サイクロプス
そこは人里から少しだけ離れた山の麓。
周囲は赤く変色し始めた木に囲まれており、天然の要塞と化している。いくつもの隘路を越えた先にあるその場所は守るに易く攻めるに難い。
そんな場所に近頃、とある魔物が大挙しているという噂が立っていた。
冒険者達が情報の真偽を確かめるために行ったところ、合計四組ほどのパーティーは無事に帰ってくることができた。
だが彼らがもたらした情報は魔物の不在ではなく、魔物の存在を裏付けるそれだった。
ラルラル山の麓の要害に、魔物の群れが住み着いている。
もはやそれは噂ではなく、皆の耳目に触れるような事実として確認されることとなった。
それほど攻撃的な性格ではないが、ひとたび戦うとなればその攻撃力は他の追随を許さない。
眠らぬ巨人、鬼の一つ目。
討伐推奨はCランクパーティーのその魔物の名はサイクロプス。
彼らは滅多なことでは人を襲わない。だがそれはサイクロプス達が森の中で暮らすことを容認できるということと同義ではない。
あるものはグスラムの街の安寧を守るため、またあるものはここらにやって来ることのない魔物と戦い、その経験を糧にするため。そしてまたあるものは……入り用になった金を稼ぐため。
彼らはそれぞれの理由のために戦う。
グスラムの街の冒険者ギルドは有志を募り、サイクロプス討伐隊を編成した。
彼らは偵察からの情報からすり合わせを行い、明朝に街を出立した。
中規模程度の部隊であるために、兵站などというものは存在しない。必然彼らは皆が戦闘に特化した冒険者と、グスラム領主軍である。
どことなく剣呑な雰囲気を発する者達が緊張を伴い馬車に乗っていくその中、なぜか一人だけ場違いな人物がいた。
何故か冒険者ギルドによるお墨付きをうけた、腰を曲げた老人。
皆は彼のことを不思議に思いながらも、討伐隊最後尾の新人冒険者達の一員として認識していたのだった……。
「…………痛い」
「痛い、じゃねぇよ。馬車に乗るのが辛いんなら、さっさと帰ってお茶でも啜ってたらどうだい?」
「……それは、できんの。すまんの、年を取ると呻き声が隠せなくなるでな」
ガタンゴトンと街道を進んでいく馬車隊の最後尾には、四人のD級冒険者の姿があった。
「ったく……ギルドもギルドだ。なんでこんな薄汚いじいさんを連れてくのを許可するんだよ」
「こらムーサ、そういう言い方はいけないですよ」
「……フィロの言う通り。もしかしたら冒険者を監査する、お偉いさんという可能性もある」
「はっ、偉い人間がこんな腰の低くて曲がったジジイなわけあるかよルイーズ。ああいうのは年取っても背筋しゃっきりしてるもんだろ」
全身を赤い革鎧に包み、雨垂れ型の兜をつけた女戦士のムーサ。
青と白の修道服に身を包み、頭をすっぽりと覆えるだけのフードを着けているフィロ。
鞭と杖を持ち、飄々とした感じのあるルイーズ。
そしてそんな三人となぜか同じ馬車に詰め込まれることになってしまったおじいちゃんことディル。
彼がわざわざ遠出して馬車に乗ってまでサイクロプス討伐に乗り出したのは、もちろん開催を一週間後に控えたオークション用の資金貯めである。
エディから見せてもらった、どこから持ってきたのかオフレコな表によるとディルが欲しいと思えた奴隷は三人。
表には出品する品とタイムスケジュール、そしておおよその落札価格の目安までしっかりと記入されていたが、ディルは出所については決して聞かないように心がけた。
残念なことに、今の彼の手持ちでどうこうできるような額ではないのは一瞬で理解できた。
難しそうな顔をしたディルに対しエディが満面の笑みで渡したのが、明後日出発するサイクロプス討伐隊のメンバー募集の張り紙だった。
討伐報酬は一匹辺り金貨一枚。群れがいるとわかっているにしてはずいぶん強気な値段設定である。
領主が懐の広さと周囲への武力の顕示として行うこの討伐任務は、色のついているいわゆるおいしい依頼というやつだった。
彼の思惑に踊らされるのは少し抵抗があったが、他の手段もないのでディルは素直にそれに乗ることにした。
本来ならD級冒険者は上の人間達による面接と実力試験を経るというシステムになっている。だからそう簡単に入れるわけはなかろうと考えていたのだが、ディルは特に面接を行うこともなく一員として迎え入れられた。
ギアンの街からの推薦状とヒリソを紹介したギルド職人のプッシュの効果であろうことはすぐにわかった。情けは人のためならず、自分がしたことが確かに自分に返ってきているのをディルはしっかりと感じることができた。
そして残る金で実費となる食料や薬品の買い込みを行い、ディルは金貨二枚ほどを残して北東にあるラルラル山へと向かうことになったのである。
(恐らくわしがソロで、色々と狩れとるからここに入れられたんじゃろうが……どうにもやりにくいのぉ)
ディルは明らかに不機嫌な様子を隠そうともしないムーサにぺこぺこと頭を下げ、気まずさをまぎらわすことしかできずにいた。
自分達が若手の中で有望株だと上から認められた期待の新人なのにもかかわらず、明らかにコネで入ってきたジジイを煙たがるのは当然のことじゃろう。
一応行動は馬車単位で行うことになるらしいし、その辺の意識を払拭させるところから考えなくてはならんの。
「すいません、うちのムーサが本当に」
「平気じゃよ。もしわしがそっち側だったらと考えれば、頷ける部分しかないからの」
「おいフィロ、そんなジジイと話してんじゃねぇ‼」
大げさな身ぶり手振りでディルを嫌がっているムーサの気持ちを考え、ディルは彼女達が座しているのと逆の、御者の方の角に座り身を縮こまらせることにした。
以前と比べるとマシになった馬車揺れの衝撃に時折呻き声を発しながら思う。
わし、こんな調子で上手く討伐をこなせるじゃろうか。
不安な気持ちと申し訳なさ、そして腰の痛みを抱えながらもおじいちゃんは進んでいく。
サイクロプス討伐の時は、そう遠くはない。




