ギルドマスター
ディルが冒険者としての昇級の話を聞いてからしばらく、具体的には三日ほどの時間が経ってから、彼はとうとう呼び出しを受けることになった。
彼は今、ミースに案内されるがままに以前使わせてもらった応接室よりも更に奥にあるとある一室へとやって来ていた。
何かがおかしい。わしは一体どこで間違えてしまったんじゃろう。ただ日銭が稼げて仕送りライフを送りたかっただけなのに。
ジジイは目の前にいるタンクトップの筋肉達磨を見て、そんなことを考えては意味もなく思考を空転させる。
「俺が冒険者ギルドギアン支部のギルドマスターのラッセルだ」
「ディルです」
「敬語は使わんでいいぞ、老人に丁寧なしゃべり方をされると背中がむず痒くなる」
「ほっほ、ではお言葉に甘えて」
右目に眼帯をしたガタイのいい大男、ラッセルは彼がこの街にやって来てから見たどんな人間よりも風格があった。
試しに見切りを使い攻撃予測を立ててみるが、どんな攻撃をしても受け止められそうに思える。恐らくその強さは、かなりのものなのだろう。
「最近話題のスライムジジイ、どんなもんかと思ったが……案外ひ弱そうな身体してるんだな」
「なんかその言い方だと、凄い年食ったスライムみたいじゃの」
戦う必要などないのだから心証を悪くしないようにしようと自分なりのにこやかさで対応するディル。
今現在、彼はギルドマスターの執務室へやって来て一対一で対面している形である。ミースは彼を案内してからすぐに部屋を出ていってしまったため、正真正銘の二人きりだ。
ミースからは冒険者ランク昇格による査定のようなもの……と聞いていたのだが、思わぬ大御所の出現に基本的に権威や力というものにめっぽう弱いジジイはたじたじであった。
というかディルは、自分がスライムジジイなどというへんてこなアダ名で呼ばれていることを初めて知った。せめてこう、もう少し……マシな呼び方はなかったのだろうか。裏でスライムジジイと言われていると知り若干ショックを受けているがそんな顔はおくびにも出さない。年を取れば人間、ある程度は嘘が上手くなるものなのである。
「ここに連れてこさせられたのはわしのDランク昇格試験の話をするため、で合っとるよね?」
「間違ってはいない……が、そっちはついでだな。試験官との模擬戦と専用依頼受けてもらうくらいなもんだし、大して話すこともないしな」
それだけ言うと、ラッセルが大きく上体を倒して頭を下げた。
突然の行動にびっくりしたディルではあったが、彼はなんとなく呼ばれた本当の意味を察する。
「本当にありがとう、じいさんがあそこで助けてくれてなければ、ギルド職員が一人不幸な目に遭っていたかもしれない」
「別に、構わんよ。登録料は免除してもらったしな」
「俺達としてもある程度の備えや対策はしているつもりだったんだが……少しばかり認識が甘かった。衛兵の詰め所が目と鼻の先にあるのにバカをしでかすような本物のアホがいるとは想像だにしてなかったんだ」
「助けなくともなんとかなっていたような気はするが、その礼は素直に受け取っておくとしようかの」
彼が一応説明したところによると、あれは幾つもの偶然によって引き起こされた不運な事故だったらしい。本来なら荒事を鎮圧できるギルド職員が丁度間が悪く出払っていたり、抑止力となるはずの実力のある冒険者が丁度出払っていたり、運悪くそんな時に他所から来た問題のある冒険者を入れてしまっていたりと、まぁそんな具合であったらしい。
自分に弁解しているのを聞いてもそれはギルド側の怠慢じゃないかとしか思えないが、そのことでギルドマスターを叱るのは違うと個人的にディルは考えている。責任を負うのは彼であっても、責任の所在の全てが彼にあるとは思えなかったからだ。
まぁ結果としてあの捕まって奴隷落ちになったらしい冒険者を除けば誰も不幸にならなかった、そしてあの男は自分で悪いことをしたのだから自業自得である。世の中は結果が全て、だからこれでいいのである。
頭を下げているラッセルの態度からは、ミースを大切に思っている様子がひしひしと伝わってきた。
従業員を家族のように扱っているその様子を見ると、冒険者ギルドというのは理想の職場と言えるのかもしれないと思えてくる。
謝罪を受け入れる、などという大層なものでもないがまぁ適当に許してから、話はそれで終わりかのと尋ねるディル。今回は本当に謝罪が目的だったらしく、他に大した用件らしい用件というものはなかった。
「じゃあわしはこれで帰るとするの」
「ああ、詳しい話は下にいるミースから聞いておいてくれ。そう遠くないうちに本部から試験官が来る。その時に試験をすることになると思うから、そのことだけは留意しておいてくれ」
「わかったわい」
「……あんたが来てから、ミースは少しだけ険が取れて丸くなった。俺は個人的にその変化を、好ましいと思っている」
「人は変わるしの、そういうこともあるじゃろう」
「ミースはどうやらあんたをマジもんの元英雄か何かと思ってる節がある。俺は雰囲気でそうじゃないってわかるが、あいつは普通の一般人だしあの場面だけを切り取ればそう見えても不思議じゃあない」
多分ミースの中で、お前は英雄か何かになっているのだろう。そう言われ、買いかぶりにもほどがあるわいと苦笑するディル。彼女が冒険者ランクを上げさせようと必死なのにも、その辺りに理由があるように思える。
「頑張ってあいつの期待に応えてやってくれ、できる範囲で構わんからよ」
「老骨には無理な注文じゃね。本当に……わしに何を見とるんじゃか」
自分を過大評価される日がくるなどとは、六十年という生の間で一度たりとて夢に見たこともなかった。
ぼちぼち、幻滅されない程度には頑張ろうかの。まだ不安定な部分のある今のミースの幻想を壊して、彼女が不幸になりでもしたら浮かばれない。
(そうじゃの……とりあえず昇格試験を、しっかりと合格せにゃならんな)
ジジイはギルドマスターと話をして気分も新たに、試験を受けるための心の準備を整え、部屋をあとにした。




