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風月佳人・前編  作者: 斎木伯彦
闇より来たる者
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闇より来たるもの

 漆黒の闇の中で、微かな吐息が漏れる。

「来たか……」

「はい、アベル様」

 少年の目の前に、黒髪の少女が跪いた。彼女を見据えるその視線は冷たい。少年の口元が歪んだ。

「地上は騒がしい場所だ。せいぜい気を付けて行け、アリーシャ」

「勿体ないお言葉です」

 一礼して彼女は足早に立ち去って行く。闇に溶けゆくその小さな背中を見送ってアベルは呟いた。

「……姉上、か」

 アリーシャは彼の父が、彼自身の母親であるエリスとは別の女性に産ませた子であった。彼が生まれる一年以上前に、彼女はこの世に生を享けている。だが、彼の父は彼女が自らの子とは公表していない。何故なら、彼女の母親が父の名を明らかにしなかった為だ。

「忌々しい月の者の娘、か……」

 アベルは彼の母であるエリスが何を目論んでいるのか予測できた。アリーシャに母親殺しの汚名を着せ、自らの手を汚さずにその血筋を抹殺しようとしているのだと。そしてそれを裏で画策しているのがウィルオードだというのも薄々と感じている。

「任務に成功しても、失敗しても消える命とは、酷な運命だな」

 果たして、彼の父親はその目論見に気付くだろうか。アベルはその対応に興味を抱いた。

「母上も何故(なにゆえ)、長に固執するのか。一族の支配は長がいない方がやり易いはずなのに……」

 彼は父をよく憶えていなかった。彼の記憶にあるのは剣術の稽古を受けたことと、腰に提げている剣が父から贈られた業物ということぐらい。父は彼が物心ついた時には、既に地上に出奔した後だったからだ。それはアリーシャも同じ境遇だ。

「父とは、何者か。それを見定めるのも、また一興」

 口元に笑いを浮かべてアベルもまた、闇の中へと溶け込んだ。


 数ヶ月後、ほんの一瞬とは言え尋ね人の意識を捉えた魔道具の導きにより、アリーシャは美しい湖の岸辺にやって来ていた。首飾りの形をした魔道具の指し示した方角へ進んで来たものの、明確な宛はない。その途上で立ち寄ったのが、目の前の湖である。

「地上には、美しい風景がある。それに比べて地下は……」

 彼女の胸中に暗い影が(よぎ)った。長が地下に帰らない理由が何となく分かったような気持ちになる。眼前の煌めく水面の穏やかな輝きに照らされ、吹き抜ける風に身を任せていると、嫌な事柄は何もかも忘れられそうだった。

「……見張りさえいなければ」

 彼女はアベルとカイザーの二人から監視されているのに気が付いていた。不意に首飾りが熱を帯びる。ハッとして周囲を見回すと、腰まである銀の髪をなびかせて一人の少女が湖までやって来るのが見えた。

「あれが、忌々しき月の者?」

 アリーシャは信じられない者を見た気持ちだった。ウィルオードから聞かされて想像していた姿とは大きく懸け離れていたからだ。むしろ、人畜無害に見える。

「隙だらけで、いつでも目的は達せられるな」

 今も湖の(ほとり)で、閑かに小鳥と戯れている。その笑顔は屈託なく、瞳の輝きは陽光を反射する湖水のようであった。アリーシャの中で疑問が生まれる。

「本当に、我が一族に仇為す者なのか?」

 彼女はずっと、そう言い聞かせられて育って来た。幼い頃の記憶はない。ただあるのは、一人ぼっちで泣いていた夜の記憶だけ。

「私の母を奪った、憎き月の者……。あの者の命を奪い、長が帰還すれば母上と会わせて下さると、カイザー様は仰った」

 アリーシャは、その言葉を信じていた。ある日突然いなくなった母親に会いたい一心で、彼女は剣の修業に明け暮れて来たのだ。

「私は迷わない」

 厳しい視線の先には、今も小鳥と戯れている少女の姿があった。アリーシャが腰の剣に手を掛けて襲いかかろうとすると、不意に森の中から一人の男性が姿を現す。黒を基調とした長衣(ローブ)に身を包んだ彼は、静かに彼女へ歩み寄った。

「セリナ、ここにいましたか」

 穏やかな声は小鳥を驚かせない。セリナと呼ばれた少女が振り返った。

「見つかっちゃった」

「あまり一人で出歩いてはいけませんよ。どこで誰が狙っているか分かりませんからね」

「先生ったら、冗談でしょ?」

 セリナは快活に笑っているが、男性の視線はアリーシャのいる茂みに向けられていた。二人は何事もなかったかのように森の中へと歩み去って行く。

「くっ……、あの男、何者だ?」

 アリーシャは恐怖していた。完全に気配を消していた自信があった分だけ、その恐怖は鮮烈だ。偶然としても、寸分違わぬ角度で見抜かれていた。

「あのような男がいるとなれば、目的達成は難しくなるか……。仕方あるまい」

 アリーシャは身を翻すと、森の中へと走り始める。

「まずは、身辺に接近する。信頼を得て二人きりになった時に……」

 彼女は頭の中で綿密な計画を練った。

「偽名を用いていてもあれが憎き月の者、ルーディリートに間違いはないのだからな」

 運命の歯車は回り続ける。

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