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双方向の変質

「本当に撃っていいわけ?」


 ああ、と頷こうとして、喉をせり上がってくるあくびに返事を遮られた。マリオは大きく息を吐いて目頭をこする。都市天井の照明はほんのりと明るいが、いまは午前4時を回ったところだ。機器か、あるいはそれを運用するプログラムか、そのどちらがおかしくなっているかは分からないが、ここは24時間明度が変わらない。


「正直に言えば」眠気を誤魔化すためにマリオは口を動かした。「どっちでもいい」

「ガセだと思ってる?」


 アデルがM82A1のスコープを覗きこんだまま言った。ビルの窓から銃口を突き出し、眼前に伸びる長い道路──目標が向かってくるはずの──を見つめている。二脚を装着した巨大な銃身を乗せた机に身をのり出すようにして肘を置いて、いつでも撃てる体勢をとって目標がやってくるのを待ち構えている。


「半分くらいは。そうじゃなかった場合だが、こいつは内部からの情報提供である可能性が高い。ドラッグの運搬ルートなんて極秘情報を掴んでおきながら、自分で使わずに得体のしれない連中に流すっていうのは、敵対組織の行動としちゃありえない」

「その場合、狙いはあからさまね。裏切りか、内部の権力争い」

「だろうな。まあ、あちらさんが勝手にごたごたしてくれるってんなら願ってもないよ。見え透いた罠かとも思ったが、今のところなにも起こりそうにないしな」


 マリオは双眼鏡ごしに目をすがめて差し向かいのビルの一面を眺めまわした。人影なし。物影も無し。他の連中も含め、アデルの指示に従ってこの地点をカウンタースナイプできそうな箇所を見張っているが、何かが起こる気配はない。


「気を抜かないように」

「心配すんなって。俺が見逃しても機械が見逃さない」


 双眼鏡をカスタマイズして0.5秒前の画像と現在のものに1%以上の差が発声した場合はアラートが鳴るようにしている。こちらはただ念のために覗きこんでいればいいというわけだ。二人のいるビルの下を電気モーターの自動車が静かに通り過ぎた。マリオはそれを指差して言った。


「いいのか?」

「今のは違うわ」

「どうして?」

「運転手の顔つきに緊張感がなかった」

「そういうもんか」マリオは首の根元を揉みながらぐるりと頭を回した。「そういや、なんでお前は付いてきたんだ? 独り立ち云々だったか?」

「うちのママってやり手でしょう?」

「ああ」


 レベッカ・ゴールドバーグ──女だてらに組織のボス。悪評を聞かないわけではなかったが、それでも一つの階層を統治してみせる手腕と器量は驚嘆すべきものであり、二層においては畏怖と敬意の対象だ。


「娘としては誇らしくもあるんだけど、庇護下にいるといつまでもママの娘あつかいされるのよ。それが癪に障ることもあったってわけ」


 喋りながらアデルは引き金をひいていた。馬鹿でかい音と共に排出された薬莢が床を転がってからようやく撃ったことに気付いたマリオは、慌てて射線の先を双眼鏡で追った。


 左の後輪がふっとんでスピンしたビートルが尻から街灯に衝突している。やがて覚束ない足取りで車外に出てきた三人が、自分たちの乗っていた車の状況を見て慌てふためく。トランクをあけ、荷物の無事を確認し、小さな円筒形のケース──小分けされたドラッグの詰まったビニール袋を持てるだけ持って不恰好にその場を走り去る。


 静まり返ってしばらくすると、付近をねぐらにしている住民や浮浪者たちが物陰から顔を出した。車に近づき、持っていけなかったドラッグを我先にと奪い合う。トランクが空になると、次は車の電気製品がひっぺがされた。ドアが壊され、シートが引き抜かれ、タイヤがホイールごと外される。残ったのは骨組みだけ──蛆に集られた動物の死骸を思わせる。


 アデルが12.7mmの空薬莢を拾ってポケットに入れた。「さあ、どうなるかしら」

「とりあえずは寝たい」マリオは通信機に向けて言った。「撤収だ」



 *******



 目の前では運搬担当のコールマンが打擲を受けている。ほとんどのドラッグは売人の下へと無事に届けられたが、一割にも満たない損失と車両の喪失がエイヴォンの神経を逆なでした。


