閑話 おじいちゃんのプレゼント
そこはジガ王国は辺境にあるトカ村、人口百人足らずの小さな農村である。
早くに起きて農作業に精を出し、そして日が暮れる前に仕事を終えて家で眠る。
そんな単調で、裕福ではなく、しかし飢えるほどではない慎ましやかな生活。
日々代わり映えのない毎日を、彼らは生きていた。
「ふぅ……」
農家の朝は早い。
まだ日も昇りきる前から彼らは雑草取りに精を出していた。
そんな皆の様子を、扉の近くから見ている少女がため息を吐いていた。
彼女の名はマリル、ディルが溺愛してやまない孫娘である。
自分のおじいちゃんが消えてからというもの、マリルは毎日退屈な日々を過ごしていた。
彼女はまだ農作業を手伝えるほどの力がない、ゆえに未だする仕事がない。
今までならばそれでも構わなかった。楽しかったりつまらなかったりの落差は激しかったが時間を潰す相手はいたのだから。
だが唯一の話し相手兼遊び相手であるディルがいなくなったことで、今のマリルは暇をもて余していた。
同い年の子供の数は数人しかいない、そして彼らと遊ぶにはマリルは少しばかり大人び過ぎていた。
元よりインドア派である彼女は家に出ることもなく、なんとなくぼうっとしながら日々を過ごしていた。
そんな生活ばかり続けていれば、それはため息の一つも出るというものである。
マリルは少し減り始めていたお腹を撫でながら、今日も今日とてトカ村の外にある森の見える位置に座っていた。
なんとなくそうしていると大人びたような気がするという、なんとも子供らしい理由がゆえのことである。
「……あれ?」
少しだけ顔をしかめ、目をつむる。
何か変な音が聞こえたような気がしたのである。
獰猛な猛獣が一心不乱に駆けてくる走行音のようなドタドタという音が。
「……気のせいかぁ」
聞こえていた音はすぐに消えてしまった。どうやら自分の勘違いだったようだと思い、マリルはまた少しだけ視線を下げた。
「……はぁ」
「お前がマリルか?」
「うひゃひゃっ⁉」
バッと顔を上げる、目の前には誰もいない。
どこだどこだっと首をグルグルと回し、ようやく後ろに誰かが立っていることに気付いた。
「そうだけど……だぁれ?」
そこにいたのはフードを目深に被った一人の少女。
身長は自分よりも少し高いくらい、年齢は恐らく自分と同じくらいだろうか。
マリルはフードの影に隠れた顔を見ようとしたが、どういう理屈か下から見てみても顔はわからなかった。
「これを、渡しに来た」
ドサリと背中に背負っていた袋が落とされる。
中身の詰まった何かを見ながら、マリルは一体何が起こってるんだろうとポケーッと状況を見守っている。
「食い物、読み書きの教科書、それと少しの金だな」
袋を開くと中から色々な物が出てくる。
滅多なことでは食べられない生肉、自分の口に入れることのあまりないシャキシャキとした野菜。赤かったり黄色かったりするよくわからないもの。
紙に包まれている小さな物体は、その正体の想像をつけることも出来なかった。
「わからなかったなら、トールとかいうお前の親父に聞け。私は戻る」
「え、ちょ、ちょっと‼」
「……なんだ」
すぐさま帰ろうとしていた少女を、マリルはなんとかして呼び止めた。
彼女が目の前にいるというのに、まるでその存在がどこか遠くにあるような、そんな感覚を覚えて目をゴシゴシと擦る。だがもちろん、マリルの気配は相変わらず希薄なままだった。
「なんでこんなのくれるの?」
「……お前のジジイからの贈り物だ。……ったく、あれだけ金があれば商隊ごとよこすことだって出来るだろうに、あの老いぼれは本当に……」
「じーじ、じーじきてるのっ⁉」
「来てない」
「なんで……なんでじーじ来ないの? こんなにいっぱいくれたのに……」
せっかく久しぶりにディルの名前を聞いたというのに、どうして肝心の本人が来てないのだろうか。
子供心にそんなことを考えていたマリルの瞳は自然うるうると潤み始めていた。
「……泣くな」
「じーじ……じーじマリルのこと嫌いになっちゃったぁ……」
半泣きのマリルを見てフードの少女、イナリが首を左右に振る。
なんで私が子守りをせにゃならんのだ、小さく呟いた彼女の声は頭の中がいっぱいいっぱいのマリルには届かない。
「しょうがないな……これを見ろ」
「……お、お耳ついてるっ‼」
フードを取ると、猫耳の生えた少女の顔が現れた。
右耳がピョコンと動くと、左耳がへにゃっとする。
かと思えば両耳がシャキーンと立って、次の瞬間にはペタンとしまわれる。
その光景に目を奪われていたマリルは、すごいという気持ちで頭の中がいっぱいになった。
妙に慣れたあやしかたをするイナリは一瞬だけ、影のある笑みを浮かべる。
「もう少ししたら来るよ、多分な」
「ホントにっ⁉」
「ああ、それじゃあ私は行く」
とりあえず泣かずに平静を取り戻したマリルを見てから、イナリが背を向けた。
そして今度こそ引き止める間もなく、一瞬のうちに消えてしまう。
残されたのはポツンと残されたマリル。
「……なんだったんだろ、いまの」
夢だったのかもしれない、そう思って地面を見る。
そこには見たこともない食べ物と、文字の書かれた本があった。
だからマリルにも、それが夢じゃないとわかった。
おじいちゃんが、私達のためにやってくれたんだ。
試しに赤い実をかじってみると、今まで食べたことがないくらいに甘かった。
もっと食べたいな。でもお父さんとお母さんの分も残しておかなくちゃ。
うーんうーんと唸りながら、食欲と葛藤しているうちに時間が過ぎていく。
「マリル帰ったぞ…………え、何これ?」
「パパッ‼ あのね、あのねっ……じーじが、これくれたのっ‼」
「……父さんが?」
マリルはトールに拙いながらも話を始めた。
笑っている彼女の顔には、もう暗い表情は欠片もなくなっていた。




