すべきこと
流石にオークション自体が終わるまでは、勝手にこの場所を去ることはできない。ただでさえ目立ってしまっているのだから、ディルはこれ以上下手な動きをして顰蹙を買うわけにもいかなかったのだ。
彼はあの落札を終えてからは顔を元に戻し、そして内心でずっと安堵のため息を漏らしていた。
演技はあまり経験がないが、どうやら上手くいったようじゃわい。
亜人の中でも特に扱いにくいと言われている獣人の、明らかに敵意と隔意しか抱いていないような少女。それを痛ぶって楽しむような人間のふりをすれば、落札しても不審に思われることもないだろう。
獣人という種族に対しての憎しみを持っておる人達も、明らかにまともな理由じゃない落札をされればある程度鬱憤も晴れるじゃろうしね。
そこまで深く考えず、ただ参加している人間達をそれほど逆撫でせずに済む方法をと考えて行った速攻での値の釣り上げだったが、それは彼が思っていたよりもずっと上手く機能してくれていた。
落札成功の原因はディルが考えていた理由とは少しばかり違ってはいたが、それでも落札できたことには変わりない。
おじいちゃんはまだ金貨五十枚近くが手元に残っていたのでホクホクである。
剣は思っていたよりもずっと高く売れたし、一番願っていた子を手に入れることもできた。思っていた以上の結果に、ニヤケ顔を出さないようにするので精一杯だった。
品々が流れていき落札されそうになると、金貨五十枚という言葉が頭を過る。
(……いかんいかん、あれは金があるから必要に見えているだけじゃ。もし買っても使うことなんかないに決まっとる)
急に小金持ちになったことで、おじいちゃんは若干物欲センサーが発動しかかっていた。
だがあれは不必要あれは不必要と自分に必死に言い聞かせたことで、なんとか購入を我慢することに成功したのである。
「では第二十三回、グスラムオークションの閉会をここに宣言致します‼ 次回の開催は真夏を予定しております。その際に立ち会いたいという方はこのあとに……」
忍耐の時間を終えたのは、オークションが開始されてから五時間近い時間が経過されてからのことだった。
実際に買うかどうか悩む時間より、準備や休憩の時間の方が遥かに長い。
老い先も短いことじゃし、わしには過ぎた場所よな。
ディルは関係者口へと向かい、諸々の処理を済ませてしまうことにする。
まず行われたのは大剣の落札であった。
奥の応接室のような場所で座って待っていると、先ほどの露出の高い女性が袋を抱えながらやってくる。
対面していた従業員がその袋から一枚一枚金貨を取り出しては、真贋を判定するための天秤にかけていく。
主宰者の豊かさを象徴するように、小切手や証書のようなものではなく現物で支払われた。
ディルが自分の目の前に百七十枚の金貨が並べられているのを確認すると、そこから手数料の金貨十七枚が引かれる。全体の一割でしかないにもかかわらず、その額を持っていかれるのはなんだか妙な気分だった。
合計金貨百五十三枚ある金貨から、今度はディルが落札した分の金貨百枚が持っていかれる。
残った額は金貨五十三枚、それが事前に用意されていた先ほどより一回り小さな袋へと入れられる。
「じゃあわしは、これで」
「はい、本日は誠にありがとうございました。入り口にて馬車を待機させていますので、後はそちらで諸手続きをお行い下さい」
きらびやかな建物を出ようと立ち上がると、流れるような自然さで男が礼をした。
ディルが部屋を出るまでは崩しそうにないその姿勢を見て苦笑しながら、適当に声をかけて応接室をあとにする。
少しばかり悩みながらも建物を出ると、従業員の言葉通りに入り口付近に馬車が停められている。
ディルはそちらに行くと、声をかけるまでもなく幌が内側から開かれた。
中にいる奴隷商人から、奴隷契約を結ぶ際の細々とした規約のことを聞かされる。
