アリス
「……あ、どうも」
いつもと同じ、というか数ヵ月前と何一つ変わらぬ様子でアリスは受け付けに座っていた。
彼女はそれほど成長が目に見えるタイプではないようで、見た目的にもほとんど違いは見受けられない。
相変わらずちっちゃく、そしてかわいらしい娘である。
自分の息子であるトールがすぐに大きくなってしまったディルとしては、その変わらないちっこさはとても良いものであった。
「久しぶりですね」
「そうじゃね……」
ディルは宿に来てようやく、帰ってきたという実感を得た。
今後やらねばいけないことは多いが、なんにせよとにかく帰ってきたんじゃなぁ。
色々と合ったせいで感じれなかった喜びを感じながら、アリスの方を見ながらぼうっとしているおじいちゃん。
「何泊ですか?」
「そうじゃね……とりあえずは一泊、料金は二人分での」
「わかりました」
後ろにいるフード姿のイナリの方に軽く目を向けてからにっこりと愛想笑いをするアリス。
そこらへんは彼女も客商売をやっている身、何も言わず相手の事情には無関心を貫くくらいの心がけは持っている。
(なんとなく嫌な想像をされてる気がする……)
明らかにそっち目的だと勘違いされているような気がしたが、特に訂正はせずにいた。
部屋の掃除をすれば何もしていないことなどすぐにわかる、ここで下手に言い訳をする必要などないのだ。
ディルは隣り合った部屋を二つ借り、とりあえず部屋で休むことにしようと首をぐるりと回す。
「どうぞ」
「ありがとの……あ、忘れとった」
鍵を受け取る際に、ようやく自分の腰の巾着の中身を思い出す。
ディルはそれを紐を解くことなくまるごとアリスへ手渡した。
「……これは?」
「わしからのプレゼントじゃよ。そこそこ高かったから味わって食べてくれな」
何も言わずにカッコ良く去ることのできない三枚目っぷりを発揮しながら、ディルはイナリを引き連れて部屋へ向けて廊下を進み出した。
「……」
二人の影が消え遠くからドアの閉まるバタンという音を聞いてから、アリスが手の上にのった袋をじっと見つめる。
「……なんだろ」
小さく呟きながら、そっと袋を開く。
シュッと布同士の擦れ合う音と一緒に、中からコツコツと何か硬いものがぶつかり合う音が聞こえてくる。
「……?」
首を傾げながら、影に隠れている中身をじっと覗きこむ。
そこにあったのは何か黒っぽい、丸みを帯びた物体だった。
大きさの不揃いな玉のような何かが、袋の中にぎっしりと詰まっている。
どう見ても何かの遊び道具のようにしか見えなかったが、ディルは確かに高価な食べ物だと口にしていた。
(……変なの、こんなのもらっちゃうだなんて)
基本的に誰かからの施しは受けない、そうやってアリスは生きてきた。
自分が与えた物の対価をもらうことで生計を立てている彼女にとって、無料などというものは一番信じられないものだ。
だというのに裏などというものがないと、そう信じながら自分は彼から食べ物をもらっている。
そんな自分のおかしさを思いながら、そっと中に入っていた小さい欠片を取り出した。
そして赤く小さな舌をチロッと出して、その歪な物体を舐めてみる。
やってきたのは舌への刺激、今まで味わったことのほとんどない直接的な味覚の暴力。
「……甘い」
果物などでは味わえないほどに直接的な甘さ、自然ではありえないほどの強烈な感覚。
今まで直接見たことはない、だがアリスにはこれが砂糖と呼ばれているものであることがわかった。
決して安いものじゃない、ううんそれどころかこんなの超高級品じゃ……。
自分が貰ったものの価値を考えようとして、だけど目の前の誘惑には抗えずに今度はパクリと砂糖の塊を口に入れてしまう。
ジャリジャリと徐々にほどけていく砂糖に顔をほころばせながら、アリスは目を閉じた。
うっとりとしながら意識を舌の上に集中させ、もう二度と味わえるかわからないそれに舌鼓を打つ。
ふぅ、と息を吐いてからアリスは緩んでいた頬の筋肉をむにむにと掴んだ。
いけないいけない、気をゆるめていいのは仕事が終わってからにしなくちゃ。
いつも通りの感情を押し殺した表情を張り付ける。
巾着袋をカウンターの上に置き、誰かに取られたらいやだと思ってすぐに内側のスペースにしまいこんだ。
アリスは客がやって来るのを待ちながら、横目でディルが入っていった部屋の方を見た。
「ありがとう……おじいちゃん」
彼女の消え入るような、だけれど嬉しそうな声は誰に聞かれるでもなく空気に溶けて消えていく。
その顔はいつもよりも……少しだけ柔らかく変わっていた。




