最終試験、開始
ディルは頑張った、それはもう頑張った。
本来なら受けないような毒消し草の採取依頼をこなし、馬車に揺られながらも二つ隣の街へ行き筆記試験も受けに行った。そんなことをしたのももちろん、それら全て冒険者ランクの昇格のために必要だったからである。
まず彼は普段やらないような依頼をこなし、昇格試験を受けるために必要な採取依頼を達成したという実績を作った。討伐依頼に関しては、スライムの乱獲により既に十分な実績があったのはわざわざ言うまでもない。
一番の難敵である採取依頼をこなし気分上々だったジジイだったが、次にやることもまた彼を唸らせるには十分なだけの厳しさがあった。
そう、先にも述べた筆記試験である。
覚えの悪い頭を必死に使い、灰色の脳細胞を必死になりながらギルドの会則や取ってはいけない野草、引っかけ問題の多いマナーに関するクイズ等の知識を詰め込んだ。辛うじて読み書きができる程度のディルは夜に開かれたミースと二人きりでの勉強会の甲斐もあって、彼は無事筆記試験に合格することができた。正直サボってスライムを狩りに行きたい衝動に駆られたことは一度や二度ではなかったが、一生懸命教えてくれるミースの信頼に応えないわけにもいかなかったために逃げることはしなかった。
人間、やらねばいかんとなれば案外できるもんじゃ。ジジイは
依頼をこなし筆記試験をこなし、基本的な冒険者として必要な知識や教養があることは十分に証明された。
これでディルがやらねばならぬものはあと一つのみ。そしてその内容とは、とあるものを調べるものである。
冒険者にとって最も必要な、シンプルにして絶対の尺度。
もちろんそれは……。
「よし、ではこれから実力試験を行うことにする。今回の試験官は俺、Bランク冒険者のズーニーが務めさせてもらう。何か文句がある奴は言え、とりあえずボコしてからなら意見は聞いてやるから」
ディルは今、冒険者ギルドに併設されている訓練場へとやってきていた。訓練のために使われるか比較的賑やかなムードの漂っているその場所は、今日はどこかピりついていた。
訓練場右側の中央部、麻縄で囲まれている円形の空間の中に一人の男が立っていた。
「ではこれより説明事項について話しておく、まずこの戦いにおいて冒険者ギルドは……」
大柄な男が理路整然と手慣れた様子で免責事項のようなものを説明している間、ディルはじっと彼のことを見つめていた。
胸にはクロスした紋が幾つも入っている独特な柄の皮革の胸当てがついている。着ている防具は魔物の革の軽鎧で、手首には青色のグリーブを着けており、足には膝丈のブーツを履いている。
背中に背負っている一本差しはまず間違いなく刀剣、その刀身は通常の鋳造剣と比べるとかなり細い。恐らくは刺突剣、エストックの類だろうとあたりをつける。
(最後はもちろん実力試験。試験なんぞ受け慣れとらんから、戦うだけでいいのが一番落ち着くわい)
髭をもしゃもしゃしながら周囲を見渡すと、そこにいる面子の態度はそれぞれ違っていた。
試験官のBランクという言葉の重みに縮み上がっている男、もし死んでもギルドは責任を負わないという文言に体を震わせているローブの女。自分の武器の手入れに余念が無さそうな男もいれば、その隣には頷いてると見せかけて実は目を開けて寝ている女戦士もいる。もちろんというかなんというか、試験を受けている老人はディル以外にはいなかった。
彼も入れると五人が最後の試験に駒を進めたということになる、これが多いのか少ないのかはわからないが、ディル的にはかなりホッとしていた。
ようやくここまで来たと嬉しくなる気持ちと、ああ早くスライム狩ってお金を稼ぎたいという気持ちがせめぎ合うおじいちゃん。
ディルはもう少しで鎧代の金貨十枚が貯まるというところでお預けを食らっているのが、かなりのフラストレーションになっていた。それに勉強や採取で時間を取られていたというのも、彼にとってはあまり面白いことではなかった。
つまるところ、今のおじいちゃんは抑圧されて我慢を強いられている状態なのである。
今の自分がやっていることがミースを喜ばせ、ひいては結果的に自分のためになるということもわかっている。だがなんとなく釈然としないのもまた事実。
ジジイは論理的でない感情を抱く自分の精神面の未熟さを恥じ、頬をポリポリと掻いた。
「……説明は以上だ、では早速だが試験を始めさせてもらうとしよう。我こそはというやつはいるか?」
参加者達をぐるりと見渡し、誰も手を挙げないのを確認したズーニーが肩を落とす。
「おいおい、何も取って食おうって訳じゃない。手加減はするし、そんなことではこれからの冒険者稼業が……」
彼が最後まで忠告を言い切ることはなかった。なぜなら眼前に一人、挙手している冒険者がいたからである。
その挑戦者は曲がった背筋のまま、少し震える左手で手を挙げている。
「それじゃあわしから、行かせてもらおうかの」
「……よし、こっちに来いじいさん。一丁軽く揉んでやるぜ」
最近色々と不便を強いられていたディルは、自らの抑圧を解放するべく腰の黄泉還しに触れた。
その隙の無い構えを見たズーニーがほうと感嘆の溜め息を溢すのが、彼の方へ歩いていくディルの視界の端に写った。




