第3話…この旅の目的 04
ヒースはゆっくりと目を開いた。
そこは、いつもと同じ、桃色の風景ではなかった。見慣れたふうの神殿の中である。だが、仰向いてよくみると、知っている神殿達よりは遥かに小さく、何処か小さな村や街のものだろうと思われた。
「何でこんなところにいるんだ?」
口に出して言うのだが、かなり反響するように作られている神殿の中で、声は染み込むようにすぐに消えていった。
「ここは何処だ? ……あ、君!」
暗い聖堂を見回していて、不意にその柱の影に、長いスカートの裾ときらきらと光る髪の端を見つける。
何の理由もなかったが、夢の中の少女だと、確信していた。
追いかけても、少女の体全体はとても見えない。髪や衣装の色まで判らない。ただそれが、光っていることは確かだった。まるで、夜中の猫の瞳のように。
だが、声は聞こえた。鈴を転がしたような、可愛らしい、優しい声だった。
「ヒース、ヒースクリフ……」
「待ってくれ、君、君は誰なんだ? どうして俺の夢に出てくるんだ? 薔薇の指輪は、何なんだ?」
「こっちよ、ヒース」
少女はぐるぐると聖堂の中を回ったあと、祭壇の壇上に立ち、丁度そこにある地下への穴を降っていった。
ヒースは驚いて、身を乗り出して中をのぞき込み、途中から壊れた縄の梯子と、その横にたらされた新しいロープを見た。
ロープを伝って、ゆっくりと下りる。途中で下を見て、うずくまる見慣れた背中を見つけた。
「フォーチュン! おまえ、どうしてこんなところに! ……先に行ったんじゃ………………何で泣いているんだ?」
フォーチュンは、床に両手をついて、大声で泣いていた。今までその声が聞こえなかったのが不思議なほどの大声で。
「フォーチュン?」
優しく問いかける。
フォーチュンは顔を上げずに、うわずる声で、自分が神官を殺してしまった、と嗚咽した。凍って助けを待つ神官を、彼は自分の不注意で、壊してしまったのだ。
その光景は、自然とヒースの脳裏にも浮かんだ。まるで、見ていたように。上の穴からのぞき込む、誰かの影。そして、梯子が壊れ、フォーチュンが落ちる。
「俺が……俺が……」
ヒースは何と声をかけていいか判らず、助けを求めるように辺りを見回した。
床の上には、赤い血が広がっていたが、その中に、神官の首を見つける。。
普段ならば悲鳴でも上げそうな光景だが、夢だと思っていたし、ヒースはあることに気付いて、その首をそっと手にとった。
「フォーチュン、でも、神官様は許してくれてるよ」
「バカなことを言うな! 俺が殺したんだぞ!」
「でもほら、安らかに笑って下さっている」
目を上げたフォーチュンの前に、首を差し出す。
老いた神官は、聖者のような輝く微笑みを浮かべ、まるで眠っているようだった。皺の一本一本が、老いではなく、平安を造り上げていた。何のしみもけがれもなく、本当に美しい顔だった。
フォーチュンの緑色の瞳に、涙が溢れる。
「な? 赦して下さっている」
フォーチュンは何も言えずに、頷いた。
そして再び泣いた。涙の意味はもう、今までのものとは違った。
ヒースはそっと、その場を去った。
彼の耳元で、鈴が鳴った。
「指輪を大切にして下さい」
鈴の音はそう言っていた。
大きく背伸びをして、片目を開ける。隣のベッドに寝ていたクリスは既に万全の用意を整え、窓辺で朝の祈りを捧げていた。
ヒースは他神の司祭を見るのはクリスが初めてだったから、欠伸も途中で切り上げて、祈りの風景をまじまじと見詰めた。
クリスは口の中で囁きながら、両手で掴んだナイフを、空中で円を描くようにゆっくりと動かす。
「へぇ、やっぱ違うもんだなぁ」
「あ、起きられましたか? お早うございます。朝食の用意が出来ているそうですよ」
クリスは特殊な模様の描かれたナイフを腰の鞘に戻し、振り返る。
「違いますか?」
クリスが突然そう言ったのは朝食の席で、最初、ヒースは何のことを言われているのか解らず、きょとんとした。
「風の神官と、ですよ。朝のお祈りの時に言っていたでしょう?」
「ああ、あれね。ほら、フォーチュンの親父が神官だろ? 儀式とか祭典の時には間近でみる機会とか、たくさんあってさ。
風の神官は必ず、風を通して祈るから、閉め切って祈ってるのってなんか妙でさ……妙と言えば……今朝、夢を見たな」
ふと思い出して、記憶を探る。
「夢? 楽しい夢ですか?」
ヒースは頭をかきながら、
「いやぁ……楽しいって言うか……最後の方ではフォーチュンが出てきてたなぁって。
あいつがあんなに泣いているのなんて、本当に久しぶりだなって思ってさ。
わんわん泣いてたな、どこか暗いところで。……よく憶えてないや。夢だしね」
「今度、夢の女神の神官に夢解きでもしてもらいますか?」
「機会があったらね」
笑って、相づちをうつ。
外の雪はますますひどくなっていたが、風は次第に止み始めていた。
歩く分には丁度いいのだが、風の神の国で風が止むと言うのは、ゆゆしきことだ。その分、風の神の力が弱っていると言うことなのだから。
さらさらですぐに飛ばされていた雪も、次第に重く、地上にしんしんと積もり始める。
ヒースとクリスは急いでドーラを目指した。
朝起きて、フォーチュンは大きく背伸びをした。脇では、暖炉は雪が煙突に詰まって使えないために、床で椅子を燃やすシルが、スープを作っていた。
「へぇ、すっげぇいい匂い。もう、食える?」
子供のように首をかしげるフォーチュンの目の縁はまだ赤く、シルは一瞬驚いて、続いて苦笑した。
「おまえは子供のようだな」
スープを携帯用のカップに受け取り冷ましつつ、フォーチュンは笑った。
「赦してくれるって言ったから……」
「誰が?」
「夢にみたなんて言ったら、そいつが図に乗るから誰にも言わねぇよ。
……ま、あんたがいてくれて助かったよ。
…………それよりよ、確かに俺の方があんたより年下だ。だからって、おまえ、おまえってばかり呼ばれるのもなんだぜ? たまには名前を呼べよ」
シルはスープをかき混ぜる匙を止めて、奇妙な表情でフォーチュンを見返した。
「な、なんだよ。文句でもあるのかよ」
「……いや、特にないが……ならば何と呼べばいい?」
「………俺、シルに名前、教えてなかったか?」
シルは黙ってこっくり頷いた。