帰郷
カインが士官学校を修了して、トレリット村に帰って来る日が近付いていた。
士官学校を修了すると、騎士叙勲の資格が得られる。正式に騎士となるには、現役騎士か貴族の後見人を定めて騎士叙勲の任命式を行わなければならない。その人選と日取りはオースティンが余裕を持って定めたのだが、既に期日の十日前に迫っていた。賓客への招待状や関係各所への手配も済んでおり、延期や日取りの変更は許されない。任命式の準備で目の回るような忙しさに追われてオースティンの神経も昂ぶっており、今も朝食を摂りに大広間まで来た彼の足音は、いつになく荒々しかった。
「セリナ、どうじゃ。何かカインから連絡はあったか?」
席に着くなり、彼は孫娘に尋ねる。しかし彼女は首を横に振った。途端に祖父の眉根に幾筋もの深い皺が刻まれる。
「全く、あやつは何を考えておるのだ。何故、さっさとこの屋敷に戻って来ぬのだ。士官学校はとうに終わっているはずじゃ、それがどこをほっつき歩いておるのか。任命式まで時間がないと言うのに」
オースティンが怒りを露わにしているのを受けて、セリナも口を尖らせる。
「お祖父様、あまりお怒りになると倒れてしまいますわ。お兄様は死んではいないでしょうし、たとえ殺したって死んだりしないわ」
酷い言いようだが、オースティンはやや怒りを和げた。セリナは更に言い募る。
「それよりも、お祖父様の方が心配です。お食事を摂られないと倒れてしまいます。あんな薄情なお兄様など、心配するだけ損になるのは目に見えています。放っておけば良いのよ」
ぷくっと頬を膨らませて彼女は言葉を切った。しかし彼女はその言葉とは裏腹に、とてもカインを心配している。士官学校の修了認定が終わってから十日、とっくに屋敷へ帰り着いていてもおかしくない。むしろ、十日も経過して何の連絡もない方がおかしいのだ。
「あれほど望んでいた騎士の資格が手に入るのに、どうして帰って来ないのかしら?」
彼女は素朴な疑問を口にする。かつて近衛騎士だったオースティンの華々しい活躍を周囲から聞かされていたカインは、自らも騎士になりたいと強く望んだ。それには祖父であるオースティンも反対しなかったし、むしろ積極的に彼を鍛えていた。その成果がいよいよ花開く時に、当の主役が不在なのだ。セリナはテーブルを叩いた。
「もう、お兄様のバカ!」
「セリナ、珍しいのぅ、大声を出すなど。怒るのはワシ一人で充分じゃ」
オースティンは驚いた様子だったが、すぐに微笑みながら彼女を労った。すると彼女は俯いてしまう。
「そんなこと……。お兄様が悪いのよ。お祖父様や家の者たちに心配させるから」
「セリナは優しいのぅ。じゃから、あやつも何かあれば、お前には知らせるじゃろう」
「そうかなぁ? なら良いけど……」
諭されて気分が落ち着いたのか、セリナは普段の口調に戻っていた。オースティンも穏やかな表情に戻っている。二人が朝食の続きを始めると、慌ただしい足音が扉の向こうから近付いて来た。
「どうした?」
オースティンが扉に目をやると、黒髪の少女が入って来る。
「何事だ、騒々しい。何かあったのか、アリーシャ?」
彼にアリーシャと呼ばれたのは、つい先日臨時のメイドとして雇った黒髪の少女だ。不慣れな為に時折失敗もするが、素直でおとなしく、余計な事は一切話さなかったので、彼を始め昔からいる使用人たちからも気に入られている。彼女はおどおどしながら、軽く頭を下げた。
「申し上げます。カイン様がお帰りになられました」
「やっと帰って来たか!」
オースティンは朝食を中断して立ち上がった。
「それで、どこにおる?」
「客間にお通し致しました」
「客間か、良し」
今にも剣を掴み兼ねない勢いの彼を、アリーシャが慌てて止める。
「旦那様、カイン様はお一人で戻られたのではなく、お連れ様がいらっしゃいます。その方とご一緒に客間へお通し致しました」
「何と、どのような方だ?」
尋ねられてアリーシャが狼狽えていると、扉を開け放つ大きな音が響き渡った。三人が視線を向けると二人の人物が入って来る。
「よーぅ、帰って来たぜ。元気だったか、じっちゃん、リナ?」
二人には懐かしい声が聞こえて来た。そこには赤髪の逞しい男性、カインが立っている。更に彼の後ろには見慣れない男性がいた。身長はカインよりも少し高い。髪は紫がかった青、切れ長の目の内にある瞳は黒、鼻梁は高く真っ直ぐに通っている。美青年と言えた。その青年は躊躇なくオースティンの前まで進み出ると、優雅に頭を下げた。
「お初にお目にかかります。シオン・ジェルクンと申します。以後、お見知りおきを」
オースティンは目の前の青年を注意深く観察する。そして、記憶を掘り返していた。彼の名前に聞き覚えがあったような気がしたのだ。しかしその為、眉間に皺を寄せた、かなり厳しい表情になっていたが。
「カインとは、どちらで?」
「士官学校で同じクラスでした」
「ふむ。失礼だが、ダニエルというご親類はおられるかな?」
「ダニエル・ジェルクンは、私の祖父ですが?」
怪訝そうに答えたシオンの言葉によって、オースティンの表情は劇的に変化した。柔和な表情を向け、席を勧める。あまりの変貌ぶりに兄妹は目を白黒させていた。そのような二人には気付かず、オースティンはアリーシャにお茶の用意を命令する。
「あの、サルードゥン伯爵の孫殿か、そう言えばどことなく似ておるのぅ」
「そう、でしょうか? 私めはそうは思いませんが」
「似ておるよ。若き頃の伯爵に。懐かしいのぅ、息災かの?」
「ええ、子供の頃はしごかれました」
頷きながら昔を懐かしむオースティンと、身の置き所を模索するシオン。カインは黙ったままなので、会話の隙間でセリナが口を開いた。




