現在
「――というわけだ。ざっくりだから色々と端折った部分はあるがな」
イナリの言葉を聞き、ウェンディと黒騎士は押し黙っている。
一人しゃくり上げているのは、ディルだけだった。
「えぐっ、えぐっ……つらかったのぉ……」
「ああもうっ、こうなるから言いたくなかったんだがな」
ガシガシと乱暴に頭を掻くイナリ。
彼女が色々と抱え込んでいることは知っていた。
しかしそれがこれほどまで入り組んでいるとは想像だにしていなかった。
(相当な実力者であることはわかっていたが、まさか彼女がヤポンにおける貴族お抱えの諜報員だったとはのぅ……)
色々と情報を得ることができたこと、そして胸襟を開いて話をしてくれて顔がほころぶ。
生活を共にするイナリの深い部分に触れられて、また彼女と少しだけ距離が縮んだことが、ディルには嬉しくてたまらなかった。
だがどちらかと言えばディルの頭を占めているのは、彼女の立場ではなく、生い立ちや境遇についてだった。
慕っている姫の下から離され、一人孤独に海を渡ってここまでやって来た。
そんな彼女の孤独は、果たしてどれほどのものなのか。
若い頃から妻帯し子供も作っていたディルには、想像もつかない。
「い、今すぐ奴隷解放しよう! イナリは千様のところに戻るべきじゃ!」
「話を聞いてなかったのかこのクソジジイ! 今私が言っても何にもできないんだよ! 流刑になってるんだぞ、私は!」
「そ、そうじゃったの……」
すごい剣幕に押され、おじいちゃんは少しだけ冷静になった。
正直なところ、ディルはイナリの解放はいつでもいいと思っている。
今も彼女の自由意志で奴隷のままでいいと言っているので、とりあえず現状維持を続けている状態だ。
彼女の身体から毒を抜くのは急務である。
けれどイナリの仕えている千姫のことも気になる。
ディルの心配そうな顔を見たイナリが、イーッと口を横に拡げる。
「姫様は今すぐにどうにかなることはない……はずだ。それに私がヤポンに入るのにも準備が居る。今ヤポンに行くのは無理だな。よしんば入れたとしても、姫様のところへ行けば迷惑をかけてしまう」
(きっと千姫を支える上では、毒耐性や毒の生成があった方が都合がいいはずじゃよね。でもそれだと、イナリの寿命が……)
うむむと唸っていたディルがちらと顔を上げると、ウェンディがジッとイナリの方を見つめていた。
彼女はほとんど情報が入ってこないヤポンのことが色々と気になっている様子だ。
色々と話を聞いて、ふむふむと頷いている。
「つまり戦国時代というわけですか。それぞれが王を名乗っていないとは、面白いですね。皇という共通の王を仰ぎながら、皆が天下の大将軍の座を狙うわけですか。王様が国を統治するジガ王国民からすると、なじみのない考え方です」
「まぁたしかにそうだろうな。だが隣のクウォールなんかもそうだろう? お飾りの王様と、それを支える大貴族。それが小規模で乱立しているような感じだと思えばいい」
二人は政治体制のことなんかを談じているようだが、ディルにはさっぱりわからなかった。 学がないので、そういった方面には疎いのだ。
イナリたちが顔を突き合わせて話をしている間に、ディルは自分のすることを考えることにした。
とにかくイナリの身体から毒を抜くことが第一。
今までは無理をしないよう、倒せるところをゆっくり進んでいた。
だがもう少しばかり、挑戦してみるべきかもしれない。
イナリはそんな素振りを全く見せないが、一刻も早く主の下へ戻りたいという気持ちは強いはずだ。
本当ならダンジョンアタックなどをしている時間を、そのために充てたいと思っているはず。
「おいジジイ、無理をしようとはするなよ」
「ギクッ! ……そ、そんなこと思っとらんよ?」
「お前は全部顔に出る――バレバレだよ」
イナリは少しだけはにかんだ。
ディルはその顔を見て、ハッとする。
人を小馬鹿にする以外の笑みを見たのは、初めてかもしれない。
きっと昔話をしているうちに、心の箍が緩んだのだろう。
もし彼女が元の主のところへ戻り、シノビとしてまた働くことができるようになったのなら。
今のような笑顔を浮かべながら、過ごすことができるのだろうか。
そんな風に思い、ディルは先ほどの決意を固めることにした。
最も強力な魔物のいる、サガン最奥部のボス部屋へ行こう。
今の自分たちなら、十分に倒せる相手のはずだ。
ディルはイナリのために、もっと頑張ろうと決めた。
色々と話を聞いてより親しい仲にはなったが、それでも当初とやることは変わらない。
これよりディルたちの深層探索は本格化していく――。
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