第3話…この旅の目的 02
村長に無理を言って門を開けさせ、夜になってすっかりと暗闇に閉ざされた街道に出る。
「何だい何だい、ヒースまで一緒になって! 付き合いならあいつより俺の方が長いだろうに!
……けっ、…………そ、そりゃぁ、ふけようなんて言った俺も悪かったとは思うけどさ。何もあんなにマジになる必要なんて、ねぇじゃねぇか!
けっ! ……へっ、へっ、へぇっくしゅん!! うぉぉぉっ、さみぃっ!」
ブルブルと肩を抱いて、辺りを見回す。
そこには、昼とは全く違った光景が広がっていた。
黒く鬱蒼と茂り、今にも彼を飲み込もうと背伸びするかのような森。反対側には、銀色に輝く月に照らし出された、凍った草原。どちらも、違う方法で、人間を拒否するかのように、そこに在った。
フォーチュンは意味のない行為とは知りつつも、寂しさを紛らわせるために、横におとなしく待つ馬の鼻をなでた。
街道を雪原の方に抜ければヴェラールにつく。だが、そうなった場合、すぐに騎士マウアーに見つかる可能性も高いだろうと思われた。
村の名前にもなっている「囁きの森」の中を抜けると、次の目標であるドーラと言う村がある。
両方の道を交互ににらみつけていると、さっさとしろとでも言いたげに、馬がブウルルルッと真っ白い息を吐いた。
「わ、わかったよ、わかった。ヴェラールには行けない。こっそり帰ったのがばれれば、それこそクソ親父になんて言われるか! 行くところは、こっちしかねぇのさ」
仏頂面のまま、森へとはいる小道を歩む。
主だった街道は帝国時代に石畳で舗装されている。それが、風の弱まる森の中では、雪にも覆われず、むき出しになっていた。
堅い靴音が、そんな道に響く。
幼い頃から、それほど夜闇を恐がらない気性ではあったが、さすがに木々が生い茂る森が作り出す闇は、街のそれとは違う。しかも、ここは「囁きの森」と呼ばれる、曰くある森でもあった。
「何でもよ、ここは昼でも暗くって、葉の擦れる音が「囁き」に聞こえるんだってさ。「とっとと帰れ、とっとと帰れ」「食っちまうぞ、食っちまうぞ」ってな。それでも恐れずにここで夜を明かした者は、気違いになっているか、もしくは神の祝福を受けているんだってさ。
……へへ、祖母ちゃんが教えてくれたんだぜ? 信じられるか?
それが本当なら、俺は明日の朝には狂人か聖者だぜ?
……勿論、他愛のない昔話なんだけどよ」
小声で呟きながら、左手に手綱を握り、右手にたいまつを持ち、歩く。彼は気付かなかったが、歩いているつもりの足は、かなり早く動いていた。
「べ、別に恐かねぇさ。……でもまぁ、狂うってのもいいかもな。あのバカども二人に、俺を失うってのがどれだけ悲しいことか、教えてやれるかも」
「返って、静かになってよかったと思われるかも知れないぞ? その減らず口ではな」
「バカ言え! 俺様はそんなに小さな存在じゃないんだよ! 絶対だ!
特にヒースなんか、俺がいなくちゃ何にもできないんだ!」
「それは君の方の誤解かも知れない。友達は、君が彼を必要とするほどに、君を必要としてくれているのかな?」
確かにヒースは、普段のおどけぶりに比べると、内面はかなり大人だ。と言うより、「大人っぽい」分別があると言った方がいいだろうか?
