第3話…この旅の目的 01
「最初の目的地は何処?」
街道にそってぎこちなく馬を進ませながら、フォーチュンが振り返る。
クリスは器用に片手で手綱を握りつつ、馬の脇に引っかけられた荷物から丸まった地図を引っ張り出した。だが、広げようとしても、一瞬の隙も見逃さず強風がさらおうと襲ってくるので、なかなかうまくいかない。
ヒースがすかさず、クリスの風上に馬を進める。その影で、クリスは苦労して地図を広げた。
「あぁ……フ……フェイ……ごめんなさい、ふだん使わない単語はちょっと……」
「どれ、ああ、囁く森だ、フォーチュン。次の分かれ道で、フェイサロンの方へ向かうんだよ」
横からのぞき込んで、ヒースが大声で答える。フォーチュンは片手を上げて、馬を更に急がせる。
ヒースもそれにすぐに続いたが、クリスは一人、馬を止めて視界の広い白い世界を見回した。
祝福の風国は元来、痩せた土地しかなく、草原が連綿と続いていた。
ヴォトランの寒気に侵される今も、なだらかな雪原が視界の限りまで続いているだけで、時折姿を見せる樹木も、一本や二本程度で、寂寥感を増すだけだ。
こういった光景は、ヒースやフォーチュンに言わせると、祝福の風国では当たり前のものだった。
確かに疎らに森もあるのだが、国土の六十%を占める草原は、他国に比べて拓く価値があるほど肥えていず、未だに農民のほとんどが他国よりも貧乏である。そう言った苦しい生活が、より強い信仰へと結びつき、各国独立の折に神官達はあえて、この痩せた大地に国を打ち建てるにいたった。
「私は……西方は豊かで、飢えることのない国だと思っていました…………」
クリスが呟く言葉は、先行する二人には当然届かず、風に流されて雪とともに消えていく。
その言の葉を追うように、手綱を強く握り、馬を急がせる。
焦ってはならない。心の中で自らを宥める。
西方は楽園ではない。そこに住むのは聖人ではないように、そこは楽土ではないのだ。
「楽土ではないからこそ、善も悪も、貧も富もここにはある。ここは生活の場なんだ。……そして、私達はもう、ここ以外に行くところがないんだ」
「あぁん? 何だって、坊主、何か言ったか?」
強風に煽られそうになる、風の神神官特有の背の高い帽子を押さえつつ、フォーチュンが振り返る。クリスは軽く微笑んで、
「早く行かねばならないって、言ったんです。私達が行くべきところへ……」
一瞬、フォーチュンはどういう表情を浮かべていいのかわからず、クリスを見返して馬を止めた。
「どうかしましたか?」
「べ……別に。そうだな。まぁ、急げばフェイサロンにはすぐにつくさ。……ちっ、邪魔だぞ、これ!」
どうも居心地が悪そうにゆらゆら搖れる帽子を、とうとうフォーチュンは怒鳴って掴み、乱暴に放り捨てる。目立たぬ位置でそれを支えていた顎紐が、プチッと切れた。
クリスは我が目を疑い、雪原を軽やかに転がっていくそれを、呆然と見送る。
「フ、フォーチュンさん? あ、あれは……神官の大切な帽子では…………?」
フォーチュンは馬首を先方で待つヒースの方に乱暴に向け、栗色の癖っ毛を揺らして、風になびかせた。
「気にするなよ。帽子なんざ、幾らでも手にはいるさ。風に捧げたことにでもすりゃ、いい」
「そ、そういうものなんですか?!」
噂には聞いていた。
風の神は自由を象徴する、縛られることのない神であり、その神官達も他の神の僕達に比べ、自由さでは格段のものらしい。が、実際に目の当たりにした、風の神官のいい加減さに、クリスは目がかすむ思いだった。
だが、すぐに思い返す。いや、神官がいい加減なのかどうかは、まだ分からない。このフォーチュンがいい加減なのかも知れないではないか。
