面影
大振りの一撃が、ディルの頭のすぐ上を轟音を伴って通りすぎていく。
風圧で髪の毛が舞い上がり、顔に吹き付けてきた風で思わずたたらを踏んでしまう。
二撃目、速度を重視した蹴りが放たれる。
トリガーサイクロプスとディルの身長差からすると、ニーを使ったローキックが顔面に直撃するような軌道を取る。
黄泉還しを刺すか? いや、それだと次撃をもらう。やってきた蹴撃を敢えて大仰に避ける。
するとその隙を狙うようにトリガーサイクロプスがキックを止め、少しだけ上に上げた。それをほとんどノータイムの内に下ろし、ストンピングを繰り出す。
溜めのない一撃であっても、体格差と筋肉量の差から喰らえばおしまいなのは必死。
そんな状況にあってもディルはニヤリと笑う。
(どうやら隙をつく、だけの狡猾さはある)
だが人間の狡猾さが、どんな魔物よりも優れていることをあの魔物は知らんじゃろう。
ディルはなんでもないように体勢を建て直し、ズドンと落とされる足に攻撃を合わせた。
腱を浅く切り裂くと、ブチンとした断裂音。
「ゲアアッ⁉」
「弱ったふりができるとまでは思わなんだか」
自分にも知能があるのと同様、人間にもまた考える力があるということを、奴さんは知らなかったとみえる。
弱ったふりをした経験は初めてじゃったが……これでいい。
弱ったのはふりである。そう一度見せておくことで、攻防を続け体力が無くなってからも向こうに警戒を抱かせたまま時間を稼ぐことができるようになる。
もしかしたらあれもまた、弱った演技をしているのではないか? 自分に一撃を加えるための策略なのではないか? そう疑心暗鬼になってくれれば儲けものである。
なんにせよ、とりあえず一発当てることはできた。
だが今までとは違い、黄泉還しの刃でも流石に一撃で持っていけはしなかった。
どれほど打ち合わせても刃こぼれしないのは流石だが、もう少し肉を断ってもよかったのではないだろうか。そんな風に考えてから、バカらしいと頭を振る。
(……いや、わしの技量がまだまだだったと考えるべきじゃな。こいつは確かに仕事をしてくれている)
愛剣は確かにダメージを与えられている。
恐らく魔力で身体能力や防御力を上昇させているはずの、Bランクモンスターに刃を届かせているというだけで、今の自分には分不相応な刀だ。
向こうの武器はバスタードソード、一撃を真正面から受ければ刃が叩き折られるような大質量の剣である。
まともに切り合っていては勝ち目は薄い。
それなら近距離で攻撃を加え続けるべきだろうか?
いや、向こうのタフネスを考えればそれもまた悪手。
サイクロプスの体力は、人間のそれを遥かに凌駕するそれならば目の前の魔物の体力はより凄まじいはずだ。
そんな馬鹿力が、自分とほぼ同等の速度で放たれる。目で追うことも衝撃を殺すこともできるが、一手違えれば全身の骨をバキバキに折られてしまうだろう。
逆転を狙う必要も、致命傷を与える必要もない。
それならばと考え、足の状態を確認しようとしているトリガーサイクロプスに対し追撃をすることはしない。
見切りが切れ、再び発動する。
意識が引き伸ばされ、感覚が鋭敏になっていく感覚が全身を駆け巡る。
このまま中距離で、削る。
付かず離れず、相手に鬱陶しく、しかし放置はできないほどの存在であると思わせろ。
ディルは自分に注意を引き付けるべく、牽制の意を込めて大きく足音を立てた。
それを攻撃の合図と受け取ったトリガーサイクロプスが首をぐるりと回転させながら、その大きな瞳でディルを居抜く。
ディルはほんの少しだけ身体を右に動かしてから、迎撃の構えを取った。
「……」
剣撃の応酬。妙な拵えの黒の剣とただ鉄を固めて鋳潰しただけの大剣がぶつかり合い、金属同士が鳴らしているとは思えない鈍く重い音が響く。
大質量を振り回すゆえの単純で、それゆえに強力な一撃。
それを身を翻して避け、インパクトの瞬間に衝撃を地面へ受け流し、パリィの要領で相手の剣の根本に自らの刀身をぶつけて攻撃の方向を逸らす。
トリガーサイクロプスの剣を己の力を最大限活かすための剛の剣だとすれば、目の前の老人の剣はそれとは対極。
己の力を使わず如何にして相手の攻撃を捌くか、どうすれば最低限の力で拮抗することができるか。そういった脱力と受けに特化したしなやかな枝のような柔の剣。
ムーサは言葉を発することも忘れ、木陰からその戦いの様子を食い入るように見つめていた。
信じられない、あり得ない。
口を開いた間抜けな顔で、自分を助けに来てくれた一人の老人の戦いぶりをじっと見つめている。
両者とも動きは、目で追えぬほどの速さではない。
だがそれゆえに、彼女には目の前で繰り広げられている戦いが自分の及ばぬ領域になることを理解することができてしまった。
(……なんだよ、あんな、あんな……)
あんな力があるくせに、なんで言わなかったんだよ。
私のこと、バカにしてたのかよ。
助けに来たことを感謝すべき場面でも、やってきたのは憤りだった。
戦いに見とれながら、戦っているディルのことを認められない。
どうして自分はこれほどまでに、意固地になっているんだろう。
理由もわからぬまま、ディルの背中を見つめる。
彼の背中が、以前よく見ていた人間と重なった。
(……そうか、あいつは……お父さんに、似てるんだ)
自分のことを大切にして、しすぎてしまって、身体を壊した馬鹿な父親。
死の間際まで私のことを、口出しせずにただ行動だけで守ってくれたたった一人のお父さん。
その言葉少なで無愛想な父の姿が、何故か愛想のよいディルと重なった。
そして気付く。
ディルは今、自分を守るために明らかに強引にトリガーサイクロプスのことを誘導しようとしていることを。
そうだ、あいつは今……私を守って、くれている。
(……け……)
ディルの邪魔になることをするつもりはない、だから言葉にはしなかった。
(……いけっ……)
だから彼女はその背中に、曲がって、細くて、しかし頼もしいその背中に心の中で語りかけた。
そして願った、ディルが父のように死んでしまわないように。
(…………いけっ、ディルッ‼)
心の中でではあったが、彼女は初めてディルを名前で呼んだ。
その無言の声援のおかげか、彼の動きが少しだけ滑らかになる。
ディルは保っていた距離を詰め、一気に前に出た。
スッ、と音もなく黄泉還しが右から左へと流れる。そしてその軌道上にあった脚が切り落とされた。
ディルが続けて攻撃しトドメをさす様子を見て、ムーサは笑みを浮かべる。
ディルも今、自分同様笑っている。
何の根拠もなかったが、彼女はどういうわけかそう確信することができた。




