別れ際
サガンの迷宮上層の攻略は、さほど苦労することもなく進んでいった。
元より戦闘面においては、持久力以外は問題のないディルである。
彼の疲れを減らすようイナリが気を付けさえすれば、あまり大きな問題は起こらないのだ。
第九階層に出てくるのは、スキュラと呼ばれる魔物だった。
上半身は薄衣を一枚羽織った女性であり、下半身には無数の蛇が蠢いているという気味の悪い魔物だ。
下半身にいる蛇たちは毒を持っているため、イナリの毒は効き目が薄かった。
だからといって、体内で強力な毒を生成させることもさせたくはない。
それはそのままイナリの身体へと跳ね返り、彼女の身体を間違いなく蝕んでいくはずだからである。
なのでポイズンリザードの時同様、ディルが牽制をして相手の攻撃をいなす間にシアとイナリが遠距離から攻撃をしていくスタイルになった。
彼らにとって幸運だったことは、スキュラが徒党を組むようなことはなく、単体でしか現れないことだった。
そして不運だったことは、魔物同士がまとまって移動しないために、戦闘をしなければならない機会が増えてしまったことだ。
ディルのためにこまめに休養を取りながら第九階層を、じっくり二週間ほどかけて進み、辿り着いたのは第十階層である。
出てくる魔物はゴーレムと呼ばれる、ごつごつとした人型の魔物だった。
大きさはディルより二回りほど大きく、横の幅は彼の倍以上ある。
体内にある、コアと呼ばれる彼らにとっての核を壊さない限り活動を停止することがない。 おまけにコアの場所は個体によって異なるため、他の魔物のように急所がわかりにくい。そのため、討伐依頼などでは敬遠されがちな魔物だ。
だがディルはスキル見切りによりコアの場所を誰に言われるでもなく察知することができる。
大きな土塊であるために毒は効かなかったが、ディルが効率よく弱点を看破することができたため、第十階層は一つ前の第九階層よりも比較的楽に進むことができた。
そして迷宮には十階層ごとに、ボス部屋と呼ばれる強力な個体と戦わせられる部屋が存在する。
第十一階層へ進むためには、そこを超えていかねばならないのだ。
サガンの迷宮第十階層のボス部屋にいるのはアイアンゴーレム。
ゴーレムの全身が鉄になったものと考えれば非常にわかりやすいだろう。
当然だが材質が鉄であるため、鉄で出来た武器ではかすり傷しかつけられない。
魔法への耐性も高いためにちびちび魔法で削ることも難しい。
この魔物の一般的な攻略法は、鉄製のハンマーを用いてアイアンゴーレムの内側にあるコアにどうにかして傷をつけることである。
だがアイアンゴーレムは鉄製とは思えないほどに動きが俊敏だ。
重く芯まで響くような打撃を加えるためには、ハンマーのかなり高い練度か、何度も大ぶりの攻撃をしても平気なだけの地力が必要となってくる。
アイアンゴーレムに一撃を加え、コアを傷つけて動きを鈍らせ、何度も殴打してなんとか倒す。
これが可能なだけの連携ができるのなら、ボスを倒して晴れて中級者へと上がれるというわけだ。
だがディル達のように、重たい武器を振り回せるような大男のいないパーティーの場合は更に攻略の難度が上がる。
倒すためにはアイアンゴーレムの耐性を貫徹できるような強力な魔法か、魔剣のような魔力を帯びた強力な武器を用いる必要があるためだ。
しかしディルはラッキーなことに、Cランクであるサイクロプスの皮膚を楽々裂けるだけの魔剣「黄泉還し」を持っていた。
そのため結果だけ言うのなら、ボス部屋での対アイアンゴーレム戦は、一気に距離を詰めたディルの一突きで終わってしまった。
ディル達は第九階層を攻略していた時よりもよほど楽に、ボスを討伐することができたのだ。
事前に情報は集めていたため、第十階層に出てくるゴーレムも、そしてボス部屋のアイアンゴーレムも苦戦するようなことはなかった。
