第1話…二つの指輪 02
「……で、どうするんだ?」
「移住って言っても、今すぐってわけじゃないからな。ぎりぎりまで、考えてみるさ。
けっ、辛気くせぇ話になっちまったな。それより、お宝、お宝。ヒース、おまえの見つけた薔薇の指輪、見せてくれる約束だろ!」
「おお、そうだそうだ、そうだった。ちょっと待ってくれ」
ヒースは慌てて机の側に行くと、一番上の引き出しを開き、その中の一番奥から、赤いビロードの布の包みを取り出した。
それを机の上の、日の当たる明るい場所にそっと置き、指先で摘むように包みを開く。早く中を見たいと思っているフォーチュンも、軽口を控えて、息を詰めて待っている。
ヒースは最近、不思議な夢を見続けていた。ところかまわず眠気に襲われ、その夢に出会うのだ。
朧気な、殆ど姿も定かではない、しかし確かに記憶のどこかにいるらしい少女に、ヒースは指輪を貰い、何かを頼まれるのである。
その夢は、引っ越し時にまとめられたまま放置されていた荷物の中から、薔薇の指輪を見つけた頃に始まっていた。
赤い布の真ん中に、小さな薄紅の薔薇をつけた、銀のリングが転がっていた。低くなり始めた陽光を反射して、天井の梁を照らし出す。
わけもなく、ヒースは威張るように胸をはり、フォーチュンは息を殺して顔をリングに近づけた。
「な? 俺、確信してるんだ。夢の中の女の子、きっとどこかにいるんだぜ。絶対」
ようやく体を起こして、背の高いヒースをフォーチュンは少し見上げる。
「で、何かをおまえに頼んでるんだろう? それは思い出せたのか?」
「うっ……」
言葉に詰まって視線を外す。
「バカだな、おまえは。いつも俺がそう言ってるだろう。少しは自覚しろよ。
……どうせ、指輪をにやにや見てただけなんだろう?
ほら、指輪の内側、見てみろよ。字が彫ってある」
「へ? 嘘!」
慌てて取り上げ、日で照らすようにして見る。
言われたとおり、そこには、消えかけた飾り文字が踊っていた。
今度は、フォーチュンが威張る番である。
だが、そこから先にはなかなか進まなくなってしまった。
何と言っても、消えかけた文字である。
神官達が使う神聖文字だろうとは思われたが、全文を読むのは不可能だった。
「……こ、このよき日に……が…………め、……を祝う……違う、祝い、だ……祝い、言葉の神に感謝を……だ。これ以上は無理っぽいなぁ」
「言葉の神? 言葉の神の信者が多いのは賢者の国だよな。俺、クーサリオンなんて、行ったことないぜ。誓ってもいい。祝福の風国を出たことなんてないもんな」
「……言葉の神……クーサリオン、それに指輪…………か。ちょっと嫌な符合だな」
眉をしかめて、フォーチュンが指輪を机の上に返しつつ、ヒースを見返す。彼の言った三つの単語が並ぶと、何が嫌な符合なのか、ヒースにも予想はついた。
祝福の風国が風の神の国であるように、例え神官や司祭達が治めていずとも、各国はそれぞれの神を戴き、守護を願うのが普通であった。
それは、帝国よりも前の時代からの慣習であり、大体現在の各国の境界と同じくらいに、信仰地域と言うのが決まっていた。
その中で、言葉と平和の神イルは、賢者の民と言われる、帝国の中でも特殊な人種の神であった。
かつて神々は、皆で協力して、様々な生命を地上に造られた。だが、最初のうちは試行錯誤して造るので、力の加減などが判らず、神に近い、偉大な力を持つ生命の数々を生み出した。
不老不死の美貌の種族・空の民は、神に最も近い生命であった。
大地の神が造り上げた大地の民は、大地と技術の恵み深い種族だ。
さらに動植物を神々は造るのだが、その途中で、言葉の神が自らの神気をこめて造り上げたのが、賢者の民であった。
彼らは人間と殆ど同等の能力であったが、唯一、銀の髪を言葉の神から与えられた存在であった。それは、悪しき行いをすると、自ずと色が変わり、また、徳が高ければ高いほど、長くなると言う、魔力と神気に満ちた髪だった。
そのため、賢者の民は髪を切ることがない。徳に合わせて伸び、一度伸びきると、それ以上伸びることはないと言う、不思議な民だ。
一部の伝説では、賢者の民が悪しき行いで銀の髪と徳を失ってしまったのが、現在最も多い、「人間」と呼ばれる種族であると言われていた。
この賢者の民が造り上げたのが、フローア・ディーオル帝国だったのである。
勿論、狂皇トルもまた、賢者の民の一人であり、類希なる長い銀の髪を持ち、その長さで帝位を得た人物であった。
帝国の帝位は、賢者の民の中で、最も髪の長いものに与えられたのである。
だが、その皇帝が突如狂い、邪神を信仰する。そして、自らの力を込め、邪神の力を増幅する、「凍てつく指輪」を造り上げるのである。
信仰深く、悪を為すことは決してないと言われていた賢者の民の豹変に、西方中が恐れおののき、言葉の神の寵愛深き民でさえそのようになるという事実に、疑心暗鬼に陥った。
ところが、俗に「クーサリオンの指輪」と呼ばれるものは、これだけではなかった。
現在の賢者の国の女王、帝国の正統なる後継者であり、狂皇トルの第一子でもある「春の暁」ウェラン=メインが、「凍てつく指輪」に対抗するために、「灼熱の指輪」を造り上げたのだ。
この「灼熱の指輪」こそが、「クーサリオンの指輪」と言われるもう一つの存在なのである。
戦いを極端に嫌った賢者の民の人々は、女王のこの行いを「徒にトルを刺激し、戦いを激しくするだけ」と嫌ったが、諸国は諸手を上げて、考えられる「唯一の」狂皇に対する武器を迎えようとした。
だが、この「灼熱の指輪」は去年、戦線に現れる前に、行方をくらましてしまう。女王の義弟ドラン=ターラによって盗まれたのだ。
「愚かなる王子」と呼ばれることになるドラン=ターラの行方は、いまもって分かっていない。
「……もしかして、これが「灼熱の指輪」だとか?」
「だとしたら、普通の人間には熱すぎて持てるはずがないさ。あれは、賢者の民にしか持てないはずだろ」
「じゃ、戦争には何の関係もないんじゃないか?」
「…………羨ましい思考力をしているよな、ヒース。いいか、単に関係することを並べたら、そうなったってだけだけど、嫌な予感がするってのは確かなんだ。
で、俺の予感はあまりはずれない。
前に嫌な予感がしたとき、俺は三日間、夕食を抜かれたんだ」
見詰め合う真ん中を、耐え難い沈黙が流れる。
「……さ、指輪、しまっちまおうぜ」
「おい、おまえ、信じてないな。本当なんだぞ! おまえだって、今まで見てきてるだろう、え?」
「今日はシチューなんだ。鴨の。食ってくか?」
「…………わかった。信じないのはおまえの勝手だ。だけどな、絶対後悔するぞ。絶対だ。その時悔やんでも、遅いからな!」
ヒースを指さして怒鳴り、悔しそうに顔をしかめて走って去る。友人のその後ろ姿を見送りつつ、ヒースはそっと吐息した。
「頭はいいんだけどな、てんでガキなんだ。あれで俺と同じ十七だってんだから……背が低いと、中味までそれに合うのかな」
彼は、そこまで言えるほど自分が大人でないことを、今だ知らない。