変な男
前回までのあらすじ
重すぎる鉄の防具ではなく、魔物の素材を使った防具が使いたかったディルははるばるグスラムの街まで向かった。
悪徳商人の悪事を暴くため、彼は奴隷のイナリを購入、そして罪を白日の下に晒した。
彼は防具と金、そしてイナリを手に入れてギアンの街へと戻ってきた。
ディルには二つの懸念点がある。一つは自分やその家族のこと、そしてイナリの寿命のことである。
彼はその二つを解決出来るかもしれないと期待し、かねてから気になっていたウェッケナー子爵へ会いに行くため、ヴェラの街へ向かうことを決めるのだった。
見渡す限りに広がる灰色の外壁の高さは、人間の背丈よりもずっとずっと高い。
恐らく攻城兵器の櫓を使ったとしても越せないのではないかと思うほどに。
かつて幾度も蛮族達の侵入を退けたというそのヴェラの城壁は、その戦禍を至るところに刻み込んでいた。
何度も修復された痕跡の中でも一際目立つ箇所、円状に焦げ付いた燃え跡の残っている壁の近くに、二人の男女がいる。
「これは、大きいのぉ」
「大きさだけは、な。もはや歴史の遺物だろう、こんなもの」
「歴史的なものは大切じゃよ。昔の人達の、足跡みたいなものなわけじゃし」
「ジジ臭い感想だ」
腰の曲がった白髪の老人と、その一歩後ろを歩く一人の少女。
老人はその名をディル、そして少女はその名をイナリという。
彼らはギアンの街の冒険者として活動していたが、現在領主からのお呼ばれに預かり、領主邸のあるヴェラの街へとやってきているのである。
ディルはイナリに内緒で出かけたのだが、ギアンから凄まじい速度で追ってきたイナリに捕まってしまったため、やむをえず二人でこの場所に立っている。
このヴェラの街を統治しているのは、ウェッケナー子爵と呼ばれている貴族である。
その名前を聞くと、彼の領土に住んでいるにいる人間は実に色々な表情を見せる。
それは彼の仕事ぶり、そして趣味が世間一般でいうところの普通の貴族とは大きく違っているからである。
貴族というのは、ざっくり言ってしまえば国の土地の運営を任された管理人達の総称である。
神から渡されたとされる土地を、王がその代わりに貴族達に貸与する。だからその仕事ぶりは神に見られており、もし下手なことをしようものなら天からの罰を受けることになるだろう……というのは建前。
実際のところ王権がそれほど強くないジガ王国において、貴族とは自前の兵を持つ領主でしかない。
よほどひどいことをしない限りは王が兵を差し向けることなどないし、言ってしまえば貴族達は領民達からそっぽを向かれない限りは何をしてもいいのだ。
だからこそ貴族はその裁量の大きさを利用し、ギリギリを見定めた上で彼らの懐を潤わせる。
基本的には厳しい徴税を行う者達がほとんどである。
そしてその基本から外れた者達は金のために徴税請負の権利を譲渡するので、より厳しい徴税が行われる。
そんなジガ王国において、ウェッケナー子爵の治政はかなり穏やかである。
商人にかける関税は一律で10%、戦時の際の徴兵もほとんどない。
治安も良く、衛兵が始終警邏を行っているために犯罪率も高くはない。
それほどのことをやってのけるウェッケナー子爵ではあるが、彼には一つ悪癖があった。
それは魔物の素材や魔物そのものを使って、色々な実験をすることである。
彼は欲しい素材があれば金に糸目はつけずに買いあさり、自分の家の金庫の中身など気にせずに己の欲に従う。
そのため実験以外には興味のない道楽貴族、というあだ名をつけられていたりもする。
「そもそもなんでわしと会おうと思ったんじゃろ」
「さぁ、変人の考えは常人には理解できん」
「お前さん、自分が常人だと思ってるなら、ちょっと考え直した方がええぞ」
「うるさい、ほら行くぞ」
イナリが一つしかない通用門へ歩いて行くのに、ディルはついていった。
後ろを振り返ることはしなかったが、彼女の足取りはいつもよりも少しだけゆっくりになっていた。
領主との面会までの流れは、びっくりするくらいにスムーズだった。
とりあえず泊まる宿を確保する前に連絡だけでも入れておこうと思ったのだが、そんな間もないうちに二人は中へ入れてしまった。
もちろん武装は禁止なので彼の愛剣となりつつある黄泉還しとイナリが持っている短剣は預かられることになったが、身体検査自体もそれほど厳しいものではない。
こんなんで大丈夫か、と思わずにはいられない緩さである。
領主邸の中は豪華絢爛、というにはほど遠い実に質素なものだった。
階段の手すりや花瓶を乗せたテーブルには丈夫そうな木材こそ使われているが、無駄使いだとディルが思うような浪費の跡は一つとしてなかった。
使用人もそれほど多そうではなく、二人を先導するメイド以外には偶に挨拶をしてくる者が数人いる程度だ。
「こちらになります」
「ありがとの」
礼をしてからノブに手をかけ、メイドがぐいっと扉を開く。
意匠も凝っていない、滑らかな表面の扉を開くと、そこには領主の執務室がある。
(執務室……で合ってるんじゃよね、これ)
ディルの視線の先に広がっているのは、執務室というよりかはむしろ実験室と言われた方がしっくりくるような部屋だった。
ところどころにあるフックには、皮の鞣された魔物の死骸が。
本来なら政務や税の書類があるはずのテーブルには、絶対に飲んではいけない色をした液体の数々が。
そしてそのテーブルの手前、二人に背を向けている一人の男性。
「あのー」
「……」
年はわからないが、そのふさふさした頭髪と筋肉のある肉体から察するにそこまで老けてはいない。
「すみませーん」
「……」
だがディルの声が全く届いていないことを考えると、もしかして見た目が若いだけで耳が遠くなるような年齢なのかもしれない。
これはどうするのが正解なんじゃろうか、とジジイは足を止める。
「ダメだ、魔力伝達率の高い物を入れても、やっぱりスライムの核だけじゃ火はおこせない。煮詰まってきたな、そろそろ食事でも……あれ、お客様かな?」
鳶色の瞳に亜麻色の髪をした男は、かけているモノクルの眼鏡を神経質そうにクイッと上げる。
「失礼、僕はハインケル=ウェッケナー。魔物研究を仕事にしていて、ついでに子爵もやってるよ」
ジジイはニコッと自分へ笑いかける男を見て、こう思った。
変な男じゃなぁ、と。
六十を超えて冒険者をやっている彼の方がよっぽどおかしいのだが、中々自分のことには気付きにくいものである。




