達に最低でも三日程の日数がかかることだった。

「馬車を待っていたのでは、陛下の勅命を遂行できないではないか」

 何事もなければ明後日にはトレリット村に到着し、勅命で受けたカインの騎士任命式の前日までに巡察も終えている予定だった。しかし馬車を待っていては到着そのものが当日になってしまう。しかももう一カ所巡察が残っているので、下手をすれば期日を過ぎてしまう可能性もあった。

「申し訳ございません。トレリット村への往来が多く、荷馬車も人足も出払ってしまっているのです」

 村長の話を要約すると、常にない人や荷物がトレリット村に向かっていて、常備されている人馬がほとんど出払っていた。それらの人馬が戻るには二日以上がかかり、休息を摂ると出発までには三日はかかってしまうとのことだ。

「そうか、トレリット村への往来が原因か」

 ドルマーは状況を把握すると、少し考え込んだ。

「今後の対応については明日の巡察を終えてから考えよう」

「畏まりました。それでは食事の用意をさせますので、部屋にてお待ち下さい」

 村長夫人がドルマーを部屋に案内する。

「食事の支度ができましたら呼びに参ります。それまで寛いでお待ち下さい」

 一礼して退出した夫人を見送ってから、ドルマーは従者たちに今後の対応を告げた。

「早馬でトレリット村に任命式の延期を求める。これは陛下の勅命であると伝えよう」

「それは良い考えでございます、旦那様」

 護衛の一人が大きく頷く。

「頓挫した馬車の引き揚げも必要だ、これに人足を使い、引き揚げを確認した後に次の巡察を飛ばしてトレリット村に向かう。最善は尽くしたとなれば、陛下のお心も煩わせないで済む」

「確かに、陛下より預かりました馬車を放置してはおけません」

「うむ、他言無用ぞ」

「心得ました」

 馬車が壊れてしまったのは不可抗力であるのだから、これは仕方のない措置だと、ドルマーは心の中で自らを慰めていた。

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