第2話…西方人と南方人 02
厳しい表情の衛士の隊長と、騎士にして騎士見習い教官のフリッツ・マウアー。その横では暗い表情で呆れたような吐息をつく、神官服の老いた男がいた。
「で、結局、その南方人をかばって喧嘩していたら、かばわれた上に南方人が刺された、とこう言うんだな?」
隊長が口髭を撫でつけながら、ヒースをねめつける。
ヒースは、はぁ、と畏まり、頭を下げるのだが、その横に座るフォーチュンはいたって鷹揚に構え、反対に隊長を睨みつける始末だった。
「教育がなってねぇんだよ、あんたの、さ。
そりゃ、南方人が嫌いだってのはそれぞれの好き嫌いだから仕方ないけど、それを衛士が率先して行っちゃ、まずいだろ。
戦争が起こる前から西方に住んでる南方人だっているんだしさ、別に特に悪いことしたわけじゃねぇんだし……」
「これ、エルネスト!」
困ったように神官が口を挟む。フォーチュンはそれをちらっと見ただけで、口笛を吹いてそっぽを向いた。
「お子さんの言葉遣いは、どうにかした方がよろしいようですな、ウィドゥ神官」
マウアーが眉間に皺を寄せながら、努めて声を荒立てないように、だが僅かに波打たせて、言う。神官はますます小さくなって、げんこつでフォーチュンの頭を叩く。
「ってっ! 親父!」
「ああ、最後に残ったのがこんな息子なんて……」
ウィドゥ神官が嘆くように呟き、フォーチュンは弾かれたように体を反らせて後、黙って俯いた。
「お気持ちは察しますが、神官、それよりも、ことをどう裁くか、です。
騎士見習いと準神官位の青年が二人、南方人をかばって多勢の衛士達と衝突。捕らえられた。
……確かに衛士達にも問題はありましょうし、後できつく処罰するつもりですが、南方人とそれをかばったと言うものをおとがめなしとしたら、我らを援助してくれているゴンドランなどの南部の国の反発を招きましょう」
衛士隊隊長が汚いものでも見るように、ベッドに寝かされている南方人の青年を見、その視線を嫌悪を込めて睨むヒースとフォーチュンに出会い、慌てて神官の方を向いた。
「しかし、二人は人を助けたのです。彼らは方法はどうあれ、正しいことをしたのだ」
きっぱりと言いきったのは、ヒースが驚いたことに、マウアーだった。
厳つい騎士は、驚いて目を見開く隊長を毅然と見詰め、もう一度、彼らは正しいことをした、と断言した。
「た、確かに理想ですし道理ではありましょうが、マウアー教官! 南方人は憎まれて当然ですし……」
「隊長殿のそう言った意識が、隊そのものに浸透しているのでしょうな」
静かな非難を込めて、騎士が言う。
隊長は何かを怒鳴りかけたが、すぐに相手が自分より上の位であることで思い直し、追従するような笑みを浮かべつつ、
「で、では、その……どう言ったお裁きを、騎士様はお考えですかな? 私にもわかるよう、お教え下さると嬉しいのですが……」
「何も、彼らを無罪放免するとは言っておりませんよ」
マウアーは、そんな隊長から視線を外し、畏まるヒースとふてくされるフォーチュンを見おろして、言葉を続けた。
「話を聞いたところでは、南方人の青年は一切の手出しをしていないと言うので、彼は無罪と言ってもよいと思いますが、少なくともこの悪ガキどもは、喧嘩をおさめるためにやむなく拳を上げたのではなく、喜々として喧嘩に紛れ込んだと言った方がいいでしょう。
暴力を好んだのは事実です。そうだな、ヒースクリフ・グリアッセント、エルネスト・ウィドゥ?」
「はい……教官」
そっぽを向くフォーチュンに代わり、ヒースが素直に答える。
つまらない授業を嫌っていた教官が、こんなふうに理解を示してくれるとは思わず、ヒースはことの成り行きを興味を持って見つめていた。
「ならば、罪を購うのは当然だ。だが、国にも体面がある。
わかるな、ヒースクリフ・グリアッセント。
よろしい……、そこで神官、隊長、提案があるのですが。
彼らに罪を償う機会を与えましょう。もし、南方人が自らそれに加わる意志を見せるのならば、一緒にその機会を得て貰う。だが、南方人がそれをよしとしない場合は、二人だけということになる。
わかっていますよ、隊長、体面を守るためには策を講じましょう。この罰は〈騒ぎの元となったもの達〉に与えられるとするのです。一般市民も他の国も、それに南方人が加わっていると思うことでしょう」
