ジジイ、駆け出し卒業
ギアンの冒険者ギルドは、いつも活気に満ちている。
鉄鉱山で働く鉱山労働者の気質か、一年を通して気温が高いという土地柄ゆえか、その活力はジガ国にある支部の中でもトップクラスに高い。
筋骨隆々な男達が肩を打ち鳴らして闊歩する中、とある受け付けの前に場にそぐわないように見える一人の老人がいた。
曲がった腰、手入れが行き届いておりさらさらとしている髭、黒さの全く残っていない白い頭髪。そんなどこからどう見ても老人でしかない男の腰には、しかし一老人が持つには少々物騒に過ぎるように思える黒い剣が差してある。
武骨な造りにあらゆる光を飲み込んでしまいそうな漆黒の刀身をしたその禍々しい刀剣は、申し訳程度に巻かれている布の隙間からその狂暴さを覗かせていた。物騒な刃物を腰に携えるジジイの顔は、どこか朗らかである。ほっほっほと年寄り特有の笑い声を上げながら、その老人……ディルは背中に背負っていた背嚢を下ろし、そこから幾つもの白色の球を取り出した。
所々に傷のついているその玉はスライムの核、最弱の魔物とされているスライムを討伐したことを示す討伐証明部位である。
一つ、二つ、三つ……数えると合計で三十個の核がカウンターの上に乗せられているのがわかる。
老人が取り出したギルドカードの色は灰色、その暗い色合いは彼が最低ランクであるEランク冒険者であることを示していた。
本来駆け足の証明であるそのカードとそれに見合わぬ討伐成果を見せられても、ギルドの受付嬢であるミースの顔色は変わらない。そして同様に、周囲にいる冒険者達もまた、そのおじいちゃんの狩りの成果を見ても驚いた様子はなかった。
慣れた様子でしゅたっと一度手早く受付を後にしてから、すぐに音の鳴る巾着袋を持ち出してくる。
「はい、ではスライムの核が三十個でしめて銅貨六十枚ですね。使いやすいように銀貨四枚と銅貨二十枚に分けておきました」
「助かるの、いつも助かっとるよ」
「いえ、まぁ……仕事ですから」
そういってブスッとしているミースが内心では喜んでいるということを、今のディルはしっかりと理解していた。
銀貨を使うとあまり良い顔をされないような場所で食材を買ったりする彼にとって、このような細やかな心配りは非常にありがたかった。
宿代を上げられたと言った時に信じられないくらい叱られたのが嘘のようじゃ。つい数日前に怒られた記憶を思い出し背筋に寒気を感じながら、ディルは袋を受け取りスペースに余裕のある背嚢へそれを入れる。
「おいじいさん、またスライムばっかり狩ってたのか?」
「ん? ……おお、ゴーンか。わしにはこれが一番性に合っとるのよ。下手に欲目を出さないのが、長生きの秘訣じゃよ」
「そんな腕が有りながら、もったいねぇなぁホントに」
後ろの方からやって来た同業者のゴーンとやり取りをするその様子は、完全に冒険者のそれである。こういった荒くれ者達と話をするのにも、随分慣れたディル。
彼が新人冒険者として登録してから、今日で実に二十日ほどが経過していた。一年三百六十五日を六十回以上繰り返してきた彼にとっては、矢よりも魔法よりも速く過ぎ去ったと言っていい。
最初の一度を除いては特に何か特筆すべきような事態が起こったわけでもなく、時間はなだらかに過ぎていった。
Eランクでも討伐が可能であるオークを遠征して狩ってみたり、試しに薬草採取をしてみたりもしていたが、結局のところ彼の稼ぎのメインはスライム狩りに落ち着いていた。
オーク討伐のために遠出をするのが、老骨には堪える。オークがよく出る隣町に腰を据えるつもりならばそれもありではあるのだが、彼はとりあえずは知り合いも増え生活基盤も整ってきたギアンの街を離れるつもりはなかった。
それゆえのスライム退治、それゆえの日々開催されるスライム祭りなのである。ディルはスライムを定価で買い取ってくれているらしいお貴族様には頭が上がらないと思いながらも、日々貯蓄に勤しんでいた。
一日少ないときでも二十匹、多いときは五十匹ものスライムを狩るディルは、既にある程度の金銭的な余裕が生まれ始めている。
クーリ達に節約の方法を教わったのは今も生きているし、ディギンには比較的安値で黄泉還しの研ぎを行ってもらっている。使うのは食事と宿代、たまのアリスに渡すお土産くらいなものなので金銭の費消はそれほど多くない。
一日の稼ぎの平均が銀貨六枚で使うのは大体銀貨二枚なので、差し引き銀貨四枚ずつを貯蓄に回すことができていることになる。
冒険者ギルドに金を持っておいてもらえる預け入れ制度を用いるために、保管料で若干目減りこそしているものの、ディルには金貨七枚ほどの蓄えが生まれていた。
お金を貯めている理由は単純で、防具一式を揃えるためである。スライム討伐ならば必要はないのだが、もしもの時の備えはしておいた方がいい。
何が起こるかわからないこの世の中である。魔物の群れが生活圏を追われてやって来るようなこともあれば、盗賊に襲われるといったこともないとは言えない。流石に今のままのボロの服だと、色々と問題があるだろう。
金貨十枚もあれば、素材の産出地に出向いていけばある程度の魔物素材の防具が買えるのだという。ギアンの鉄製防具を付けられるだけの筋力のないジジイは、お金を貯めてから腰をやる覚悟でどこかへ出向き、防具を揃えるつもりだった。
そう遠くないうちに、金は貯まりそうじゃの。
これで自分の装備が整えば、本格的に仕送りが見えてくるぞいとホクホク顔のディル。
彼を見てその真面目な顔を少し緩めたミースが彼のギルドカードに何かを記入し、顎に手をやった。
「……そろそろ、Dランク昇格試験を受けることになりそうですね」
「……はぇ?」
お金が貯まることに快感を覚えていたディルは、気付いていなかった。
初心者向けとはいえ戦えば死の危険もあるようなスライムを毎日毎日何十匹も狩ってくるのが、一体何を意味するのかということを。
後先をわりと考えずに日々を生きていた齢六十超えのおじいちゃんは、金に眩みスライムを狩りすぎたせいで新人冒険者のままではいられなくなってしまった。
「それじゃあ、今のうちに試験の日取りを決めておきしょうか」
「な、なんでちょっと嬉しそうなんじゃ…………わし、こわい」
防具のための金を貯めるよりも早く、防具が必要になりそうな事態が起こりそうな展開に戦々恐々とするディル。
普段の戦いの際の勇ましさなど欠片もなく、おじいちゃんはまだ見ぬ危険の気配にその身を震わせた。




