道のりは遠く
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「ふぅむ、どうするべきか……」
ディルは一人、髭をしごきながらぶらぶらと街をうろついていた。
手に感じる感触、そして先端部分の乾き具合から考えると、そろそろ髭の切り時なのは明らかだった。
だがディルはとりあえず自分の髭を棚に上げて、ふらふらと視線を彷徨わせている。
第八階層へ行くことを決めたところで、ちょうどキリもいいので一日休みを取ることにしたのだ。
迷宮に入り、気を張り続けているというのはかなり神経を摩耗させる。
ディルは宿に戻ってから死んだように眠り続け、本当に死んだのではなかろうかと恐る恐るノックをしてきた店主がやってくる夕方までベッドの上にいたのだ。
日ごと休憩時間はしっかりと取っているが、丸一日休めるというのは精神衛生上大変よろしかった。
気持ちのリフレッシュというのも、案外バカにならんもんじゃ。
長い時間籠もっていた、かび臭い迷宮から抜け出たことで、ディルの気分は随分と軽くなっていた。
財布のヒモもついつい緩み、気付けばディルの手には焼き菓子が握られていた。
ここがギアンの街ならば、アリスに渡しただろう。
が、残念なことにここにディルの知り合いで、かつ孫の面影があるような女の子はいない。
買ってしまった焼き菓子を頬張りながら、ディルは今後のことについて考えを巡らせる。
今彼らは第八階層までやってきている。
これだけの短時間で階層をズンズンと進めている冒険者パーティーは、そうはいないだろう。
イナリの索敵能力と罠感知の力があれば、迷宮はその中身を丸裸にされるようなものだ。
彼女が元来持っている危機察知能力と組み合わせれば、迷宮の中で不慮の事態に陥るようなことはそうはない。
そのため場合によっては一日で一階層進むこともできたし、連携を意識したり、練習をしたりしても数日もあれば階層の地図を埋めて先へ進むことができている。
だがこの快進撃がどこまで続くかはわからない。
現状、迷宮の浅いところのアーティファクトでは目的に足らないからと探索は細部まで行ってはいない。
後にリスク管理と可能性を加味して階層の地図を細部まで作成することになった場合、敵が強くなることも考えると階層を進む速度はどんどん落ちていくはずだ。
サガンの迷宮は全部で三十階層、ディル達が進んでいる場所は未だ全体の三分の一にも満たないのだ。
今のところ怪我はしていないし、一度使われているのを見てから購入した赤ポーションも未使用のままだ。
だが第十階層のボス部屋にいる魔物を相手にして、無傷でいられるかどうかはわからない。
以前第七階層で感じた、あのボス部屋にいる魔物との戦いは、間違いなく激闘になるだろう。
一般的に第十一階層を超えた冒険者はこの街ではベテランとされ、第二十階層を超えるとトップ層の一歩手前、二十五階層を超えるか定期的にアーティファクトや魔道具を手に入れることができれば今いるトップファイブの冒険者パーティーと肩を並べることができる。
ディルがイナリを治すだけのアーティファクトを探すためには、幾つも足りないものがある。
まず最も重要なのが、人手の問題だ。
今はシアも含めた三人でどうにかなっているが、これからのことを考えると人員は増やした方がいい。
トップ層の人間達を見ればわかるが、彼らの人数は最低でも六人、多いところだと二交代制の十三人というところもある。
オーガ等のイナリの毒が効く魔物達の魔石で荒稼ぎができているために今はシアを雇うことになんら問題はないが、それでも毎日経費として金貨一枚がかかっている。
あとのメンバーをシア同様、全員雇うというのは流石に厳しいはずだ。
シアが行った最深部は十階層と言っていた。
彼女で一日金貨一枚ということは、更に強い者をギルド経由で雇おうとすれば、恐らく目玉が飛び出るような額を要求されるだろう。
マッピング、斥候、遊撃を全てこなせるとはいえ、イナリはあくまでもただの人間。
腕が四つあるわけでも、背中に目玉がついているわけでもない。
彼女と自分だけでは捌ききれない場面は今まで幾度もあったし、誰一人怪我をせずにやっていくためには人手が重要なのは確かだ。
ディルがダンナーに大量の魔石を卸しているという情報は、既に迷宮にいる冒険者達に広まり始めていた。
情報の速度と鮮度を何より大事にするらしい彼らの中には、既にイナリに対して唾をつけているものもいたのだ。
中には安易にディルにイナリを売れと言ってくる者までいた。
彼らの中では、金満家であるディルがイナリを使って迷宮を遊び半分で探検しているといいう筋書きができあがっているらしい。
このボロい服を見ぃ、と自分が着ているみすぼらしい衣服を見せてやりたいところだ。
だが注目を引くというのは悪いことではない。
やってきたばかりの頃と違い、今ディルとイナリは良くも悪くも人の口の端に乗るくらいには情報が流れ始めている。
ディル達が第十階層を超えることができれば、中流とされる第十一階層よりも先を主戦場にしている者達と接触を持つこともできるだろう。
――――とそこまで考えて、ディルはふと当たり前のことに気付く。
(そういえば……第十階層を抜けたら、シアとはそこでお別れなんじゃよね)
シアは冒険者ギルドから派遣されている冒険者だ。
ギルド公認の派遣員は、基本的に安定を求める傾向がある。
幾らディルとイナリが普通ではないとは言っても、彼女がそのまま十一階層以降までついてくると考えられるほど、楽観はできない。
というか多分、ボス部屋に入ることすら拒否される可能性が高いだろう。
冒険者稼業には別れが付きもの。
とはいってもディルには、イナリ以外に長時間一緒にパーティーを組んだ人間はシアをおいて他にいない。
できれば今後も一緒にやっていけたらとは思うが、彼女に無理はさせられない。
新たな出会いが良いものであることを願うしかないの。
少し寂しい気持ちになっていたディルの耳に、偶然というにはできすぎたタイミングで聞き慣れた声が聞こえてくる。
「もう二度としないって言ったじゃない! どうして自分の言うことにすら責任を持てないの!?」
ディルは顔を上げ、声がする方へと身体の正面を向けた。
そこにあるのは今脳裏に浮かべていた女性――シアの姿。
そして彼女の右手が握る先には、一人の男の姿があった。
無精髭を伸ばしている、赤ら顔の男だ。
年齢は、シアの彼氏にしては高すぎる。
四十か五十か、恐らく六十には達していないくらい。
ディルはその男の目を見て気付いた。
キッとした鋭い瞳を持つ女性に、心当たりがあったからだ。
「私もう借金の肩代わりはしないって言ったよね!? お酒もギャンブルも止めてって言ったよね!? どうして何一つ守ってくれないのよ――――お父さん!」
シアが叫びながら、半狂乱になっているその向かいにいる男。
ぼやけてくすんではいるが、彼の瞳は目の前にいるシアのそれと、よく似ていた――――。




