蜘蛛の糸
なんだか反響が大きかったので、もう一話更新しちゃおうと思います!
「さて、一応尋ねるけど、君はディル君で間違いないかな?」
「その通りです。いやぁ、この年になって君づけで呼ばれるとは、中々に得がたい経験をしました」
執務室の隣、キラキラとしたドアノブのついたドアを開いたその先には、なるほど彼もまた貴族の一員なのだとわかるだけの部屋が在った。
横になってくつろぐこともできそうな、大きなソファー。
壁にかけられたいかにも高そうな絵画に、それを上から覆う金の額縁。
自分の人生でほとんど目にかけたことのないような物品の数々に最初こそ縮こまっていたものの、今では子爵に話しかけるその態度に気安さがにじんでいる。
何も取って食われるわけではない。それに取って食われたところで、イナリならば単身どこへだって逃げ出すことができるだろう。老い先短い自分だけなら、まぁ死んでもお迎えが少し早まる程度のことでしかない。
「して、要件とは一体なんでしょうか?」
「ん? あぁ、別に大したことじゃないさ。僕は一応冒険者のデータもある程度管理している立場にあるんだけど、その中でもスライム討伐の数に関しては、君が群を抜いていたからね。おかげで潤沢に実験の素材が揃ったから、お礼を言っておこうと思ってね」
「私とて、あくまで食べるためにやっていること。礼を言われるほどのことじゃあございません。ですがその言葉に対して、礼を返さぬのはそれこそ無礼というもの。なのでありがとうございますと、そうお返しいたします」
「ジジイ、言葉が長いぞ」
「年寄りの話は、一つ目蛇の尻尾よりも長い。そんなことも知らんかったのかね?」
「自分で言い出したら、いよいよ末期だな」
ニコニコと年を取るに従って上手くなる、熟達した愛想笑いをしていたウェッケナーの表情が、少しだけ固くなる。二人のやりとりが彼には不思議なものに映ったようだった。
子爵は目をさっきより大きく開くと、ディルの後ろにいる少女、イナリの方へと顔を向けた。
「随分と個性的な奴隷を持っているんだね、君は」
「この年になると、アクが強い人の方が好ましくなってきますので」
「えっと君はたしか……」
「イナリ、と申します」
「そうそうイナリ君。オークションに出されてた子だよね、なんでもヤポンのシノビの見習いだとか」
領主とは、己の領地に起こっているものをしっかりと把握していることが望ましい。
反乱や蠢動が絶えないこの世界においては、どこから足下を掬われるかわからない。
ウェッケナーは重要な税の収入源となるオークションに関しても、しっかりと把握していたし、逐一監視を放ってもいた。
だからイナリのことを知っていたし、なんなら誰にも内緒で彼女のことを落札しようかなと考えてすらいた。
だが常識的な考えから、彼はそれを諦めざるを得なかった。
ヤポンのニンジャとサムライは、決して金では買えない。これは世界の共通認識である。
騎士とサムライというものは、似ているようで全く違う。
騎士は金と誇りのためにその力を領主へと貸し与える。
そしてサムライは、領主へと力を捧げ、その対価に土地や金を与えられるのだ。
ひどく頑固なサムライ、そして自害を行っても情報を差し出さぬニンジャという存在は、場所によっては畏怖の対象にすらなっているのだ。
彼らを雇うには、金を与えるのではなく、信を得なければならない。
いくら貴重なニンジャとはいえ、すぐに自害でもされてしまえばなんの意味もない。
それにウェッケナーは自身がそれほど人徳のない人間であるということを、しっかりと理解していた。
だからこそ敢えてスルーしたのだが……今の二人の状況を見ると、自分はやってきたチャンスを逃したのではないかという後悔に襲われた。
「是非とも採点して欲しいんだけど、彼らは君から見てどんなもんかな?」