少し離れて見ていて、彼の方に転がってくる帽子に驚く。クリスが何かを叫んでいたが、風にさらわれてよく聞こえない。
ヒースは、フォーチュンを見つつ、拾おうか? と言う表情をしてみせた。笑ってはいたが、フォーチュンはきっぱりと首を横にふる。驚いて、フォーチュンを凝視する。
いつもの、彼らしい軽い気持ちなのか、それとも他の何かなのか? ここはあまりにも遠すぎて、それを知ることはできない。まるで、二人の間の距離はそのまま、心の距離でもあるように。
その間に、帽子は道もない、足跡もない雪原へと姿を消してしまっていた。
「バカだな、そんな心配そうな顔、すんなよ。ちょっと怒られるだけさ」
馬を少し速めて横を通り過ぎるフォーチュンは、いつも通りの小バカにした顔で言う。その後ろを追うように近付いてきたクリスは、神官の衣装は簡単に手にはいるものなんですか? と戸惑ったように小声で聞いてくる。
「ああ、知らなかったっけ? あいつのうち、神官の家系だから。古いのがあるんですよ」
気軽に答えはしたが、異国人のクリスほどに、ヒースは自分の言葉を信じているわけではない。
今回のこのクリスを助けた件にしても、フォーチュンにはどうも、おかしなところがみられた。どうなってもいい、そう言う自暴自棄なところが、最近よく行動に表れるのだ。この短い旅の間に、その意味を問いたださねばならない……ヒースはそう、決めていた。
フェイサロンについたのは、夕方といわれる時間が終わる頃で、半日以上馬上の人だった三人の体はすっかりと冷えきり、しっかりと閉じた門を叩くフォーチュンの声が苛立っていても、他の二人は止めようという気すら起きなかった。
「おおらぁ、さっさと出てきやがれ! ヴェラールからの特使だ! 山賊じゃねぇぞ! 出て来て俺達を入れろ!」
山賊じゃないと断りを入れているあたり、自分の行いがそれ相応であるという自覚はあるということか。クリスは妙なことに感心し、馬を下りる。そして一向に開く気配のない門を困ったようにみた。
「ヒース、貴方が言った方がいいのではありませんか? 彼では本当に山賊まがいですし、私は南方人ですから……」
「しょうがないなぁ……少しは理性を働かせればいいのに……フォーチュン! おまえ、我慢が足りないぞ!
……えぇ、コホン、ヴェラールの騎士見習いヒースクリフ・グリアッセントと申します。本当にヴェラールから来たんです。書状を確かめて下さってもかまいません。何方か、開けて下さい!」
「だぁっ! おまえ、俺に喧嘩売ってんのか!」
「落ち着けってば、ホラ、門が開く。
これも人徳って奴さ」
フォーチュンに襟首を引っ張られながら、ヒースは皮肉げに笑って肩をすくめる。
「おめぇらもおめぇらだ! 簡単に開けてんじゃねぇ! 俺の立場はどうなる!」
「どうどうどう。落ち着きましょう、フォーチュンさん。寒いの、いやでしょう?」
「俺は馬じゃねぇ!」
勝手なことを叫ぶフォーチュンとそれをにこやかに宥める南方人をおびえた目で見つつ、門番らしき村人がヒースクリフから書状を受け取り、門の向こうに消える。すると、すぐに門が開き、村人と村長らしい老人が彼らの前に現れた。
「ようこそ、フェイサロンへおいで下さいました。騎士様、戦の神の司祭様……それから…………えぇと?」
「ああ、帽子は風に飛ばされたんです。あいつが準神官ですよ」
ヒースの紹介に、老人はあからさまに眉をひそめてフォーチュンを見る。フォーチュンはすかさず反論しようとしたのだが、クリスに口を押さえられ、その隙にヒースが話を先に進めた。
「村長殿ですね? 我々は、ヴェラールの騎士マウアーの使いでまいりました。この厳しくなる一方の寒気のために、村の中には雪に没してしまうところも出てきています。
