使い方
「……寝と……」
「おはよう」
「わっ、起きとったんか」
「酷い言い草だな」
イナリに適当に眠るようにだけ伝えてからぐっすりと眠った翌日。
ディルが首をポキポキしながら宿のフロントに来ると、いつから待っていたのかイナリが腕を組んで入り口近くの壁で腕を組んで待っていた。
目をつぶっている様子を見て寝ているのかとも思っていたので、彼が近づくとすぐに目を開くのを見てちょっとびっくりしてしまう。
「心臓止まるかと思ったわい……、ご飯は食べたかの?」
「問題ない、二週間までなら空腹には耐えられる」
「いや、夜ご飯は下で食べられるって言い忘れとったから」
「……それならそうと言え、食べれるのなら食べておく」
適当に近くのテーブルに座ってから、アリスに頼んで朝食を持ってきてもらうことにする二人。
料理が温められるまでの時間、今日とこれ以降の行動方針のブリーフィングを行うことにする。
本来なら昨日のうちにやっておきかったのだが、昨日は長旅の疲れに負けて眠ってしまった。
「すまんかったの、昨日は眠くて」
「構わん」
まぁ一応わしの奴隷じゃから、このくらいで気にする必要はないかもしれん。
そうは思いつつも一応しっかりと謝っておくおじいちゃん。
とりあえずは対等な付き合いをするように心がけようと考えながら、適当な椅子に腰かける。
「とりあえず今日は別行動にしとこう」
「ん、わかった」
ディルはミースに勧められた通り、Cランクへの昇格試験を受ける。
その間イナリは暇になってしまうので、彼女の方も彼女の方で適当にスライム狩りでもやってもらうようにしておこうという方針を口にすると、イナリの方は黙って頷くだけだった。
「はい、料理です」
「ほい、助かる」
やって来た茶色い野菜炒めらしきものを、特に合図をせずにもぐもぐと食べ始める二人。
フォークに野菜を突き刺す音と、シャキシャキという咀嚼音だけが妙に大きく聞こえてくる。
ディル達が座っているのはカウンターから離れて、少し廊下を歩いたところにあるくぼんだスペースである。
まだ誰も起きてこない早朝、そして朝早くから働いているアリスにも話し声が聞こえなくなるだけの距離がある。
食事が半分ほどまで終わってから、ディルは手を止めてイナリの方を向く。
するとさっさと食事を終えていた彼女の目線がぶつかった。
どうやら向こうは自分のことを凝視していたらしい。
「お前さんは……」
「人を殺した経験か? あるぞ」
「……やっぱりわし、わかりやすい?」
「まだ会ってから対して月日も経ってない他人に感情を悟られるくらいにはな」
イナリは感情の起伏を見せぬまま、フォークを皿と打ち合わせてコツコツと音を鳴らす。
「盗賊を殺す程度、ヤポンの女なら五歳でもやってのけるぞ」
「文化的な違い、というやつかねやっぱり」
「違うな、覚悟の差だ。甘えがあるやつはな、あの国ではいいように扱われるだけだ。もっとも、それは世界中どこでもそうなんだがな」
お前はずいぶんとぬるま湯の中で生きてきたんだな、そう淡々と口にされるとディルには苦笑することしかできなかった。
実際問題ただの農民の彼は今まで、あまり物騒なことをしてはこなかった。
彼がまだ戦えるほどの年齢であったときも徴兵をされるようなことはなかったし、魔物や他国の兵士のような暴力的な脅威に曝されるようなことはなかった。
グスラムの街で脅しをかける時も護衛達を殺すことはしなかった、というよりは正確にはできなかった。
「妙なジジイだ、荒事は得意ではないというのに戦うための才だけ与えられた。まるで図体だけでかくなったガキみたいなものだな。といっても、お前の身体はよぼよぼな訳だが」
「何も言えんね」
彼は力を持っただけの、元農民である。
スキルのおかげで常人では比較にならないほどの戦闘能力をもってこそいるものの、彼の本質はやはりただの一般人なのである。
盗賊を殺す、それは常識に考えればなんら違法のことではない。
実際に手を下すのが自分でなければ、ディルもそれほど考えることはなかっただろう。
「まぁ、要は考え方の問題さ。ゴブリンも人間も変わらん、害をなせばそれは等しく害悪、殺すべき存在でしかなくなる」
「人間とゴブリンとじゃ違うじゃろうやっぱり」
「何が違う、人も魔物も同じ生き物だ。だが、そうだな……お前の大切な人間を一人思い浮かべてみろ」
そう言われるとディルには、孫娘のマリルのことが脳裏に浮かんだ。
「うん、浮かべた」
「そいつがこのギアンに来る可能性はないのか?」
「それはまぁ……なくはないじゃろう」
自分のゴタゴタが終わり身辺整理がついたのなら、暇を見てマリル達をギアンへとつれてくることは考えていた。そのため想像するのはそれほど難しくない。
「お前が盗賊を殺さなかった、そのせいでやってきたその大切な者が殺される。あるいは殺されるよりも酷い目にあう。人間、一度道を踏み外せば狂気に飲まれるからな。そんなことがあっても不思議じゃない」
以前ゴブリンを殺す時には、そうしなければ知り合いがやられると考えてなんとか乗り切った。
要はその時と考え方は同じなのかもしれない。
たとえ人間であったとしても、そいつは自分の知り合いや善良な市民達から盗み、殺し、犯して生計を立てているのだ。
ただそうだとわかっていても、出来るだろうか。
ゴブリンの時であれだったことを考えると、直前になって切っ先が鈍くなる可能性は十分に考えられる。
「あるいは……そうだな、ちょっと待て」
それだけ言うとイナリはおもむろに自分の胸に手を突っ込み、小さい谷間の中でもぞもぞと動かし始めた。
何をするんじゃと言い出しそうになったディルの目の前に、どこから取り出されたのかわからない小さな透明な容器が出てきた。
中には黄色い液体が入っている、濁った色をしている感じからあまりよろしくなさそうに見える。
「これはうちの兵士が相手を殺すのに躊躇う時に飲む……興奮剤のようなものだ」
渡すのかとも思ったが、それをイナリはスッと谷間の中に戻してしまう。
「いざとなればこいつがある、だがお前には使う必要はあるまい」
「どうしてじゃね?」
「はぁ……なんでわからん、それほどのものを持っておいて」
心底呆れた、そう言いたげにイナリは息を吐いてから一瞬で姿を消す、敵意がないためにディルは動かないで制止した状態を維持する。
後ろに回りこんだ彼女が、その表情を見せぬまま背後で小さく呟いた。
「その優秀なスキルに身を任せるんだよ、そうすれば上手くいく」




