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クノイチ

「ふぁーあ、賃金弾むって言われてもよぉ、やっぱり夜に働くってのはあれだよなぁ」

「まぁそう言うな、定期的な食い扶持をもらえてるだけありがたいと思わにゃいかんさ」


 月が陰影を作り、できた影はより深い闇の中へとに飲み込まれていく。

 二人の男は未だ明ける気配のない夜の闇の中の獲物を探すかのように、目を皿にして暗黒淵やみわだを見据えていた。

 彼らはガルシアに雇われた腕ききの冒険者、ディックとベイリー。齢三十を超えたところでBランクに昇格したより抜きの腕利きである。

 ガルシアの私邸は非常に厳重なセキュリティが張られている。

 最低でもBランクの冒険者を雇っており、内側には何人もの私兵を網の目のように張り巡らされている。

 彼の私室にあるものが一体なんなのか、それを知る者はいない。

 知ってしまった者がいないではなかったが、それでも現状その内側にあるものを知る人間はいない。知ってしまっても、決して外にその情報が漏れることはなかった。

 それが何を意味しているのかは言うまでもない。


「でもよぉ、これだけ厳重な警備がなされてるとなるとよ、中に何が入ってるのか気になる奴は多そうだよな」

「危ないことには触れないのが一番さ。俺たちは見張りをして、言われたところに言って侵入者を排除すればいい。そうすりゃ上手い酒がもらえて、娼婦が抱けて、ぐっすりと眠れる。これ以外に一体、人生に何を期待するっていうんだ?」

「違いない」


 二人は話を切り上げ、再び闇の中を凝視する作業に戻った。

 眠気はあるとはいえ、彼らも荒事を生業にしているために張り詰めた緊張の糸は決して切らしていない。

 暗闇の中を見通す視力、そして僅かな足音でも聞き漏らさぬ敏感な聴力をフルで使いながら彼らは目を凝らしている。


「すん……なぁディック、なんか甘い臭いがしないか?」

「毒に警戒だ、解毒薬は?」

「もう使ってる」

「奇遇だな、俺もだ」


 普段の警備では感じることのない異物、すかさず反応し腰に提げた剣に手をかける。

 

 瞬きを一つ、二つとするも音も侵入者の影も見えない。


「……気のせい、か?」

「そう……じゃないか、俺が晩御飯の後に食った焼き菓子の匂いが残ってたのかもしれん」

「かもな、とりあえず警戒は解いとくか」


 ふっと息を吐き臨戦態勢を解く二人。

 それは普段の彼らならしない悪手であった。

 だが濃密なシロップのように甘ったるく芳醇な香りに、彼らの判断力は少しだけ鈍った。

 そんな彼らの脇を堂々と、一切の音を立てずに駆け抜ける一つの影。

 門ではなくその横の白磁の壁を、道具を使わずに己の足だけで垂直にかけ上がっていく。


「……他愛ないな」


 一人の少女の呟きは、誰に聞かれるでもなく闇夜に溶けていく。

 それを聞いたはずのディックとベイリーがそれに反応することはなかった。




 


 ヤポンのシノビの中でも特殊な任務に就くことの多い女衆を、彼らはクノイチと呼んでいた。

 彼女達は生まれたその瞬間から己の命を主君に捧げることを定められている存在だ。

 クノイチが最も秀でているのは戦闘技能ではなく、むしろそれ以外の全てである。

 密偵、暗殺、毒殺、色情による洗脳催眠、あらゆる手段を用いて任務を達成するプロフェッショナル、それこそが彼女達だ。

 特殊な状況下でも任務を遂行することを可能とするために、クノイチは皆等しくとある訓練を強制される。

 それは服毒、毒を克服し毒に打ち克つための苦行である。

 彼女達は幼い頃から微弱な毒の接種を強制され、毒性を強め量を増やしながらその訓練は十五の成人を迎えるまで続けられる。

 そのため彼女達の身長は、等しく小さい。そして己の身体を毒に蝕ませ続けているせいで、彼女達は己の体内に溜まった毒に殺されてしまう。二十歳まで生きられる者がほぼいないと言えば、その厳しさがどれだけのものなのか察しがつくことだろう。

 だがその命を短くする行為の代償として、彼女達は体内で毒を精製することが可能となっている。

 ジガの毒物学ではまともに解毒薬の作れぬ二百を超えた毒達を、末端のクノイチですら精製し使用することが可能である。

 クノイチの中では中の上であるイナリにも、それは容易なことだった。




 彼女が今回使用したのは狂わしの香木、凶悪な幻覚を見せる猛毒だ。

 イナリはその毒を体内の別の毒と中和させ、解毒薬には引っ掛からない程度にまで毒性を薄めて使用した。

 そのために彼らはなんとなく浮わついた気持ちになり、最適な判断が取れなくなったのだ。

 イナリは脇目も振らずに任務遂行に尽力する。

 どうしてこの力を使うのが、あの方ではなくあの老人のためなのだろうかと考え臍を噛みながら。


(必ずや迎えに行きます姫様。この私の……命に代えても)

 

 イナリは全身から霧状に噴出していた狂わしの香木の毒素を少しだけ強めた。

 首輪を苦々しげに見ながら、小さく舌打ちをする。


 彼女はディルの取引に応じた。

 情報一つでこの身が自由になるというのなら、問題があるはずもない。


(約束は守ってもらうぞ……老いぼれ‼)


 彼女は内心の怒りを奥へと沈殿させながら、魔力に粘着性を持たせ天井を走っていく。

 誰一人殺さず、証拠を決して残さず、クノイチは屋敷を右へ左へ跳ね回る。

 己の自由と本来の主、そして癪ではあるが仮の主である老人のために。

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― 新着の感想 ―
[一言] 名前は忘れたけど生まれてからの獲得形質もある程度遺伝するって研究もあったし、このクノイチたち(くノ一ではない)も子を残すようにしたほうがおそらくヤポン的には良いと思うのよね!発展しろ!
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