思い出
「ちょ、ちょっと‼ いくらなんでも強引過ぎるってば‼」
「いいんだよ、ああでもしないと三人単位で行動できなくなってただろうが」
「それは、そうかもだけど……」
ムーサを追うように走って来ているフィロとルイーズ、彼女達の後ろを追ってくる老人の姿はない。
今D級冒険者パーティー『聖女の天秤』はディルを放置して、三人でサイクロプス討伐へと動いていた。
勝利の一報が届けられてすぐ、ムーサはディルを放置するような形で強引に冒険者達の列へと加わったのだ。
彼女のペースについていくことに慣れていて、行き先にも大体の検討のつく二人とは違い、ディルは馬車に乗っていてグロッキーになってコンディションは最悪に近かった。
そんな老人が元気な三人娘についていけるわけもなく、今や四人組は一人と三人に分裂してしまっている。
「本当に、良かったの? これは将来の査定に響く、という可能性もある」
三人の中で一番前に立ち、斥候の役目を果たしているルイーズが隙を見てフィロに問いかけた。もちろん視線は前方に広がる森へ向けられ、その耳は周囲のあらゆる音を聞かんとそばだてられている。
「本当は良くないですけど……こうなった時のムーサは止められないですから」
「おじいちゃん、可哀想」
「可哀想なもんか‼ あんな老後の道楽と冒険者稼業をはき違えてるような奴と一緒に戦ってたら私たちが死んじまうよ‼」
でもフィロはムーサの苛立っている顔を見て、それだとディルさんが死んでE級降格になってしまうかもしれませんという反論はしないことにした。
こういう時の意固地になった彼女は、自分が正しいか間違っているかは関係なく一切人の話を聞かないようになる。
もう、仕方ないですね。とフィロは諦めムードを漂わせた。
どうしてこれほどあのおじいちゃんのことを邪険にするのでしょうか。首を傾げてから、きっと彼女のなんらかの琴線に触れたのだろうと思い付く。
将来のことを考えれば自分達がやったことは間違いなくよろしくないが、ムーサのこういう部分も含めて自分達はパーティーを組んだのだ。
(あそこには冒険者もたくさん居ましたし、死んだりすることはないでしょう……多分)
ディルのことを置いておき、フィロは勇んでいるムーサを見つめた。
背中しか見えていないにもかかわらず、彼女にはムーサが不機嫌であるのがわかる。
この調子が、サイクロプスとの接敵までになんとかなるといいんですが……。
少しだけ不安を抱えながら、フィロは杖を抱えて二人のあとをついていった。
イライラは、走る速度を落としゆっくりと警戒しながら時間を過ごしても、収まることはなかった。
自分自身、どうしてこれほどにムカつきを覚えているのかはわからない。
ムーサは一人息を殺しながら、構えている直刀を握る力を強める。
(……プライド、なんて大層なものを持ってるわけじゃない)
だがムーサはディルのことが、嫌いだった。
明らかに戦いに向いていない彼がわざわざ戦場に立とうとしていることを、望ましいとは少したりとも思えなかった。
『ムーサ……大丈夫かい?』
一瞬、ふと昔の記憶が脳裏をよぎる。
幼い頃に死別してしまった父親、自分達を捨てて駆け落ちした母の面影を持つ自分を、それでも見捨てないでいてくれたたった一人の家族。
(……何、感傷に浸ってるんだ。今は集中しないと。集中、集中……)
ゆっくりと深呼吸をしながら、表に出てくる激情を内側へ溜め込んでいく。
解放とともに攻撃力に転化できるよう、熱を中へと押し込めて冷徹さを取り戻していく。
スッと広がる視界、思考が一気に戦闘モードに切り替わる。
やはり彼女も、将来有望と目されている新人冒険者の一人。
感情と行動を分けることくらいは、本来なら造作もないことなのだ。いつもならできるその分別が、どうしてか今回は利かなくなってしまったというだけで。
「……来る。数は一、少し弱ってる」
「よし、狩ろう」
即断即決、リーダーの言葉に二人が顔を引き締める。
フィロもルイーズも、なんやかんやでムーサのことを信用しているのだ。
彼女達はサイクロプスが姿を見せるのを、木々の影に隠れながら待った。
「ゲァアアア‼」
腹の底に響くような鳴き声、そしてドシドシと聞こえてくる大きな足音。
身体を振るわせるほどの地鳴りが、敵の接近を知らせてくれる。
(こいつは思ってたよりも……ずっと大きいな)
以前から情報は得ていたが、生のサイクロプスを見るのは今回が初めての経験だった。
どうせなら先輩冒険者をトレインして目を慣らしておくべきだったかもしれない。
そんな風に考えられなかった過去の自分を戒め、今再び敵に向き直る。
身長は大体、ムーサ二人分くらいある。足の筋肉の発達が顕著で、彼女が体重を預けている丸太よりもその脚はずっと太い。
一つ目は赤く充血していて、全身には打撲の痕があった。
