眉一つ
当主である井樋ドウセツの部屋は、廊下を進んだ先にある。
ディルは屋敷の中をゆっくりと、音を立てぬように進んでいく。
ヤポンにおいては屋敷内は土足は厳禁とされているため、靴は玄関口で脱いである。
靴下一枚で家の中を歩き回るというのは、やはりあまり慣れない感覚だ。
わし、今足臭くないじゃろうかとふと思い立ち、足の臭いを嗅いでみる。
一応綺麗にはしているつもりだったが、足は思っていたよりもずっと臭かった。
自分の体臭というのはなかなか気付かないものだが、それに気付けるという時点で大分ヤバいだろう。
今夜はしっかりと身体を拭こうと考えていると、自分に視線が向けられていることに気付いた。
顔を上げればそこには、先ほどよりもきつく自分の方を睨んでいるアキトの姿があった。
(ちょっとばかしやりすぎたかもしれんの……)
と思いながら、ディルは歩みを再開する。
目立つためには必要なことだったとはいえ、彼のプライドを折るようなことを選ぶ必要はなかったかもしれない。
完全に勢いで格好つけすぎてしまったことを、ディルは今になって後悔し始めていた。
(申し訳ないから、あとで菓子折でも持っていこう)
そう心に誓っていると、気付けば突き当たりにあるドウセツの部屋に辿り着いていた。
中に入ってまず目についたのは、うずたかく積まれた書類である。
地べたにそのまま座って使う形のローテーブルの上に、ぎっちりと書類が並んでいる。
以前加賀美ハルチカと会った時は色々と面倒な手順を踏んだが、今回はそれらは省略してあっさりと会うことができた。
アヤコをここまで守り通してみせたことと、先ほど見せた御前試合が効いているのだろう。
「先ほどはいいものを見せてもらった」
ハルチカは敷かれたござに移動すると、ちょいちょいとディルを招き寄せる。
以前イナリから教えてもらったが、同じござに座るのはかなりの好待遇という話だったはず。
(まさか初対面で、これほど気に入られるとはのう……)
少し驚きながら、ゆっくりと座る。
恐縮しながらキョロキョロと部屋の中を見渡す。
壁には動物の毛皮が打ち付けられており、反対側にはずらりと刀剣類が並んでいた。
一見すると鑑賞用にも見える美しい刀達だが、その刀身に宿す光はどこまでも剣呑。
まず間違いなく、どれも実用の真剣だろう。
「まあ、まずは一献」
そういうとドウセツは机の上にあったお猪口をディルに渡す。逆の手でもう一つお猪口を取ると地面に置き、すぐに徳利に持ち替えた。
手渡されたお猪口に、徳利からなみなみと何かが注がれる。
ツンと鼻を刺激する匂い。
間違いなく酒だろう。
だがディルが飲み慣れているエールやワインとはまた違う匂いだ。
そう言えばなんやかんや毎日が忙しかったのと、他国で気を張っていたというのもあって、酒を飲んだことは一度もなかった。
お猪口を眺めてみると、入っている酒が透明なのはすぐにわかった。
香りを嗅いでみる。匂いはどちらかというと甘めで飲みやすそうだ。
けれどこんな小さなお猪口に入れるのには、何か理由があるはずだ。
度数が高いか、かなりの貴重品か、あるいはその両方か……。
なんにせよドウセツからの杯を受けないわけにはいかない。
ディルはとりあえずクイッと、お猪口を傾けることにした。
「こ、これは……大分強いですな」
「おや、どうやらあまり飲み慣れていない様子ですな」
「……酒は高いですからな、飲み過ぎて失敗をしたこともあるので、なるべく控えているのです」
ヤポンの酒はとにかく度数が高い。
一杯飲んだだけで、喉の奥がカッとするのがわかる。
水で薄めていないワインくらいだろうか。
冒険者生活を続けて以前と比べると大分酒が飲めるようになったディルだが、こんな強いお酒を飲み続ければすぐにベロベロに酔っ払ってしまいそうだ。
ディルが目を白黒させているうちに、ドウセツは既に二杯目を飲み干していた。
どうやらドウセツは、とんでもないうわばみらしい。
「ささ、遠慮せず飲むといい」
徳利を差し出されれば、断るわけにもいかない。
ディルは二杯目を飲み干し、ウッと喉を鳴らした。
けれど酒が身体に回って気分がよくなっているからか、さっきほどキツくは感じなかった。 そしてこの独特の甘さにも徐々に慣れてきて、三杯目を飲み干す頃にはこれはこれでいいじゃないかと思えるようにもなってきていた。
けれどディルは酒を飲んではいても、気は抜いていない。
故にドウセツがこう切り出した時も、眉一つ動かさずにいることができた。
「お主は――大陸からの流れ者だな?」
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