騎士のこの提案が、頭の堅い保守的な隊長にも受け入れられたのは、万一非難が持ち上がったときの責任を、騎士自らがとると言ったからだった。
この後、罪人のヒースとフォーチュン、そして怪我人の南方人諸とも、騎士の家に引き取られることになった。二人が頭を冷やすためと、騎士が考えた罰を与えるためである。南方人の移動は、そのまま衛士隊の宿舎に置いておいては、朝までにどうなっているかわからないからであった。
年老いたウィドゥ神官が、頭を下げながら遠ざかってから、一行は騎士の家を目指して辻馬車を走らせた。
馬車の中はずっと沈黙が続き、時折マウアーが御者に進路を促す他は、しんと静まり返っていた。その沈黙は、マウアーの質素な屋敷についた後も続いて、この寡黙な騎士が、明日の朝、南方人が起きたら揃って自分の部屋に来るように命じて部屋を出ていくまで、ヒースもフォーチュンも一言も口にしなかった。
マウアーは軽く苦笑して、肩をすくめて出ていく。
その足音が十分遠ざかってから、二人はようやく、体中の空気を吐き出すような大きなため息をついた。
「ひゃー、そっか、あれがヒースの鬼教官ね。さもありなんだな、ちょっと有名なくらいだぜ、ありゃ」
「え? 有名なのか?」
冴えない独身の騎士としか知らなかったヒースが驚く。フォーチュンはさも得意そうに、
「先の戦役の功労者さ。しかも、巫姫自ら勲章を賜ろうとした、大物だぜ。
しかし、騎士マウアーは受け取ろうとしなかった。何故か? 戦いのさなか、大勢の騎士の命が失われたのは、自分の責任だと言うんだ。
で、全ての栄誉を辞退して、責任をとり、一介の騎士見習いの教官に身を落としたってわけさ。俺のいちばん上の兄貴が死んだときの直接の指揮官だよ。受け取るはずだった褒美を、自分の隊員の遺族に分配したから、うちにもきたはずさ。
少し足を引きずっているだろう? 名誉の傷、って奴だぜ。
なんだおまえ、知らないで教えて貰ってたのか?」
フォーチュンは、水差しからコップに水を注ぎつつ、ヒースを呆れたようにみる。
「しかたないだろう。俺はそう言うことには無頓着なんだ。
どれだけ偉かったのでも、あんなつまらない授業をしてたら、俺達が迷惑なんだからな……」
言いつつも、一抹の気まずさは拭えず、四つあるうちの、あいているベッドに乱暴に腰掛ける。南方人は、一番端のベッドに寝かされていた。
フォーチュンは、南方人の隣のベッドに腰掛け、時折その額のタオルを濡らしなおしてやっていた。
「熱、出てるのか?」
「いや、多分落ち着いてると思うけど……少しは出ると思う。
神の力を借りて傷を塞ぎはしたけど、急激な変化ってのは負担になるものさ。体であれ、精神であれ、な。
それに、南方人ってのは魔法や奇蹟の類が効きづらいって聞いたことがある。注意するに越したことはない」
「ふぅん。そうなのか……」
さすが神官と言おうか。こういう時のフォーチュンは頼りになる博識ぶりを発揮するし、なんだかんだ言っても面倒見のいい人物である。ヒースは端からみているだけでよかった。
そうすると手持ち無沙汰になって、眠ってしまうのは悪いし、と自分を持て余す。
ベッドの上でゴロゴロしだしたヒースを振り向いて見つけ、フォーチュンは失笑して、仕様がない奴、と呟いた。
「大人しくしてられないな、おまえは。……ん? 気付いたか、坊主? 俺がわかるか?」
「え? 司祭様、気付いたのか?」
ヒースは慌てて体を起こし、ベッドの横に来る。その間に南方人の青年は体を起こし、蝋燭に浮かび上がる二人を何回も瞬いてみていた。
状況を理解できないでいるらしい彼に、フォーチュンがかい摘んで説明する。青年は聞き終わると、深々と頭を下げ、ご迷惑をおかけしました、と謝った。
「面倒なことに巻き込んでしまい、おわびの仕様もありません。是非、その罰とやらに、私も加えて下さい」
「いいえ、こっちこそ、なんか俺達のことに巻き込んだみたいで。気にしないで下さい。な? ……フォーチュン、どうしたんだ?」
照れて頭をかきつつ友人に同意を求め、その友人が訝しそうに南方人を見ていることに気付く。
「あ、いや…顔色がまだ悪いように見えたから、気になっただけさ。坊さん、俺はフォーチュン。こっちはヒースだ。よろしくな」
「私は戦の神の司祭をしております、クリスィオン・カインと申します。クリスと呼んで下さい」