ディルの力のおかげで攻略には余裕ができていたため、ダンジョンのことだけではなくその外に向けてもある程度リソースを割けるほどだったのだ。
ディルとイナリ、そしてシアが第十階層攻略と合わせて進めていたもの、それは――――
「ありがとうございます。行きずりの、正式なパーティーメンバーというわけでもない私のために骨を折ってくれて……」
第十階層の攻略を終えたところで、冒険者ギルドと結んでいた契約の更新期間になった。
ディルはそこでシアとの契約を満了とし、彼女とパーティーを組むのをやめることにしたのだ。
本来なら一日に相当な稼ぎとなるはずの同行を、終わらせられたというのに、シアは深々と頭を下げたまま決して上げようとはしない。
その理由は第八階層の攻略と時期を同じくして始めた、アーディの更生にあった。
ディルはシアのため、アーディが無事に社会復帰できるように彼をなんとかして更生させようと動き出したのだ。
最初は自分の恥部を暴かれたと泣き叫んだシアも、数日もすればディル達と共にアーディを支えるようになっていった。
ディルがやろうと決めたのは酒毒、つまりは頭にまで酒が回っていたアーディから酒を抜き、アルコールへの依存度を段階的に下げていくことであった。
彼の問題の根幹が酒にあるように思えたため、まずは専門家であるイナリに任せてアルコール中毒と戦わせることにしたのだ。
自分達がシアと一緒にいられる時間はそう長くない。
その中でできることと考え、取捨選択した結果がこれであった。
時にカウンセリングを行い、時にイナリ手製の毒で強引に飲んだ酒を吐き出させたりしながらも、アーディのアルコールとの戦いは続いた。
イナリの処方を受けたことで、アーディの酒量は目に見えて減っていった。
それに従い、シアがアーディに連れ添っているのを見る機会は増えていった。
第十階層を攻略する頃には、アーディは酒を完全に絶つことに成功するに至った。
今、ディルとイナリへ彼女が頭を下げているのはそれが理由である。
「無論、中毒というのは簡単に治るものじゃない。近くで観察して、共に歩み、長い時間をかけて根治させる必要がある」
「そのためにはわしらと一緒に、何日も迷宮に潜り続けるのはよくないじゃろう。シアは頭もいいし、確か前にギルドの事務方として働かないかと誘いも受けてたとか。それなら今は、アーディの側にいられる選択肢を選ぶべきじゃと、わしは思うよ」
ディルはそれだけ言うとぽたりぽたりと、シアの足下に垂れた雫を見ていないフリをして踵を返す。
頭を上げてくれとも言わないし、シアが言葉を挟む暇も与えない。
彼にしては珍しい態度だ。
正直な話、後ろ髪を引かれないと言えば嘘になってしまう。
だが母を失い、一人しかいない家族と、仲違いしたままシアに生きて欲しくはない。
イナリが言うには、アーディは今が最も大事な時期だ。
また道を踏み外してしまいそうになる彼を止められるのは、きっとシアだけだ。
家族は血の繋がっているだけの他人だと、口さがない人間は言う。
しかし血が繋がっていることそれ自体に、特別な意味があるとディルは個人的に考えていた。
「いいのか? 恩を売ったんだから引き続きパーティを組むことだって……」
「少なくとも、そのタイミングは今ではないじゃろう。時間が二人を取り巻く問題を解決してくれて、それでも一緒に来てくれるなら、その時にまた組めばいいだけの話じゃ」
音を立てずついてきたイナリが、耳元で囁いた。
ディルはシアに聞こえないように小声で答え、冒険者ギルドを後にする。
彼らの後ろ姿が遠ざかり、ドアの向こう側へ消えていっても、シアはしばらくそのまま頭を下げ続けていた―――――。
次回の更新は12/5日になります。