「存在は内宇宙において永遠でありえるが、外宇宙においては変化を得ずにはいられない。変わりゆく物質を介す次元において、「変わらない」ということはありえないだろう?」
「そうだろうか?」
不意に疑問に思って、口に出す。
「おめぇの言ってることも間違っちゃいねぇと思うけど、俺はそれだけじゃないと思う。確かに「変わらない」ものを望むのはバカだ。特に、それが目に見えるものならな。でも、目に見えないものは? 俺は……」
ふと、立ち止まり、振り返る。
誰もいない。
左手には手綱が握られ、大人しい馬に続いている。他には誰もいない。
右手にはたいまつが握られ、闇に消える街道のその暗さを際立たせている。やはり何もない。
「……幽霊か?」
フォーチュンの声は震えていたわけではない。だが、恐れに満たされていた。
それに対して答えた声は、舞台俳優のように芝居がかり、それでいて甘えを許す母親のように甘い。
「そんな安っぽいものじゃない。〈答えを求める者〉だ。〈死すべき定めの者〉の子よ」
「〈死すべき定め〉? ……不老不死の種族か! 何でこんなところに空の民が!」
驚いた拍子にたいまつを落とす。その明かりは堅い石畳に円を造り、それも徐々に小さくしていく。だが、その火が消える瞬間も、フォーチュンは体を堅くして辺りを伺っていた。
「……狂皇に組みした人間は多く、空の民もまた多いと聞く。そのうちの一人か?」
祝福の風国を出たことのないフォーチュンは、実際に空の民を見たことはない。だが、空の民の際だった容姿については聞いたことがあるし、見分ける自信もあった。
空の民は三つの氏族に更に分かれる。
一つは暁の民、光を編んだ様な金の髪を持っている。一つは黄昏の民、輝く海のような金緑色と言う独特の髪を持っている。一つは夜空の民、暗く深い森のような深緑色の髪を持っている。
彼らは一様に青い瞳と尖った長い耳を持っていた。
この内の黄昏の民は央の国地方のある山岳に鷲達の峡谷と言う国を、夜空の民はさらにその東のドラインと言う国を、それぞれ持っている。
彼らは人間や現世に生きる生命の中で、最も神に近く、最も精神に比重をおいた生命であった。多くの人間が打算で狂皇の軍門に降ったが、空の民達は違う。
「あんたがたは強烈な精神力、強烈な個性に惹かれ、時にはあらがうこともかなわなくなると聞くからな」
「無粋だな、人の子よ。我々は現世においての永遠の追求を論じていたはずだ。狂皇などと言う命題を持った憶えはない」
「俺はよそ様に姿も見せられないような、そんな胡散臭い奴と仲良しにはなれねぇのよ。俺と話したけりゃ、俺の前に現れな!」
「君がそう言うのならば、仕方あるまい。気はすすまないのだが、人の目に映るようにしよう」
そう言う間にも、フォーチュンの目前に淡い光が集まり出す。青白い光は徐々に人型を形作り、ほのかに輝く人になった。それは深い紺色のマントに身を包む、長いストレートの髪のしなやかな体の青年だった。
「…深い緑色の髪、森深く煙る夜空の民か……」
「森深く煙る? 古き良き呼び名だな。正しく伝説の如く。おまえは詩人なのか?」
深い深い青い瞳が、瞬きもせずにフォーチュンに注がれる。
空の民の瞳には魔力が宿る。
古い言い伝えを感じつつ、視線を外せず、フォーチュンは頷いた。違うと否定することも、強がることも、彼にはできなかった。
「ならば、どの様な物語を歌う詩人だ?」
「いや……俺は……詩人じゃない……まだ、詩人じゃない。どんな歌も歌わない」
ひどく屈辱的な気がして、フォーチュンは面を背けて、呟くように言う。
空の民の方は納得がいったように頷き、
「それでか……おまえの言葉は搖れていた。私はその搖れに惹かれて、姿を現してしまった。迷う言葉はそのまま物語だから……」
「……あんたも、詩人なのか?」
「そう、私は詩人だ。私は、歌うべき歌を見いだし、造っている詩人だ。
シル・マーロン、私の名を呼ぶべき者には普段、そう呼ばれている」
歌うべき歌を見いだし……、そう言ったときの空の民の表情は、氷のように冷たく、何か暗い光を瞳に宿していた。
フォーチュンはのぞき込むようにシルを凝視したが、空の民の方はふと視線を外し、地面に落ちて冷たくなってしまったたいまつに手をかざした。そして、歌うように魔法語を呟く。たいまつの先から煙が上がったかと思うと、そこはもう、オレンジ色の火に包まれていた。
「人の子よ、おまえはこれから、何処へ行こうとするのか?