ヤポンとは一応戦争中ということになっているため、奴隷である彼女の扱いは戦争捕虜に準じた扱いとなることは聞かずともわかっていたし、それ以外の部分も以前奴隷商店に言った時に聞いていたことと同じだ。
何をしてもいいが、絶対にバレないようにしろ。要は全ての説明はこの一言に帰結している。
首に隷呪環がついているのも、何かあった時に奴隷が逃げられぬようにするためのものだ。
この魔道具は主の意に背いた場合に、奴隷の首を絞める機能を持っている。ある程度量産が可能であり魔道具であり、絞める強さにもある程度の融通が利くらしい。
主人の血を首輪に馴染ませれば、すぐにでも使えるようになるという話だった。
(……なるほどの)
身体に服従を覚えさせるには、有効な魔道具である。身体が痛みを覚えれば、反抗する気力などというものは徐々に削がれていくのが普通なのだから。
だが彼の目の前で、腕と足に鉄球つきの鎖をつけさせられているイナリにその常識は通用しないようだった。
「……」
彼女は新たな持ち主となった自分に、媚びへつらう様子はない。
その首元には今までの被虐の痕が、赤と黒に変色した皮膚という形で残っていた。
彼女はそんな目をすればどうなるのかもわかった上で、それでも反抗的な態度を崩さない。
不器用な子じゃな、もっと生きやすくする方法はいくらでもあるだろうに。思わず顔をくしゃりと歪めるディル。
彼女の頑なさは決して美徳にはならない、ただ徒に自分を傷つけるものでしかない。
そんな生き方を選んだ……いや、そんな生き方しかできないということなのだろうか。
「では早速、これの登録を……」
「……ああ、ええよ」
「登録料と隷呪環、合計で金貨十枚になります」
ディルは金貨十枚だけを渡し、血を一滴取り皿の上に落とした。
そして商人がいそいそと用意を整えているのを横目にしながら、イナリをじっと見つめている。
わしが今からこの子にさせようとしていることは、決して誉められたものではない。
暴力を振るうような輩と何ら変わらないし、下手をすればそれよりもよっぽど質の悪いとすら思える。
「拘束力はどうしましょうか?」
「逃げられないされないようにはなっとるのかな?」
「主から距離を置けば自動で首が絞まるようにはできています」
「でもそれだと奴隷に遠出をさせる時はどうするんじゃ?」
「そういう場合は奴隷の意思が主に対し反逆的であった場合にのみ首が絞まるようになっています」
「なるほどの……」
だがそれでも、ディルはやるしかない。
それが自分の、ヒリソ親子の、そして……イナリ自身の幸せになるのだと信じて。
仕事が終わるまでに逃げられては困る、彼は心を鬼にして首輪に己の血を馴染ませる様子を見つめていた。
とりあえず逃げる場合には厳しい首絞めが行われるようにだけして、あとの部分はほとんど首輪が発動しないように設定がなされる。
こうしてディルは、奴隷を持つことになった。
未だ厳しい視線を向けたままのイナリを連れて、ディルは馬車をあとにする。
そのエネルギーを自分以外へと向けてくれることを祈りながら、彼は人気のない場所へと向かった。
無言のままに歩き、視界が閉ざされた場所でその足を止める。
振り返るとそこには、蔑むような視線で彼を見つめる瞳があった。
「なぶるも犯すも好きにすればいい、この下衆が」
舌鋒は鋭く、態度も先ほどまでと何一つ変わらない。
全身が震えているわけでも、涙で頬を濡らしているわけでもない。
だが、どうしてだろうか。
ディルには目の前の少女が、泣いているように見えたのだ。
鼻を鳴らしながら自分達を探していたトールの姿と、その姿勢の良い少女の上目遣いが重なって見えた。
何をすべきだろうか、自分には一体何ができるだろうか。
ディルは何もわからぬまま、もう一度彼女に背を向けた。
「やってもらいたい仕事があるんじゃ。それが終われば解放するし、故郷に帰るために金も渡そう」
ディルは努めて平静を装いながら、そう切り出した。