付近の村長と話し合って大きな集落を造るか、ヴェラールに避難なさることを薦めにまいった次第です」
ここぞとばかりに育ちのよさをアピールするヒース。村長はようやく信用したようで、重々しく頷き、後ろで控える村民達に今夜からどうするかを話し合おうと言った後、三人には村長の家に泊まることを薦めた。フェイサロンは小さな村で、宿がないからだ。
暖炉の前で温めた羊のミルクを飲みつつ、三人は自然と並んでいた。ヒースは椅子に座っていたが、行儀の悪さでは定評のあるフォーチュンは床に毛布を敷いて寝転がり、椅子に座るという習慣のない南方人のクリスは、その横であぐらをかいていた。
「しっかし、まいったな。こんなに冷えるのかよ、外は」
うんざりしたように言ったのはフォーチュンだった。
「知らなかったのですか? だからこそ、マウアー殿は我々に避難勧告を命じたのでしょうに?」
歩いて旅をしてきたクリスは、何を今更と言った調子で、フォーチュンを見る。
「仕方ないじゃん。フィルカールから引っ越してきたときはまだこれほどじゃなかったし、ヴェラールに入って以来、外なんて出なかったもんな?」
「そうだよな。城門の中にいれば、かなり寒さも風も防げるし、雪なんて入ってこないから」
「楽な仕事だと思ってたんだけどな。……まだ二週間引く一日まるまる残ってるじゃねぇか。かったり~、ふけっちまおうか?」
「ふける……って?」
クリスが摘んでいたハムを落としかけて聞き返す。フォーチュンは、いたって平然と、
「だから、ここの村とか、目星いところでぬくぬくとしてさ。この先は各村に教えといてくれってことで……」
ガタッと大きな音がして、二人ともその音の方、クリスの方を見る。
クリスは立ち上がり、目を見開いてフォーチュンを見おろしてた。フォーチュンは、その表情の意味が分からずに、首をかしげる。
「どうしたんだ? 突然?」
「何で、そんなふうにいい加減なんです! 神官でしょう? 多くの命がかかっているんですよ?
騎士マウアーが命じたこの任務が、どれほどに重要なのか、気付いていないのですか?
急がねばならない、そう言う状況なんですよ?」
「なんだよ、熱くなって。別にいいじゃねぇかよ。俺達が伝えたって、村の奴らが伝言ゲームしたって、大した違いはねぇだろ?」
「そう言う態度が、わかってないって言ってるんです!」
怒鳴られて、フォーチュンは体を起こして反論の態勢を整える。
「偉そうに言いやがって! てめぇがどれだけだってんだ!
命がかかってるだって? 見りゃわかるだろうがよ! 見りゃよ!
俺達が行かなくたって、自分で逃げるさ!」
「ほら、わかっていない!」
「何がだよ!」
「貴方達は自分が外を見ていなかった事実に気付いていない!
中にいて、風も雪も防いで、時折商人が持ってくる僅かな食料で飢えをしのいで?
それで誰が外の状況を真面目に伺うんですか!
時折覗いて、まだダメだ、って程度で? 騎士マウアーは賢明だ。彼は天候の恐ろしさを知っているんです。何故、神官の貴方が、それをわからないんですか?」
「クリス、落ち着けよ。フォーチュンだって、真面目に言ったわけじゃ……」
「冗談でも、言っていいことと悪いことがあるでしょう!」
「何様のつもりだ、てめぇ! 神官、神官って連呼しやがって! 殴られっぱなしのてめぇのせいで、俺達がこんなとこにいんだぞ!」
「助けてくれって頼んだわけじゃないでしょう! 暴力が嫌だったから、我慢していたんです!」
「二人とも、落ち着けってば! 何も、こんなところで喧嘩する必要、ないだろう? あんまり大声を出すと、村長さんにも……」
「おまえはどうなんだ、ヒース!
