千
ディルがドアを開いた先にいるのは、ヤポンでよく見る黒髪の人形をそのまま大きく、美しくしたような少女であった。
「君が……千ちゃんであっているかい?」
「ええ、私が千ですが……おじいちゃん?」
きょとんとした様子で首をかしげる様子は、なかなかどうしてかわいらしい。
イナリがゾッコンになるのも頷けるという話だと、内心で一人納得するディルであった。
ちなみにイナリは、少しだけ席を外してもらっている。
感動の再会をしたいのはわかっているが、完全に頭が沸騰していつもの冷静さを失っている彼女では、まともな話ができるようには思えなかったからだ。
「わしの名前はディルという。まどろっこしいのは嫌いじゃからいきなり本題から入るんじゃが……」
用意してきていた言葉が頭をよぎっていく。
今こそモトチカを打倒して長宗我部家を継ぐべきだ。
そのための準備を、イナリと共にしてきたのだから。
言葉は喉の奥まで出かかったが……喉を震わせることはなかった。
一体誰が、目の前の少女を見てそんな言葉を吐けるだろう。
千は明らかにやつれ、痩せ細っていた。
栄養失調の症状が出ているようにも見える。
彼女は明らかに弱っている。
そんな状況の少女に、頑張って父の跡を継げだとか、今のままで良いのかといった言葉をかけるのは、あまりにも酷だ。
そんなことをしては駄目だと、ディルの中にある何かも言っていた。
ぶんぶんっと、大きく頭を振る。
故にディルはあらかじめ用意していた言葉ではなく、彼の胸の奥から自然と飛び出してくる言葉に身を任せてしまうことにした。
「千ちゃんは今、楽しいと思っておるかい?」
「楽しい……ですか?」
「ああ」
ディルの問いに、千が顔を俯かせる。
考える時の彼女の癖なのか、唇に指を当てながらじっと地面を見つめていた。
「楽しいかどうかで判断をしたことが、あまりないかもありません」
「ほう、そうかい。それじゃあ普段は何を基準にして選ぶようにしているのかの?」
「それは……領民の皆の、最大多数の最大幸福です。私は父上に常に領民のために生きるよう、言い聞かされてきましたから」
「そうかい、お父上は立派な人だったんじゃの」
「はい、父上は立派なお方でした。頑固だけど真っ直ぐな、実直な人……けれどそのせいで、あまり長生きはできなかった」
正直者がバカを見るというのは、よく聞く話である。
ディルは事前から彼女の父であるミチザネについての話は聞いている。
だがどうやら事態は、彼が知っているものよりもずっとドロドロしているようだ。
千の口ぶりから察するに、恐らく彼女の父は……
「わしは一つ思うんじゃが」
「一体なんでしょうか?」
「その皆の幸せというやつには……どうして千ちゃん自身が入っていないんじゃ?」
「それは……」
言いよどむ千。
誰かのために自己犠牲をしすぎて、自分のことをおろそかにしてしまう。
ディルも似たようなところがあるから、彼女の気持ちは痛いほどにわかった。
そして故に彼の言葉は、千の凝り固まった心を解きほぐしていく。
ディルの言葉に千の動揺は大きくなっていく。
するとそのタイミングで……。
「姫様……イナリ、ただいま戻りました」
今まで気配を隠してきたイナリが、千の前へ姿を現すのだった――。