察するところ、友人との喧嘩で、暗い森を一人歩く羽目に陥ったようだ。
しかし、この森を抜けるとすぐに猛吹雪に視界を閉ざされ、明くる日には友人が、凍ったおまえを見つけることとなろうが?」
「……空の民って、皆、そんな面倒くさい喋り方をすんのか?」
まるで、舞台の上の役者のように」
フォーチュンは、些かショックを受けて、問う。
シルは驚いたようにフォーチュンを見おろしたが、ふっと微笑んで、栗色の癖っ毛をくしゃくしゃっと混ぜた。
「な、何するんだよ!」
「許せ、親愛の情だ。
我ら空の民は永久の時間を持つ。
私はまだ若く、百年と僅かしか生きてはいないが、我らは人間が忘れ去った過去にも生きていたし、それは私も同じこと。
おまえの生まれる遥か前、帝国が華やかであった頃、この言葉は私にとって普通であり、栄華の片鱗であった」
「……つまり、そんな喋り方しか出来ないって言うんだな?」
シルは優雅に微笑む。
「下品な喋り口調は好むところではない」
「……どうも最近、俺に喧嘩を売る奴が多くていけねぇや……。
まぁ、いい。俺はとにかく先を急ぐんだ。吹雪だろうとなんだろうと、森を抜けたいんだ。……恐いわけじゃないぞ?」
おかしそうに空の民が笑ったので、フォーチュンはことさら威張った口調でビシッと言った。シルは笑いながら頷き、先ほどの問いに答えて欲しいのだが、と言った。
「問い?」
「おまえがこれから、何処へ行こうとしているのか、だ」
「これから? ……そうだな、今夜中にドーラに行こうと思ってた。それから、アノバに、アトン……その先は憶えてねぇや。ま、ドーラで一休みしてたら、バカども二人とも合流できるだろうし」
「ドーラに、アノバ……そして、アトン」
シルは考え込むように街の名を口にしてから、誰かの声に耳を傾けるようにして、目を閉じて暫く立ち尽くした。
「おい、……シル?」
「……ん? ああ、すまない。私はおまえと暫くこの旅行きをともにしたいのだが、よいか?」
「ああ? 俺と? 何で?」
「…………おまえがどういう歌を見いだすのか、見てみたいのだ。
ついて行ってもいいと言うのなら、今宵、吹雪を通らずしてアノバにおまえを連れて行ってやろう」
今度は、フォーチュンが考え込む番であった。
胡散臭い空の民ではあったが、フォーチュン達に与えられた仕事は、重要な機密という奴ではない。
なら、吹雪にあわずにすむと言う安易な打算と引き換えにしても、それほどまずいことはないだろう。
実は何よりも、本物の詩人に会えたと言うのが、フォーチュンの中で大きな位置を占めていたのだが、本人はそんな自分に気づきもしなかった。
「いいぜ、別に。ただし、俺が困るようなことは嫌だからな」
「わかった」
シルはどうやら身についてしまっているらしい、彼特有の優雅な中にも鋭いものがある笑みを見せ、早速、魔法語を唱える。
今度は、淡い光に包まれたのは辺りの光景の方だった。
「ひゃぁ! 周りが全部、光ってるぜ?」
「それは違う。光っているのは我々の方だ。我々が光っているために、君の目には周りが光っているように映ったのだ。
そしてこの光は次元の分かれ目を、我々が通ったと言う証」
シルはそう言って、フォーチュンと彼の馬の手綱の両方を片手に握り、あいた手で更に印を結び魔法語を唱えた。
フォーチュンはその低く朗々と響きわたる、歌のような旋律に耳をそばだてた。
西方では司祭と神官の区別は簡単である。司祭は神の意志の元、その神の力の一端となる奇蹟を具現化するが、神官は奇蹟の具現化ともう一つ、宇宙の構成に直接働きかける魔術を操ることが出来るのだ。
これは、信仰する神が魔術を認めるか否かによるもので、フォーチュンの信仰する風の神は、知識と秘術の神でもあったから、その僕達は魔術に手を染めることが許されていた。
それ故にフォーチュンも、弱冠の魔術なら使うことが出来る。だが、それはまだまだ未熟で、彼には学ぶことしか許されていない。
「熱心だな」
不意に音楽が途切れ、そう言われる。
フォーチュンはいつの間にか閉じていた目を開いて、自分が立っている暗い街道に目を走らせた。
目前には門がそびえ、それが風よけになり、吹雪は彼の方に迫っては来なかったが、その分、猛り狂った風の叫びが、彼の耳に満ちた。
「ついたのか?」
「ここがドーラだ」
視線を向けて、シルが答える。