 伸ばした警棒が振るわれる。乾いた破裂音。打たれた肩に赤い線が引かれる。コールマンの毅然とした態度も長くは持たなかった。三発目が終わる頃には脂汗と涙で顔中が濡れていた。

 耄碌の具合は十分に分かった。前の──少なくとも数ヶ月前の──エイヴォンであれば部下の無事に安堵し、肩を抱き、問題の解決策を提示し、それから少しばかりの小言を付け加えて解放しただろう。


 今は違う。上役から押しつけられる糞を食らいすぎて体の中までが糞になってしまっている。人は変わる。大きな事件をきっかけに変わるし、些細な出来事を境目にしても変わる。体調で変わり、気温で変わり、天気で変わる。数分前まで愛を囁いていた人物も電子レンジが不調だったという理由で暴力を振るう。


 ライリーが割って入る。コールマンに覆いかぶさり、代わりに背中で警棒の一撃を受ける。背骨がきしむような痛みに懐かしさを覚えた。


 そういえば、最初はこういう扱いだった。自分の容姿が金になると思われていなかった頃。そのときに痛みを頭の中から追いやる術を身に付けた。その能力は、ビデオに出演するようになってからも重宝した。


「何のつもりだ?」エイヴォンがライリーの服を掴んで引き起こし、警棒で細い顎を持ち上げた。「そいつは常日頃からお前のことを馬鹿にしているぞ。変態の成り上がり者だとな。少しばかり数字を扱うのが得意なだけで、まともに銃を扱うこともできないオカマ野郎だと」

「これ以上痛めつけたところで失ったものは戻ってきません」


 腕が打たれた。ライリーはよろけ、平素な顔で続ける。


「対策を講じる必要があります。ルートと時間はランダムに変更していますが、その変更パターン自体を見直します。情報の伝達手段も考えなければなりません。スケジュールを知っていたのは──」


 また一撃。提案が途中で遮られる。


 エイヴォンが言った。「襲撃されたルートについて知っていたのは、何人だ?」

「五、六人といったところです。私を含めて」

「つまり、お前が漏らしたかもしれないんだな?」

「はい、そうかもしれません。あるいは全員が潔白で、外部から盗み見られた可能性もあります」


 視界がぐらついた。頭を殴られたのだと気付いた。痛みに襲われる前にライリーは考えをあらぬ方向に飛ばした。


 自分を引き上げてくれた頃のエイヴォンには余裕があり、オーラを纏っていた。切れ者で、ユーモアで、辛抱強く、何日もぶっ通しで働き続けられるタフネスさを持ち合わせていた。


 彼が弱かったとは思わない。同じ立場に置かれたら大抵の人間が同じようになってしまうのだろう。恐らくは自分も。そうなると、後釜に座るのは握手であるように思えてきた。可能な限りの資産を切り取り、且つ、しがらみから逃れるにはどうすればいいのか。妙案は思い浮かばないまま床が目の前に近づいてきた。


 人影が遠ざかる。投げ捨てた警棒がフローリングで跳ねる音。ドアを開けて足音が小さくなる。


 ライリーは遠くに追いやっていた痛みを自分の中に引き戻した。やりすぎると体の不調に気付かず倒れてしまうことがあるためだ。


 体が重い。頭が痛い。仰向けになることすら一苦労だった。髪をまさぐると手が血でぬるりと滑った。もとの色が黒であるため分かりにくかったが、頬から首を伝ってゴス服にまで染み込んでいる。幸いにも顔に傷はなかった。


 天井のライトを、天然パーマのかかった色黒の髭面が遮った。コールマンの顔にはいつもの侮蔑の色は無く、気遣わしげなものが浮かんでいる。ライリーの背中に手がまわり、労わるようにゆっくりと助け起こされた。


「いくらなんでもこれはない。さっきは助かった。ひとつ、貸しにしておいてくれ」


 人は変わる。体を張っただけの見返りはあった。

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