「天井裏にいるのは十点、飾り棚に入っているのは三十点ですね。ヤポンならまず間違いなく落第して、農家にでもなってるでしょう」
「ははは、こりゃまた手厳しい」
諜報というものは、どの時代であっても重要だ。他国への浸透、自領の情報収集に、いざとなれば破壊工作も行えるスパイというものは、育てることがひどく難しい。
自分にとってはえり抜きの隠密を連れてきたつもりだったが、やはり彼女から見ればまだまだ彼らは赤子同然らしい。
貴族相手にもズバズバと物を言ってくる奴隷というのは、普通ならば打ち首ものだが、ウェッケナーは虚飾よりも実利を求めるタイプの人間であり、そんな些細なことは全く気にしない。
「これ、こういう時はしっかりと誉めるのがスジってもんじゃろうが」
「うるさいジジイ、本当のことを言って何が悪い」
「ジジイってなんじゃ、わしはまだ六十……」
「ジジイじゃないか! なんで今そこに対してキレるんだ!?」
目の前でガミガミと言い合いを始める二人を見て、ウェッケナーは鼻から小さく息を吐いた。
そして彼は、自分の考えが間違っていなかったことに気付く。
きっと自分がイナリを競り落としていれば、今目に映るそのいきいきとした表情を見ることはできなかっただろう。
ディルだから。恐らくは落札したのが彼だったからこそ、イナリは今もまだ生きているのだ。
だからきっと、この状態が最善に違いない。
「あのイナリちゃん、もしよければなんだけれど、彼らの面倒を少しの間でいいから見てやってくれないかな? 何も秘伝を教えろとかそういうことじゃなくて、彼らの力量が今よりも上がるのならそれで構わないから」
イナリがディルの方を向く。視線でどうする、と問いかけているのは明らかだった。
ディルはほとんどノータイムで、しっかりと頷きを返す。
「ほれ、今すぐにでも行ってくるといい。日が落ちてからじゃと面倒も多いじゃろ」
「わかった。おいそこのお前ら、ついてこい。稽古をつけてやる」
天井の蓋が開き、音も無く二人の男が落ちてくる。そして飾り棚からは、しゃがみながら投げナイフを構えていた男がしぶしぶといった表情で這い出してきた。
彼らは明らかに不満げな様子だったが、領主の命令とあればどんなものであっても逆らうことは難しい。
ただ彼らもまたプロフェッショナル、自分達の仕事に対してしっかりとした自負と誇りを持っている者達だ。
だからこそ彼らの思考は、いやいや従おうというのではなく、むしろあの娘の鼻っ柱をへし折ってやろうという方向へと変わっていった。
ニヤニヤと笑いながらイナリの後ろについて行こうとする三人を見て、ディルは気の毒にと心の底から思った。
なぜならくるりと踵を返した時のイナリが、どうしようもないほど邪悪な笑みを浮かべていたからだ。
自分があの笑顔を見たときは、大抵ろくなものにはならなかった。
彼らの無事を、願うことしか、ディルにできることはなかった。
「ふむ、なるほどね。あの子にそんな事情が」
イナリと子爵子飼いの護衛達が出て行ったのをこれ幸いと、ディルはここにやってきた理由を打ち明けた。
もちろん恐らく彼女にとって重要とされる、シノビやクノイチに関する部分はぼかした上でだ。
イナリは彼女の生まれのせいで、あまり余命が長くはない。
身体から悪い物を出せるような物や、寿命を増やすような物品はないものだろうか。
そういった希望を込めて尋ねたディルは、子爵の表情を見て、確信した。
恐らくなにか、手立てがあるのだろうと。
ディルの視線を受け、ウェッケナーは少しだけ笑みを深める。
彼は大したことを言う風でもなく、こう言った。
「うん、あるよ。彼女を救う方法」
ディルは藁にもすがる思いで、ウェッケナーの話に、耳を傾ける―――――。
次回の更新は明日の26日になります!
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