第2話…西方人と南方人 01
逆巻く強風から身を屈めつつ、城門をくぐると同時にふっと、その風が止んで、頭を上げた。
感心してキョロキョロと辺りを見回す。
祝福の風国の副都市ヴェラール。首都フィルカールに続いて、立派な神殿を持つここは、やはり首都に続いて、風を制御する力が強いと言う。実際に「風を制御する」と言うのがどの程度なのか、異国人にはわかりづらかったが、来てみて、なるほど、と思った。
祝福の風国のあるこの地方は、元来風が強い。これは身を守る術を持たなかった遊牧民の巫が、風の神と契約し、得た恩恵だと言う。この風を思うままに操り、遊牧民は自らの防壁となしたのだ。
巫はその時、契約の証として自らの命を捧げ、神はそれに応えるように、最上階が何処とも知れない、西方最高の塔「風の神殿」を建てた。
この塔を中心に、祝福の風国は各地に神殿を造り、それらの祈りと発展した技術で、外は強風、城壁の内部は微風と、風を使い分けている。
代々、神によって選ばれる巫に至っては、常識的な司祭や神官の想像を絶する力を持つと言われていた。
実際、街道から城門をくぐっただけで、これほどの違いである。クリスは畏敬の念にうたれて、街の中央にそびえ立つ、一際高い神殿に目を細めた。
城門の付近はたいへん混雑していたが、それは出て行こうとする人で、だった。
クリスは異国人だし、これまで通ってきた街々でも入るときには何かと問題が生じたものだったが、関の役人達は街を出ようとする人の応対に忙しく、入り口の方は放ってあるも同然であった。
「でも、その方が助かりますけどね。さて、今夜身を落ち着けるところでも……」
頭からかぶっていたマントを外し、宿屋の看板を探す。だが、入り口の時に回避できた厄介ごとは、どうもクリスを放してくれないらしく、向こうからやってきた。
若い衛士の集団が、ほろ酔い加減で歩いてくる。宿を探すのに集中していたクリスには、彼らの姿が見えなかった。見えていたら、勿論避けていたのだろうが。
「ん? なんだ……ターバンなんか巻きやがって! おおい、そこの貴様、貴様だ。そう、こっちへこい。んん? おい、みてみろよ、汚らしい浅黒い肌と言い、間抜けなターバンと言い、こいつ、南方人じゃねぇか?」
「や、止めて下さい!」
クリスは戦の神の司祭であり、ターバンはその戒律だ。いわば神聖なものである。それに手を触れようとした衛士から身を避け、彼は後ずさった。
次第に酔いが冷めてきた衛士達も、目前の青年が本当に南方人らしいと確信する。
戦争を引き起こした賢者の民についで、南方からの異民族も、西方では白眼視されていた。
ちょうど、ヴォトランとの戦争が始まり、冷気が辺りを覆いだした頃から、南では砂漠化が激しくなるなどして、蛮族と呼ばれる南方人達が大量に西方に押し寄せてきていたのだ。帝国の最南端の要塞を抱えるゴンドランに至っては、その南方人達を押し止めようと、激しい戦いが始まっている。
その南方人が目前にいるのだ。憂さ晴らしとしては、恰好の相手ではないか。
「確かに私は南方人ですが、戦の神の司祭でもあります。同じ光の神々を奉る兄弟ではありませんか」
「蛮族ごときが何を言う! 兄弟などと口に出すのも汚らわしいわ。この西方の豊かな土地が目当てで、わいて出てきたくせに!」
虫のように言われては、クリスにも意地がある。
「しかし、西方にはまだ土地があまっているではありませんか。それに、南方人達とて、何の代償もなく土地が欲しいと言っているのではありません。助け合うことが出来るはずです。
西方は、寒気に侵されてもまだ、広大で肥沃な土地をたくさん持っています。我らは、押し寄せる白い波に畑を失い、国を失ってしまいました。このままでは飢えて……」
「蛮族が飢えたからと言って、何がある! それが俺達の責任だとでも言うのか!」
衛士の一人が手をふり上げる。クリスがそれを避けようと、更に一歩下がる。だがそこには、既にそれを予測していた衛士がいて、彼を羽交い締めにした。
大路には他にも大勢の一般市民がいたが、誰もが見て見ぬふりをするか、実際に忌々しいと思っていた南方人に対する暴力を、喜んでみていた。
戦の神の司祭である。
