イナリの過去 4
そこからイナリは、方々に働きかけを行った。
実権を握られてしまった千は叔父にまともに対抗する術がなく、また拠り所も失ってしまった。
彼女が日々居場所を失っていく中で、イナリは自分にできることをやろうとしたのだ。
彼女は叔父のモトチカを追い落とせるような何かを探そうと動いたり、周囲の武家たちの協力を得る形で千を当主として再び返り咲かせる方法を探したり……。
けれど結局、どれも上手くいかなかった。
ヤポンという国は、現在進行形で戦国の乱世が続いている。
自分たちがヤポンを統一する――天下を取るのだと、各地の武将と呼ばれる士族たちが鎬を削っているのだ。
下剋上上等の、力ある者が正義という風潮の中で、既に当主の座を追い落とされた千に残された道は少なかった。
長宗我部家を繁栄に導くために、婚姻外交の一環として他家に嫁ぐか。
もしくは諦めて、かごの中の鳥として一生を過ごすか。
イナリとしては、別の道を選んで欲しかった。
千が千として、生きていける道を。
彼女は戦う力を持たないが、その聡明さは長宗我部家の中では群を抜いている。
千が生かされているのは、彼女の相場観が、長宗我部家にとって不可欠なものとなっていたからだ。
小麦や米の備蓄や放出、金銀の交換レートを始めとしたいくつもの取引で、彼女は少なくない利益をもたらしている。
そして疑心暗鬼のきらいがあるモトチカが彼女を殺していない時点でわかるように、千は処世に長けてもいる。
然るべき地位にいることさえできれば。
彼女が唯一足りていない、武力を補える配下さえ従えることができれば。
天下を統べる器を持つのは千であると、イナリは疑っていなかった。
イナリは戻ってきてからすぐ、工作に勤しんだ。
千を当主として仰ぐ、現状に不満を持つ長宗我部家の配下たちは決して少なくはない。
多数派工作を行い、最悪の場合は内乱となっても、今度はこちらからモトチカの実権を奪い返す。
しかしその工作の最中、他でもない千自身に己の企みを見抜かれ、忠告を受けてしまった。
「長宗我部領に不和の芽があってはいけません。六国制覇もままならぬ現状で領地が乱れれば、他の将の食い物にされるだけです」
「ですがそれでは、姫様が――」
「最初から私が我慢していれば、それで済む話なのですよ。イナリ、下手なことは今すぐやめて、あなたの仕事に戻りなさい」
長宗我部家の領地は、ヤポンでは本州と呼ばれている場所から海を隔てて離れた場所に位置している。
本州から離れたこの地域には六つの国があり、六州と呼ばれている。
国が六つあるため、六国と呼ぶことも多い。
ヤポンでは武将が国名をつけるため、長宗我部家は自国を長砂国と呼称していた。
長砂国の国力は、六国では随一。
本州まで含めれば、総合力で見てなんとか十指に入るといったところである。
「姫様ならば六国統一も可能なはずです。そしてゆくゆくは本州にまで領地を――」
「無理ですよ、イナリ。私には手足となって動く将兵もいない、そしてそもそも……私にそんな野心もない」
長宗我部家は六国の中では一番の力を持つが、さすがに他の五国に手を組まれ、同時に攻め込まれれば負けてしまう。
そのような微妙なパワーバランスのせいで、大きく領地を拡げることができないでいた。
六国は睨み合いをしてばかりで、起こる戦も基本的には小競り合いばかり。
ここ数十年は大きな領地の変動は起こっていなかった。
本州でクノイチとしての教育を受けたイナリからすれば、六国の動きはあまりにも緩慢で、危ういものに見えていた。
本州にもし強大な統一勢力が生まれてしまえば、今の均衡は容易く崩れる。
だからこそ千に六国の舵を取り、一大勢力として取り纏めてもらいたいと思っている。
だが肝心の本人が、全く乗り気ではない。
シノビのイナリは、上からの命令には反発はしない。
彼女は黙って千に従い、当主であるモトチカに臣従することを受け入れた。
イナリは六国を股にかけ、諜報活動に励んだ。
本州で行われる熾烈な情報戦での実戦を想定されるのが、シノビの中でもエリートであるクノイチである。
そんなクノイチとして優秀な成績を収めている彼女に、六国の諜報員では太刀打ちができるわけもない。
諜報の手は六国全土に伸びた。
イナリは千に無理ならばと、モトチカに六国制覇の役目を担ってもらうつもりだった。
だが当主モトチカは、それを求めなかった。
むしろイナリの活躍を、六国融和を乱すものと断定し、怒り狂った。
古くからの六国間の融和や婚姻政策ばかりを重要視する旧態依然の彼は、六国統一という争乱の種になりかねないものを、求めなかったのだ。
小康状態にある現状を維持することだけを重視していた彼は、騒乱の種となりかねないイナリの存在を危険視した。
イナリはもしもの時のために、千を国外へ逃がす段取りを整えていた。
それを他国との密通と糾弾され、彼女は罪に問われることになった。
千の取りなしがあったため、即刻自害を命じられることはなかった。
ただし結果としては、それ以上にキツい罰を受けることになる。
行われたのは島流し――つまりは流刑である。
島流しにはいくつかの等級があるが、イナリに課せられたのは最も重い刑。
他国、それもヤポンの外である他大陸への流罪である。
力を手に入れたが、イナリは千を取り巻く現状を変えることはできなかった。
己の能力を、十全に発揮することもできなかった。
そして何より、千自身も助けられることを求めなかった。
果たして自分がしてきたことに、意味はあったのか。
自分は一体、何をするのが正解なのか。
イナリは茫然自失となり、己の無力さを噛みしめることとなった。
彼女は何も為せぬまま、流浪の奴隷としてジガ王国へ行くことが決まる。
辿り着くまでに、気力は回復していた。
なんとしてでも、もう一度ヤポンに帰る。
シノビとしての領分を逸脱し、主である千を動かしてでも、千を救い出したい。
イナリは島流しの中、自分の求めていたことが何だったのかに、遅ればせながらも気付いた。
そこでイナリは、ディルと出会ったのだ――。
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