俺はもう、こんな偽善者とは一緒にいられねぇ。おまえはどうする?
俺と一緒にこんなバカらしい仕事、放り出すか、バカな坊主と心中するか?」
「フォーチュン!」
「本気だ!」
フォーチュンは叫んで、自分の荷物を集め出す。クリスはそれを睨みつけ、黙って立ち続けていた。
二人の間でおろおろとしていたヒースは、ドアに手をかけたフォーチュンを困ったように見詰め、やめろよ、と小声で言った。
「放り出せるわけないじゃないか。俺、騎士になりたいもん。
おまえだって、本気じゃないんだろう? 引っ込みがつかなくなっただけだよな?」
「……わかったよ。おまえともここでおしまいだ。俺はおまえみたいに良い子ぶる必要はねぇからな。俺は最初からイレギュラーなのさ」
荷物を乱暴に背負い、フォーチュンは振り返らずにドアの向こうに消える。村長のあたふたとした声が聞こえてきたが、それを振り切って、フォーチュンの足音はどんどん遠ざかっていく。
ため息をついて、ヒースは椅子に座りなおし、床に落としてしまったハムの埃を払ってから、暖炉の火にもう一度さらした。
パチパチと火がはぜ、ポットの蓋がかたかたと鳴る。ハムの焼ける良い匂いが、辺りに漂った。ヒースは火の中からハムを取り出し、ナイフでその表面を薄くそいでから、串の先につけたままのそれを呆然と立ち尽くしているクリスに差し出す。
クリスはその少し焦げた匂いに一瞬体を震わせて、ヒースの方を見た。
「食べるかい? 美味しいよ?」
「あ……あの……その……ヒース、わ、わた、私は彼を……フォーチュンを怒らせるつもりなんて……」
「まぁ、座りなよ。あいつには良い薬さ。正面きってあそこまで言われたのなんて、多分、何年ぶりだよ」
「でも……出て行ってしまうなんて…………こんなこと引き起こしておいて言うのも何ですけど、探した方が……」
力なく座り込み、ヒースの方を当惑気味に伺う。ヒースは肩をすくめて、ハムを噛みちぎった。
「俺達には、あんたがどうしてそこまで深刻に考えているかわからないし、あんたには俺達がわからないようだ。
でも、あんたの言ってることは、間違っているわけじゃない。少なくとも、言い方ほどに間違ってるようには、俺は思わなかった」
「やっぱり……言い方は間違っていると思いましたか?」
おどおどと聞き返す。ヒースはその様を見て笑った。
「頭が冷めたらいずれ戻ってくるさ。もしかしたら、顔を合わせるのが恥ずかしくて、先に次の町に行っているかもしれない。食料も防寒具もたっぷり持っているから、大丈夫。心配いらないって」
「どうして……」
「何?」
「どうして、そう……真面目に考えてくれないんですか?」
ヒースは再び笑いそうになって、クリスを見て、言葉につまった。
クリスは泣いているわけではなかった。だが、眉間に皺を寄せて、口をきゅっと結んで、今にも泣きそうに見えた。ヒースは、出そうになった笑みを引っ込めて、困って鼻の頭を擦った。
「真面目に考えていないわけじゃない。それはわかってくれよ。ただ、表に素直に出せるかどうか、ってことさ。
二週間、一緒にいるんだ。何とか折り合いをつけて、仲良くしようよ」
「………そうですね、私も……独りよがりでした。西方に来てまともに話せる人をようやく見つけたのに……って、なんか悔しくなってしまって。
……そうだ、あの、どうして私を助けてくれたんですか? それを、絶対に聞きたかったんです」
「そりゃ……フォーチュンに会えることを祈った方がいい。司祭様をいち早く見つけて、助けようって言い出したのは、あいつの方なんだ」
ヒースは気軽に言って、頷きかける。クリスは疲れたような表情を浮かべながら、こっくりと頷いた。