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風月佳人・前編  作者: 斎木伯彦
叙勲式
14/40

兄の想い

「先生にも挨拶に行かなくちゃ」

 兄の部屋へと向かった彼女が庭の森に入って半ばまで進んだ頃、目の前から話し声が聞こえて来た。兄の部屋に向かう姿を見られないよう、彼女は咄嗟に茂みの後ろに回り込む。複数の足音と共に、話し声が近付いて来た。足音は彼女が隠れた茂みの前で止まる。

「どうして本当のことを言わないんだ、カイン」

 苛立ちを含んだ口調はシオンだ。

「いいんだ、これは俺が決めた事なんだ」

「皇都へ行かないことが、か?」

 しっかりとした口調で返したカインに、シオンは食い下がるように言葉を連ねる。

「残念だよ、俺は。お前がそんな風に思っていたなんてな」

「違うんだ。そんなことはない。俺にとっては大事な……」

 二人の会話を盗み聞きしてはいけないと思い、セリナは静かにこの場を離れようとした。しかし彼女の足は落ちていた小枝を踏んでしまう。ボキッと大きな音を響かせて小枝が折れた。

「誰だ、そこの!」

 二人の厳しい声に彼女は首をすくませて、その姿勢のまま硬直する。

「出て来い!」

 兄の声音は彼女が初めて聞くような凄味が含まれていた。セリナは恐る恐る立ち上がると、敵意がないのを示すように両手を挙げて茂みからゆっくりと歩み出る。

「ご、ゴメンなさい」

「リナか」

 顔面蒼白の妹を見て、カインは溜息交じりに安堵の表情を浮かべた。

「今の話を聞いていたのか、全部?」

「ゴメンなさい、聞くつもりはなかったのだけど、皇都には行かないってところだけ」

「そうか」

 セリナが正直に話すと、兄は困ったような表情になる。

「じっちゃんには言うなよ、今はまだマズイからな」

「言わないわ、任せて」

 兄が怒っていないのを確認してセリナは大きく頷く。

「それで、こんなところで何をしていたんだ?」

「先生の家に行こうと思って、お兄様を呼びに来たのだけれど、誰かに見られるのが嫌だったから」

「分かった、ここからは一緒に行こう」

 カインは微笑むとセリナ、シオンを伴って森の中を湖に向けて歩き出した。

 彼らの先生、アルフォードの家はトレリット湖の北東の畔に建てられた小さな家だ。真っ白な外壁の家は、テラスが湖の上にせり出していた。その為、湿気を避けるのに高床式に建設されており、玄関へは屋根付きの階段を登る必要がある。三人はカインを先頭にして玄関先に並んだ。

「師匠! 師匠!」

 カインが大きな声で呼び掛けると、玄関が内側から開かれる。三人を出迎えたのは赤紫色の髪の毛をした美しい女性だった。

「まあ、よく来てくれましたわ。お入りになって」

 微笑みながら彼女は三人を招き入れる。玄関から淡青色の絨毯を敷いた廊下を一同は進んだ。突き当たりの扉の奥へと三人を通す。

「お掛けになって待っていて。今、呼んで来ますから」

 三人が通されたのは、広いフロアリングの部屋で、中央には大きなテーブルが置かれていた。カインは慣れた動きで椅子の一つに腰掛ける。その隣にシオンを座らせて、セリナはテラスの向こうに広がる湖を眺めていた。

 ややあってから夫婦が戻って来る。素早くカインが立ち上がり、黙礼した。

「立派になりましたね、カイン」

「これも師匠のお蔭です。ありがとうございます」

「いやいや、日々の努力の賜です。これからもしっかり励むのですよ」

「はい」

 畏まったカインを目の前にして、優しい微笑みを浮かべた彼は妻のシェラザードに目配せする。彼女は頷くと、奥へ引っ込んだ。細長い包みを手に彼女が戻って来ると、アルフォードはその包みを受け取る。

「カイン准爵、これは我々夫婦からです」

 表情を引き締めてアルフォードは包みを解いた。中身は一振りの剣である。鞘を払うと神々しい光を放つ刀身が露わになる。それは誰が見ても感嘆するであろう名剣であった。

「これは……?」

 鞘に収められた剣を渡されて、カインは驚いている。

「それはあなたのものです、カイン。いつかこの日が来ると見越して、用意していたのですよ。持って行きなさい、必ず役立つ時があります」

「ありがとうございます」

 感激の余り、カインの声は詰まっていた。その彼に更にもう一つの包みが渡される。

「こちらは騎士服です。任命式にはこれを着用するのですよ」

「はい」

 頷いた彼の双肩にアルフォードは手を掛けた。

「立派な騎士になりなさい。私の弟子として、恥じることのないように」

「はい、アルフォード・ルフィーニア様。この剣と騎士の名誉に賭けて誓います」

「期待していますよ」

 優しい微笑みの彼の目の前で、カインの目尻から熱い滴がこぼれ落ちる。

「師匠~」

 男泣きだった。

「何を泣いているのです。相変わらず泣き虫ですね、カイン」

「本日、ただ今よりは立派な騎士になれるよう、師匠の名を汚さぬよう、更に努力を重ねます」

 目元を拭いながらカインは宣誓した。セリナやシオンの目尻にも光るものが浮かぶ。夫の後ろにいたシェラザードまでもが目尻を拭っていた。

「皆さん、湿っぽくなりましたね。気を取り直して、お茶を飲みましょう」

「すぐに用意しますわ」

「私、手伝います」

 台所へ向かうシェラザードの後ろをセリナが追い掛けて行く。

「天気も良いですし、テラスでお茶にしましょう」

 アルフォードに促されて、カインとシオンはテラスに出た。眼前に広がる湖は静かに波立っている。

「カイン、あなたの原点はこの湖です。それだけは忘れてはなりませんよ」

「はい、師匠」

 力強く頷くカインとその師匠を見ながらシオンは不思議な感覚に陥っていた。目の前の師弟を見ていると、師弟関係を超えた絆、まるで親子の情愛にも似た雰囲気を垣間見たからだ。

「カインには良い師がいるのだな」

「シオンさん、羨ましいでしょう?」

 お茶を載せたトレイを持ったセリナが、微笑みながらテラスにやって来た。

「さあ皆様、お待たせ致しましたわね。どうぞ召し上がれ」

 お茶と共に焼き菓子が出される。幸せな気分を一同は満喫した。やがて来る、運命も知らぬままに。

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