賢者
ウェンディの持つスキルは、その正式名称を『古代魔法変換』という。
これは簡潔に言えば、彼女に既に失われた先史時代の魔法の才能を与えるというスキルである。
先史時代といってもその歴史は非常に長い。
この大陸において人間が紡いだとされる歴史は二つほど存在している。
一つは先史、そしてそれよりも数千年ほど前にあった先々史だ。
この二つを合わせて、古代文明などと呼ぶことも多い。
どちらも現在大陸に根付いているよりもはるかに高度な文明を築き上げており、その技術力の高さは時折発掘される遺物などからもよくわかる。
例えばダンジョンなどは先々史時代に築き上げられた施設である。
ダンジョンそれ自体の仕組みも解明されてはおらず、そこから出てきたアーティファクトの再現も部分的にしか進んでいない。
どちらかと言えば先々史の方が、先史と比べて文明が進んでいたとされることが多い。
ウェンディはそんな時代のもう一つ後に営まれた、先史時代の魔法を使うことができる。
先史時代の名残は料理や絵画などの文化系的な物が多いが、やはり最も特筆すべきは魔法の存在である。
魔物と呼ばれる凶悪な生物を倒すために彼らの攻撃を分析し、魔法と呼ばれる技術へと昇華させた。
先史時代といっても、これもまたいくつかの区分がある。
ウェンディが使えるのは、この先史時代のうちの後期、あるいは終末期と呼ばれる時代の魔法である。
これが彼女が今では忘れられかけている『皆打』の二つ名を頂戴するようになった理由だった。
ウェンディのスキル『古代魔法変換』では、使えるようになった魔法を古代魔法において相当するものに置き換える魔法である。
ファイアアローやウィンドカッターのような初級魔法を撃てば、それが先史時代において相当していた同属性の魔法へと変換される。
問題はやはり、どれもあまりに殺傷能力が高すぎることだ。
放つファイアアローは白い熱線となって迸り、発動させたウォーターウィップは酸性の液体で相手の皮膚を溶かす。
ダンジョンで活動しているために使う機会こそなかったが、彼女が本気で上級魔法を放てばその威力は更に跳ね上がる。
こんなものを常に使っていた先史時代とは、一体どれだけ血生臭い時代だったのだろうと、ウェンディは思わずにはいられなかった。
彼女が知っているこの情報を知る者の数は非常に少ない。
どの国も、有事の際に役立つ古代文明の遺産を、程度の差こそあれ持っている。
そしてあらゆる国家の元首たちは、自分たちが持つ古代文明の力が明らかになることを望んでいないのだ。
彼女がそんな機密情報を知ることができたのは、師から情報漏洩があったおかげだ。
その師匠の名は――『運命の賢者』バグラチオン。
叡智を極めたとされる三賢者……その一画を担う、良くも悪くも名の知れ渡った人物だ。
「いやぁ、ごめんごめん。道中面倒ごとにあったせいで、到着が遅れちゃった」
「師匠、首筋にキスマークがついてるんですが……」
「ああ、その厄介ごとを解決したからね。わずかばかりのご褒美をいただいただけだよ」
「一日遅れてきたのは、それが原因じゃないんですか?」という声を心のうちに押しとどめて、ウェンディは眉間を叩いた。
彼女の前に、一人の女性がいる。
その容姿は非常に整っており、百人が百人振り返るほどの美女だ。
だがその整い方は、何故か人形めいている。
空恐ろしさを感じるほどに、彼女の全身は整いすぎている。
耳には雫をモチーフにしたイヤリングがついており、首筋には淡い水色のストールをつけている。
全身は青を基調としたコーディネートになっており、短いスカートからはなまめかしい足が覗く。
同性であるウェンディは何も思わないのだが、先ほどからちらちらと男性からの視線を感じる。
だが彼女――賢者バグラチオンは異性からの視線にすら寛容だった。
男女両性を愛していると公言している人物らしく、性には基本的に奔放だった。
「久しぶりだねウェンディ。元気にしてた?」
「はい、それなりに」
「少し大人になったね。恋でもした?」
「なんでもそっちに結びつけないでください。前から言ってますが、私にそっちの気はありません」
「いやいや、昨日の子だってそうだったよ。でもこう、私が一から手ほどきをしてあげたらあら不思議……」
なんでこんな人が、賢者などと呼ばれているんだろう。
その無茶苦茶な生活に数年ほど付き合っていたウェンディからすれば、バグラチオンは賢者でもなんでもなくただの色情狂である。
ただ色狂いは色狂いでも、知識量や魔法技術に関しては一流だ。
これで『三賢者』の中ではもっともまともだというのだから、残りの二人はどれほど頭のおかしな人間なのだろう。
バグラチオンがする床自慢を聞き流しながら、ウェンディはぼーっとそんなことを考えていた。
「で、ウェンディはどうして私を呼んだの?」
富や名声、既にあらゆる物を手に入れたバグラチオンではあるが、彼女は常に何かを渇望していた。
バグラチオンは自分が満たされていないと感じた時に、性欲という形でそれを発散させる。 どうやらまだ、お望みのものは見つかっていないらしい。
だがそれはウェンディにはあまり関係のない話だった。
彼女が師匠に道すがら寄ってもらったこの機会を逃す手はない。
「私に回復魔法を教えて欲しいんです」
「……それは前にも説明したでしょ。ウェンディが覚えても、過回復になって身体を壊すだけだって」
バグラチオンがしたのは、前にもされた説明だった。
先史時代末期において、人命は簡単に使い捨てられるものだった。
そして今よりはるかに発達したポーションのおかげで、人類は回復魔法すらも攻撃のためのものへ変えてしまったと。
ウェンディが覚えても、人体を壊す回復魔法しか習得することはできないと。
だがそれでも、ウェンディは食い下がった。
「ですからそうならない手段を教えて欲しいんです。『古代魔法』にだって、普通に誰かを治すための魔法くらいはあったはずでしょう?」
「うーん……あるにはある。けどなぁ……」
何やら思案げな顔をしてから、スッと目を細める。
その変化は、バグラチオンが真剣になった証。
彼女が誰よりも賢い賢者として、手ほどきをするときに見せる視線だった。
「どうして使いたいの? 前はポーションでいいって言ってたじゃない」
「――仲間がポーションだけで治せないような大怪我をしたとき、私は絶対に悔やむでしょう。そんな後悔を、したくないからです」
「仲間、ねぇ」
バグラチオンは微笑を浮かべながらウェンディに近付き――その頭を、そっと撫でた。
気付けば彼女の手にはウェンディの三角帽子が握られている、驚きの早業だ。
ダンジョン行でかなり動体視力には自信があったウェンディでも、その動きはまったく捉えることができなかった。
まだまだ師の領域に到達することはできなさそうである。
「そっかぁ、ウェンディにもとうとう仲間ができたのね。いいよ、教えてあげる。ただあなたの場合、死にかけの人間にかけないと身体が爆発四散するから、使うタイミングだけは選びなさいね」
「はい」
「魔法を自分にかけるのが、回復魔法習得の早道。一番魔力の流れがわかるようになるしね。それに怪我をしてるだけで使えなくなるのは論外、戦いの最中に使えなくちゃ意味ないし。修行中は私があなたを半殺しにし続けてあげるから、その間に学ぶのよ」
「――覚悟の上です」
「うむ、よろしい。では続きはベッドで……」
「あ、それはお断りします」
どさくさ紛れにベッドインしようとするバグラチオンにしっかりとノーを突きつけながらウェンディは魔法の修行に付き合ってもらうことになった。
誠に申し訳ございません、修整致しました




