たのもう
ディルは詳しい事情を探るべく、スラム街の奥深くへと入っていくことにした。
ボロ布を着ていると、特にカツアゲをするようなこともないのは非常にありがたい。
「「……」」
進んでいくと、周囲からの不躾な視線が突き立つ。
こういったところに入っていくのはあまり経験がないので、どうにも慣れない。
恐らく今のディルは、値踏みをされているのだ。
どれくらい強そうで、襲えば反撃をされるのか。
金は持っていそうか、もしくは同情を買うことができるのか。
流石に煩わしさを感じ後ろを振り返ってみれば、視線は一瞬のうちに消えた。
気配はあるが、彼らは既に別の方へと意識を向けている。
どうやらディルは、襲うべき対象者のリストからは外れたらしい。
(スラムっちゅうのは、思ってたよりずいぶんと殺伐としてるんじゃな)
無論スラムの話は聞いたこともあるし、どんな場所なのかは色んな人間から聞いてきた。
けれどやはり話で聞くのと、こうして自分で見るのとでは大きな違いだ。
「おじいちゃん、一回いかが?」
「……わしはもう枯れとるからの、遠慮しとくよ」
襲撃されることもなく進めていたディルの足を止めたのは、腕利きの悪党ではなく一人の女性だった。
着ている服はあまり上等とは言えない。
服の隙間から覗く肌には、青あざが見えていた。
身体からはプンプンと、きつい香水の匂いがした。
スラム街には当然のように娼婦がいる。
彼女達は娼館に所属しているわけではない。
なんの後ろ盾もなく、自分の身一つで稼いでいるのだ。
誰にも頼らないという姿勢は立派だと思うが、そのおかげで危険な目に遭うことも多いと聞いている。
「街に出て、娼館に務めたりはせんのかい?」
「前にやろうとしたけど、断られた。汚い身なりの人間はお断りって」
スラム出身の人間に、まともな働き口はない。
出自も犯罪歴もわからないような怪しい人間を雇わずとも、雇う人間はいくらでもいるからだ。
だから彼女はこんな危険な場所で、身体を売って稼ぐしかない。
それしか稼ぐ方法がないのだ。
「日村組についてはどう思っておる?」
「……たまに来ては、売り上げをピンはねするから嫌いよ。スラムでの最低限の秩序を保ってくれてるおかげで、私でもなんとか生きていけてるのには感謝してるけど」
話を聞いているうちに、わずかながらも情が湧いてくる。
こうして面と向かって話をしてしまうと、素知らぬふりができなくなってしまうのが、ディルという人間だった。
見れば女性の年齢は、まだ若そうだった。
二十代半ばほどだろうか。
たしかに髪はボサボサで、顔は垢だらけ。
街の娼館で門前払いを受けても、仕方のないような身なりをしている。
だがディルには、しっかりと身体を洗い身ぎれいにさえすれば、普通の娼館でも働けそうなほどに整っている見た目をしているように思えた。
ディルは周囲の視線を切るように、彼女を路地裏に連れこむ。
その気になったかとしなを作る女性の手に、そっと金貨を握らせた。
「胸ポケットにしまって、中は見ないまま街に出なさい」
「え……?」
「きっと君には、もっと自分に合った場所があるはずじゃよ」
それだけ言うと、ディルはスッとその場を離れた。
後にぽつんと残された女性をちらと見てから、先へと進んでいく。
(やらない偽善よりやる偽善じゃと、わしは思うんじゃよね)
全てを変えられるとは思っていないが、何かを変えられるとは思っている。
自分で稼いだ金だから使い方は自分で決めると、ディルは同様に行きがけに子供達や女性達にそっと金子を握らせながら先を急ぐ。
彼らがギリギリとはいえ生きていけているということは、一応スラムにも最低限の秩序というやつがあるのかもしれない。
けれどやはりこういった無法地帯で一番幅を利かせるのは、武力だ。
なのでディルは……。
「たのもーう!」
日村組の事務所に、武力行使を辞さない覚悟で乗り込んでいくのだった――。




