シオン
「お知り合いなの、お祖父様?」
孫娘に尋ねられて、オースティンは嬉しそうに目を細める。
「気になるかの、セリナや。ワシとここにおるシオン殿の祖父とは昔、同じ任務を共にした大切な戦友じゃよ」
彼の視線は昔を懐かしむように宙を彷徨った。丁度、そのタイミングでアリーシャが静かにお茶を運んで来る。一同の前に差し出されたお茶は豊かな香りを漂わせていた。それをシオンに飲むように促したオースティンはしかし、椅子から立ち上がった。
「ゆっくりして行かれよ、シオン殿。サルードゥン伯爵には使いを出しておこう。申し訳ないが、いつまでもこうしている訳にいかぬのでな。では失礼」
オースティンはそれだけを言い置くと、大広間から出て行く。その背中を見送って、それまで沈黙を保っていたカインが大きく息を吐き出した。
「あぁ、助かった。シオン、やっぱ一緒に帰って来て正解だったぜ」
ニヤリと口元に笑みを浮かべ、卓上のお茶を一気に飲み干すと、彼は心底嬉しそうな表情を浮かべる。
「ガミガミ言われずに済んで良かったぜ、本当に」
彼のその言葉を聞いた途端、セリナがテーブルを叩いて立ち上がった。
「一体、何をやっていたの。修了式はとーっくに終わっているはずよ。それなのに、どこで油を売っていたのかしら、カ・イ・ン・お・に・い・さ・ま?」
アリーシャとシオンの目の前にも拘らず、彼女は大声でカインを叱責する。まさか妹から怒られるとは思っていなかったらしく、カインはしどろもどろになった。
「よ、よぉ、暫く見ない内に益々綺麗になったな、リナ」
機嫌を伺うような世辞を言いながら、彼はシオンに目配せする。シオンは立ち上がると、素早くセリナの前に行き、彼女の手を取った。
「お初にお目にかかります。噂に違わず、美しい。貴女のような美しい方がお怒りになると、更に美しくなりますね。まるで満月のような輝きだ」
これまた、歯の浮くような世辞を並べるが、シオンほどの男前に言われては、さしものセリナですら頬を上気させて上の空になる。ほんの少しとは言え、彼女は不覚をとった自らを恥じて早口で捲し立てた。
「失礼ですがシオン様、ここでこのようにされていてよろしいのですか。貴方様も騎士任命式の為、お帰りにならなくても、よろしいのですか?」
「噂通り、聡明でもあられるようですね。しかし、ご安心を。私めに於きましては、既に騎士叙勲を受けております故に」
シオンは口元に笑みを浮かべている。しかも途中で彼はカインの方へ視線を動かしていた。
「こればかりは、如何に名門アシャルナート家といえども、どうにもなりませんよ」
シオンは真面目な口振りだが、実際には口元が綻んだままだ。セリナには訳が分からない話だ。
「どういうことなの、お兄様。説明して下さらないと、良く分からないわ」
彼女が尋ね掛けると、カインは渋々答える。
「えーと、つまりだな、騎士の資格は卒業と同時に貰えるけど、資格だけでは騎士にはなれねぇ。誰か後見人を定めて任命式をやらねぇとな。こいつは父親が貴族だから、学校にいる間に任命式をやっちまったんだよ」
「そういうことです」
シオンは澄まし顔で頷いた。それでセリナも彼に揶揄われていたのだと気が付く。と同時に祖父が近頃は忙しそうにしているのかも理解できた。そこまで思い至り、彼女は更に腹立たしくなって来る。
「それで、お兄様が遅く帰って来るのと、どう関係するのかしら?」
「だから、こいつの任命式に……」
「出席していませんよ」
カインが言い訳しようと切り出した矢先、シオンはサラリとそれを否定した。カインは唖然として固まってしまう。
「こいつは、式など面倒だからと、すっぽかしました」
「て、手前ぇ、シオン! 裏切ったな」
「さて、何のことやら」
すっとぼけたシオンに対して、カインは喧嘩腰で突っかかろうとしたが、その彼に痛いぐらいの視線が突き刺さる。
「お・に・い・さ・ま、詳しくお話しして下さいますわよね?」
地鳴りが起きるかと思えるような雰囲気を纏った妹に、カインは気圧された。咄嗟に彼女の肩を引き寄せる。
「リナ、顔をよく見せてくれ」
言いつつ妹の頬に口付けする。突然の行為にセリナは驚いて硬直し、その隙に兄はシオンを連れてあっという間もなく逃げ出していた。ややあって我に返ったセリナは、怒ったように頬を膨らませる。
「も~う、お兄様ったら!」
憤りもそのままに、セリナは脇で控えていたアリーシャに向けて愚痴を放った。
「今のはあんまりだと思わない?」
「わたくしは何も見ておりませんが、兄妹仲がよろしいのは羨ましく存じます」
彼女は一礼して、卓上を片付け始めた。
「あまりこうしていると叱られてしまいます。お嬢様、失礼致します」
「ありがとう。引き止めてゴメンね、アリーシャ」
「いいえ、お気になさらずにお嬢様。それでは失礼致します」
アリーシャは食器を持って大広間から退出した。セリナも間を置かずに大広間を出て自室に戻りかけたが、思い直して兄の部屋へと向かった。