確かに傷ついてるみたいだな……注意力もずいぶん散漫だ。
既にかなりのダメージを負っているからか、その動きはかなり緩慢だった。元からそこまで動きが速いわけではないという話だったが、今の速度を見ている限り十分に捌くことが可能なように思える。
しばらく観察し、サイクロプスが周囲を警戒しながらゆっくりと進んでいる様子から色々な情報を得ていく。
腕と歩幅からリーチや間合いを推定し、どうすれば自分達であの魔物を落とせるかということをシュミレーションしていく。
事前の想定通り、足を削ってから弱点である目を狙い、そのまま攻撃を脳天までぶちこむ。
作戦はシンプルだが、単純であるがゆえに応用が利き、そして効果的だ。
想定通り、まずは私が行く。フィロはフィニッシュ要因で、ルイーズは牽制を。
ハンドサインで意思の疎通を行ってから、ムーサは一気に飛び出した。
かなりの距離にまで近づいていも、サイクロプスは気付いた様子もない。
それならば幸いだ、まずは一撃。
「ぶちかますっ‼」
彼女の刃の分厚い長刀が、サイクロプスの腱目掛けて放たれた。
ブチブチと音が鳴り苦痛の呻き声を出しているのがわかったが、ムーサが出したのは舌打ちだった。
「思ったより浅いっ‼」
自分が攻撃されていることに気付いたサイクロプスが選んだのは、迎撃ではなく撤退だった。
巨大な一つ目はのっしのっしと動き、身体はムーサに向けたままバック走で森を駆けていく。
ムーサはもちろん、あとを追い追撃の構えを取った。
時々木々にぶつかるおかげで、両者の速度はほぼ同じ。
だがこのままだとフィロが追い付くまでに少し時間がかかるだろう。
ムーサはとりあえず足を止めようとサイクロプスの足と腕に攻撃を加えるが、まるで何かに突き動かされでもしているかのように一つ目は後退を止めようとしない。
何か、変だ。
頭の中で警鐘が鳴ったが、流石にムーサと言えど戦闘を続けながらその正体を看破できるだけの余裕はない。
更に進んでいくと、サイクロプスが突然速度を落とした。
ダメージの蓄積で、右足の動きが明らかに鈍り始めたのである。
それを好機と捉え、ムーサは攻撃を続ける。
足を止めて少し経つと、少し離れた場所にルイーズがいるのが見えた。
投げナイフでサイクロプスの注意を引きながら、こちらに何かを伝えようとしている。
合図の意味は後退せよ。多分彼女も自分と同じ何か不審な雰囲気を感じ取っているのだ。
それならば自分に否やはない。
ムーサは追い付いてこれないサイクロプスを放置し、ルイーズと合流しながら後退を開始した。
「何か変だよな?」
「うん、ちょっと変」
サイクロプスに実力を見定めて逃げるような知能はない。にもかかわらずあの一つ目は撤退を選択した。
明らかに不自然な動き、そしてあの全身の打撲痕。
あれではまるで……
「っ、ムーサ‼ 来た‼ 数は八、うち一個が明らかに大きい‼」
「……チッ、そういうことかよっ‼」
ムーサにもようやく自分が引っ掛かっていたものの正体が理解できた。
あのサイクロプスは餌、倒せそうな奴に敵を誘引させる文字通りの餌だったのだ。
全身の打撲は恐らく、サイクロプス達があの魔物へつけたものだろう。
わざわざそんなやり方をする相手には、知能があるのは間違いない。
先ほどの魔物とは次元の違う速度、ムーサの全速力に匹敵するスピードでやって来た一体の魔物を見て、彼女は再度舌打ちをした。
黒い身体、大きな一つ目の上にある小さなもう一つの目。
間違いない、あれはサイクロプス達を統率する特殊個体のトリガーサイクロプスだ。
自分達はあの個体に誘い込まれたのだ。
いや違う、血気に逸った自分がむざむざと引っ掛かりにいってしまったのだ。
自分の隣にいるルイーズを見る、彼女の顔は蒼白になっていた。
それもそのはず、トリガーサイクロプスの討伐ランクはB。Bランク冒険者パーティーでようやく相手取れるほどの実力があるということだ。
策がなったことに、黒色のサイクロプスがゲッゲッと笑い声を上げた。
やってしまったとそう思ったときには向こうが一歩を踏み出していた。
(……速いっ⁉)
明らかに自分の捉えられない速度、恐らく一撃を食らえばぺしゃんこになるだけの威力。
自分の死を直感した彼女は咄嗟に目を閉じた。
自分のふがいなさと、仲間を巻き込んだ愚かさを噛み締めながら。
「まだ、諦めるにはちと早いわい」
ムーサはその声に驚き、目を開いた。
目の前には、人影が一つ。
腰の曲がったシルエットによぼよぼの肉体。こんな場所にいる老人など、一人しかいない。
「ふぅ……なんとか、間に合ったみたいじゃな」
場違いにしか見える老人、ディルは黄泉還しでトリガーサイクロプスの一撃を確かに受け止めていた。
理解ができていないムーサに向けて、にっこりと微笑む。
その顔が以前となんら変わらぬ表情を浮かべていることに、ムーサは言葉が出なかった。