ターバンの下から出ている明るい茶色の髪をさらさらと揺らし、もう一度頭を下げる。
その後、クリスはもう少し喋りたがったのだが、妙なところで几帳面なフォーチュンが、傷に障るから寝た方がいいと話を打ち切った。クリスが安眠できるように、フォーチュンとヒースもベッドにはいる。
だが、ベッドに入る直前、フォーチュンがヒースの耳元で囁いた。
「南方のなまりがないし、物腰は落ち着いていて優雅だ。身分の高い人物だと思う」
「……どういうことだ?」
「巧妙かつ大胆なスパイの可能性もあるし……それ以外かもしれないし。わからないさ、まだ。
ただ、この事実は憶えておいた方がいい。俺の……悪い予感はまだ、続いているんだ」
いつになく暗い表情を見せて、問い返す間もなく、フォーチュンはベッドに滑り込む。残されたヒースは、何か割り切れないものを感じながら、蝋燭を吹き消した。
翌朝、三人揃ってマウアーの元を訪れる。
元英雄の考えた罰とは、それほどきついものではなかった。少なくともそう思われた。
寒気はいっそう厳しくなってきている。一人二人の風の下級神官しかいない小さな村では、その寒気を阻むことも出来ず、村全体が雪に沈んでしまうという事件が多発していた。
「そういった村の予備軍を回って貰い、付近で一番大きな村に集まるか、このヴェラールまで避難するようにと勧告してきて欲しい。
道行きは厳しいものになるだろうし、吹雪に道を見失うこともあるだろう。これは遊び半分ではできない仕事だ。
ヒースクリフもエルネストも、もうすぐ十八。一人前と言ってもいい年だ。だが、一人前になるのは、実際はとても難しい。その難しさを、痛感してきて欲しい。
クリス殿も同い年とは聞いたが、貴方は既にこれまで一人で旅をし、様々な苦難にあわれているだろう。二人を導いてやって下さい」
そう言って、地図をクリスに渡し、回るべき道筋と村々を指さす。どんなに急いでも、二週間はたっぷりかかるだろうと思われた。その間の食料や、防寒衣なども、教官は夜中のうちに用意しておいてくれていた。
「ヒースクリフ、歴史の授業は寝てばかりだったが、この旅から帰ってきたなら、君は授業と同じくらい得難いものを得ているだろう。
お父上の望むとおり、立派な騎士になれると思う」
「……その…………教官は父と知り合いなのですか?」
「なんだ、知らなかったのか? 私はお父上に騎士の心得を習ったんだぞ。
私の頃は騎士の学校なんぞなくって、騎士見習いは騎士のところに奉公に行くのが普通だったからな」
目を細めて、笑う。笑うと意外に気さくそうで、厳つい顔が人のよい優しいものに変わった。
何故、自分は今まで、この人のこう言った面を知らずにいたのだろうと、今更ながらに不思議になる。
「まぁ、いい。帰ってきてから、仲良くなればいいか。
そうしたら、少しは歴史の点数を甘くしてくれるかも知れない」
荷物を背負って門を出て、独りごちて屋敷を振り返る。
「そりゃ、無理ってもんだ。おまえの親父に恩があっても、厳しかったんだろう?」
言葉から推し量ったのか、フォーチュンが鼻で笑いながら口を挟む。
「どのみち、おまえは歴史の点数で留年するのさ」
「不吉なことを言うな! 俺は騎士叙勲を受けて騎士になるんだ。心に誓ったのさ。
そう、俺は生まれ変わったのだよ、エルネスト・フォーチュン君。彼のような立派な騎士になろうと」
「立派な騎士が、点数を甘くして貰おうとするか、バカ。おまえと立派などと言う立派な言葉は、つりあわないよ」
「おまえ! 俺のこと気安くバカバカ言うが、全然神官になれないおまえよりはましだろ!」
「俺はなれないんじゃない。ならないんだ、バカ」
「バカバカいうな!」
「まぁまぁ、こんな調子じゃ、今日中に街を出ることも出来ませんよ。続きは、今日の目的地についてからにしませんか?」
にこにこにこぉ~っと、クリスが割り込む。この大人しそうな司祭にそう言われると、どうも喧嘩が続け難くなった。まだ見知らぬ人である、と言うこともある。
二人は、ハンッ! と鼻息も荒く互いにそっぽを向くと、同時に馬に拍車をあてて城門を目指した。そして、城門を出て街を後にする頃には、二人とも喧嘩をしたことも忘れ、高揚した気分のまま最初の村を目指していた。
これから三人の、長い旅が始まる。それがどれほどに長く、大きなものになるのか、まだ誰も知らない。