身を守るくらいの術を、クリスは心得ていた。だが、そうしたところで、今はみているだけの街の人までが暴力に加わったら、逃げようがないことも彼は既に、知っていた。
出来るのは、嵐が過ぎ去るのを、じっと待つことだ。もしくは……。
クリスは更なる考えを、頭から追い出した。
これまでも、そんな人物には出会わなかった。彼を、南方人を助けてくれるものなど、今の西方にいはしないのだ。
「おらおら、どうした、さっきの威勢はよ!」
何度目かにドンと激しく突き飛ばされて、誰かの胸に抱き止められる。だが、次に来るだろうと思っていた、殴るなり、もう一度突き飛ばすなりの行為は、いつまで待っても訪れなかった。その代わり、
「何をやってるんだ、おまえら! 一人によってたかって! それでも、祝福の風国の衛士か!」
きつく閉じていた目を開けて、自分を見おろす青い目と出会う。
「大丈夫ですか、司祭様?」
笑って言うのは、クリスと殆ど同じ年頃の、金髪碧眼の青年だ。その横から、そばかすを散らした、栗色の癖っ毛と緑色の大きな瞳の少女が顔を覗かせる。
「大丈夫みたいじゃん。俺が見ててやるよ、おまえはあっち」
いや、少女ではなく少年だ。
クリスが呆然としているうちに、金髪の青年の方が衛士達を怒鳴りつける。
「衛士隊隊長に言いつけられたくなければ、今すぐにうせろ!」
よくよく見ると、青年は騎士隊の制服を身につけているし、今は彼の代わりにクリスを支えている小柄な少年は神官服を纏っている。
衛士達は言葉に詰まって後ずさったが、そのうちの聡い一人が、
「おい、待て。こいつら二人とも、見習いだぜ。見ろよ、オレンジの帯!」
「へっ、なぁんだ、驚かせやがって。なら、俺達が逃げる必要なんてねぇよなぁ」
「やっちまえ!」
金髪の青年は一瞬怯んで振り返る。栗色の髪の少年が、ニッと人の悪い笑みを浮かべた。
「かまうこたぁねぇ。あちらさんがそう仰って下さってるんだ。遠慮なく、胸、貸してもらいな。俺も加勢すっから」
「そうこなくっちゃ。いっくぜぇ!」
金髪氏が大腕をふって、殴りかかってくる衛士の直中に入っていく。
「あ、あの……あの人…………」
慌てて振り返ると、栗色の髪の少年はやはりさっきの笑みを浮かべて、
「さて、俺もいってくっか。あんたはここで見てな。礼を貰ってないんだ。
わかってんだろうな! 逃げんなよ!」
「はいっ!」
「いい返事だ。さて、ヒース! 俺の分、残せってば!」
クリスが見ている間に、ヒースと呼ばれた青年は、クリスをいちばん多く殴った男をダウンさせる。そこに栗色少年が殴り込みをかけ、ヒースを後ろから殴ろうとしていた衛士を、更に後ろから飛び蹴りをかまして、地面に倒した。
だが、多勢に無勢。次第に二人の旗色が悪くなってくる。
はらはらしながら、自分もあの中に入った方がいいのか、それともこのまま見守った方がいいのか、逃げた方がいいのか、混乱する思考のまま、両手を握りしめている。
これまでの例を考えて、冷静に決断するなら、逃げた方が絶対にいい。それは、あの味方になってくれた二人のためにもなるはずだった。
騒ぎが大きくなれば、他の衛士達もやってくるに違いない。そうなった時、かばう必然も何もない南方人がいるのと、ただの喧嘩では、かなり違うはずだ。
だが、逃げることが出来なかった。
南方人を、かばう二人の人物。
もっとこの二人のことを、知りたい。
もしかしたら、何かほかの思惑があるのかも知れない。それならそうでいい。とにかく、何故かばってくれたのか、聞きたかった。
「あ、危ない! ヒース!」
気が付くとそう叫んで、ヒースに向けられた短剣の前に出ていた。腹部に衝撃が走り、そこを押さえる手に生温いものが溢れ出す。
「坊さん!」
「司祭様? ……この野郎! てめぇら……」
ヒースの言葉が終わらないうちに、人垣が割れ、より多くの衛士達と彼らより格段にいい服を着た、衛士隊長らしき男が現れた。
だが、クリスがみることが出来たのは、そこまでだった。とにかく、これ以上喧嘩が続くことはないという安心と、やはり逃げてしまえばよかったという不安が入り交じり、緊張が途絶えて、暗い意識の縁へと落ちていった。