ある父娘の話
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「これ、もしよければどうぞ」
「ん、ああ……悪いな。遠慮なく」
ディルが差し出した炒り豆を、シアの父は自分で言った通りに遠慮をせずに受け取った。
そしてそれがこの世で最も美味しい食べ物だとでも言いたい様子で、頬張りながら酒をちびちびと舐めるように飲み始めた。
視線は動かさずに周囲に気を張るが、皆自分のことに夢中なのか、ディル達に注意を傾けているような人間はいない。
下手な勘ぐりをされたり、何かに間違えられたりしないことに安堵しながら、言葉を選んでゆっくりと口を開く。
「わしはディルと言いまして、しがない冒険者をやっております。汲々としながらも、なんとか働き続ける日々を生きておりましてな。先はもう長くないので、気楽なもんですが」
「……私は、アーディと言います。昔は売れない絵描きをしておりました。今は、そうだな……絵描きを名乗る、禄食みと言ったところでしょうか」
シアの父、アーディはどうやら手に職をつけているアーティストだったらしい。
シアと会っていた時の態度や、垣間見た生活の堕落ぶりから考えると、本業は芳しくないのだろう。
絵が売れなくなり、ヤケになって酒や賭博に手を出して、シアに迷惑をかけるようになった。
おおよそは、そのような感じだろう。
あたりをつけることは、それほど難しいことではない。
ディルとしては、彼にシアへこれ以上迷惑をかけて欲しくない。
そのためにできることが、何かあるだろうか。
一番いいのは、酒なり賭博なりから足を洗わせることだ。
しかしそれをさせるためには、アーディにそんなものに溺れなくて済むだけの何かを与えなくてはならない。
一度落ちぶれた人間を再度引き上げることの難しさを、ディルという人間はよく知っていた。
「失礼ながら先ほどの娘さんとのやりとりを見ていましてな。やってきた酒場に偶然あなたがいたので、つい話を聞いてみたくなりまして」
「――酒の肴になるような、面白い話じゃあない。つまらない、掃き溜めみたいな男なんだ、俺ぁ」
料理を奢られて作っていた仮面も外れ、既に敬語が取れ始めているアーディ。
どこかに問題解決の糸口はないかと、ディルは彼へ頼んだ酒を注ぎながら話すように促した。
そうして聞き出したアーディの話は、彼が言っているほどつまらない話ではなかった。
そこには彼とシアがどうして現在のような関係になったかの、答えが詰まっていたからだ。
アーディの父は、国内でも好事家達には名の知れた有名な絵描きだった。
パトロンが三人も居り、何不自由ない生活をしながら、適度に女遊びをして暮らしていた。
そんな父の子として生まれたアーディは、父への憧れから同じ絵描きになった。
しかし現実は甘くない。
アーディは絵描きとしてやっていくには力量不足であったし、貴族や商家の人間相手に絵を描いて生計を立てられるほど、世渡りに慣れていなかったのだ。
彼の描く絵は誰の心をも揺さぶらなかった、奇特な一人の女性を覗いては。
唯一アーディの理解者だった一人の女性と彼は結婚し、子を為した。
彼は妻となる女性の完全なヒモだったが、それはシアが産まれるまでのことだった。
アーディは絵を描き続けながらも、シアのために働くようになった。
元から働いていた妻と共働きになりながらも、シアを育てる日々。
シアは屈折したアーディの血を引いているとは思えぬほど、真っ直ぐな子に育った。
シアがすくすくと育ち、アーディの背を見て画家になると言い出した時だった。
長年の働き過ぎが祟り、妻が過労死してしまったのだ。
生活は厳しくなり、アーディは酒に溺れるようになった。
そんな父を見て、シアはもう二度と絵描きになるなどという世迷い言を口にすることはなくなった。
成人したシアには幸か不幸か魔法の才能があったので、彼女は自分の進路を冒険者へと定めた。
冒険者としてしっかりと働くシアと、有り金を食い潰しながらそれを見ることしかできないアーディ。
二人の溝は年々深まっていき、娘に心配されることが情けなくなったアーディは、逃避からギャンブルへ手を出すようになる。
加速度的に消費する金は増え、借金をすることも珍しいことではなくなった。
返しきれなくなった金は、シアがなんとかしてくれる。
それがわかってからは、自分に借りられる限度額よりもいつも少しだけ多く金を借りるようになった。
そんな日々が、もう何年も続いている。
髪が白く染まり、頬もこけ、追いかけてくる年に勝てなくなったアーディ。
彼は自分の夢も忘れて、ただ現実を忘れるために酒を飲む飲んだくれへとなり下がった。
これが二人が仲違いをするようになるまでの歴史。
そしてシアが冒険者なのに堅実な稼ぎを求めるようになっている理由だった。




